第31話 来ていた彼ピ
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目、会計課主任の三十歳。
なんと最近、彼氏ができてしまった。
♡ ♡ ♡
決戦、そして衝撃の土曜日。
ふわふわしたまま記憶がない日曜日を経て。
いつも通りの月曜日がやって来た。
厳密にはいつも通りではない。
なんとさち子さんには彼ピッピがおわすのである。
「おはようございまーす」
この日、出勤したのはさち子さんが最後だったようだ。
主事の畑野は皆の机を拭いているし、統括主査の涌井はスマホでスポーツ新聞を見ている。
「は、な、よ、り、さん! どうだったんですか?」
いつもクールで、辛辣な言葉のナイフで人を刺しまくる畑野が、雑巾片手に猫撫で声でさち子さんにすり寄った。
興味に負けてキャラがブレてしまっている。
さち子さんは苦笑しながら、平静なトーンで答えた。
「うん、全然ダメ。お互い普通な感じで、ランチして即終了でしたわ」
ここの「お互い」と言うのが重要だ。
さち子さんは振られたわけではない。土曜日の会食はお互い会ってみて「なるほど」と思うだけのものだった。
と言うのを、後輩相手なのでさち子さんは強がっていたい。
「ああーん、そうなんですかぁ。やっぱ、一人目でうまくいくはずないですよねぇ」
らしくない、甘えた言葉尻の畑野。意外に似合う。
彼女なりに我が事のように残念がるのがいいと踏んだのだろう。
「……っ」
そしてスマホをスクロールする指がどんどん高速になる、涌井統括。
すでにスポーツ新聞の内容は頭に入っていないに違いない。
聞き耳立てているのはわかってる。言いたいことがあるなら言ってくれ、とさち子さんは思う。
「ま、元気出して、次いってみましょ!」
畑野は雑巾を机に置いて、さち子さんの両肩に手を置いて労った。
さあ、ここだ。さち子さんの反撃チャンス。
「ううん、婚活アプリは退会しちゃった」
「ええええっ!!」
らしくない後輩が珍しく慰めようとしてくれたので、さち子さんは先を制して言ってやった。
ほっほ。クールな女子が驚愕におののいておるわ、気持ちいい。
「な、なんで……?」
畑野は大きくない瞳をパチパチ瞬かせていた。
その表情には、さち子さんが振られたショックで衝動的に辞めてしまったのでは、という不安が見える。
甘くみないでいただきたい。三十路女がそんな豆腐メンタルでどうする。
すまんな、私はもうキミの実験に付き合えない。
何故なら……
さち子さんは、可哀想な捨て犬を見るような後輩と、チラチラこちらを伺う探偵のような先輩に、努めて平静を装ってクールに報告した。
「鷲見君とお付き合いすることにしたので」
「でええええっ!?」
まず反応したのは畑野ではなく、涌井だった。
でかい声で驚愕した涌井は、持っていたスマホすらぶん投げる。
ガッチャン、と派手な音がした。
「何がどうなって、そんなことになったんですか!?」
遅れて畑野も焦りながらさち子さんに詰め寄った。
どんどんクールから遠ざかる畑野女史。それほど、さち子さんのもたらしたニュースは会計課の面々にとっては晴天の霹靂だ。
「そうだよ、花寄さん! 俺らの知らないところで超展開しないでよ!」
投げ出したスマホの画面を注視しながら、涌井が涙目になっている。
もしかして、画面でも割れたか。
「えーっと、なんと申しましょうか……」
さち子さんは言葉につまってしまう。
先を制して驚かせたまでは良かったが、この後のことはさち子さんも考えていなかった。
さち子さんも、彼ピが出来て自慢したくて浮かれているのだ。
戦々恐々でさち子さんの次の言葉を待つ二人に、何と言ったものか。
鷲見君の二十年にわたる私へのストーキング行為にキュンとしました。
そんなことはさすがに言えない。激ヤバカップルじゃないか。
「……おはようございます」
「うわあ!」
説明に困っているさち子さんの側に、音もなく忍び寄る男。
それが福祉課主事の鷲見君。さち子さんの出来立てほやほや彼氏である。
「鷲見くんっ!」
畑野もまた、同じ勢いで驚いていた。
「鷲見クーン!!」
涌井はなんと号泣している。
やはりスマホ画面が割れたか。
「鷲見君、音もなく近づいちゃダメ! びっくりするでしょ!」
「……ごめんなさい。でも、さち子さん」
「──さち子さん!?」
主査と主事、仲良く声を揃えて大絶叫。
外野、うるせえ。とさち子さんが思う間もなく、彼氏からも爆弾発言。
「僕のことは、れんきゅん、では?」
「ここでは呼ばないよ!?」
朝から血圧が上がること言わないでよ!
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