第3話 求婚する男
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目の三十歳。
この十月で会計課の主任になった。
♡ ♡ ♡
今朝はちょっとトラブル。
朝一番で銀行の機械が故障した。
なのでさち子さんは朝当番から引き続き、窓口に座っている。
ここでさち子解説。
会計課には契約銀行の窓口が併設されている。
銀行員が窓口に座り、税金や各種手数料などの支払い受付業務を請け負ってくれるのだ。
しかし銀行の窓口は午前九時から。市役所は八時半から開いている。
銀行の窓口が開くまでは会計課職員が対応する。これが朝当番だ。
で、今朝はその銀行窓口が使用する支払い用の機械の調子が悪い。
九時には開けられなくなってしまったので、機械が直るまでさち子さんは窓口に入ることになった。
銀行員が一生懸命修理しているのを見ていると、窓口にまっすぐやってくる人影がある。
「花寄先輩、どうしたんですか」
福祉課の若手、鷲見君だ。手には伝票を持っている。
「うん、銀行さんの機械が調子悪くて。臨時で私が出てるの」
さち子さんがそう答えると、鷲見君はあきらかにがっかりして呟いた。
「そうですか……お聞きしたい事があって」
おお、この前認知したばかりなのに懐かれてしまったのか?
物品購入伝票なんて、自分の課の人に聞いてもわかるでしょ。
こんな簡単なことも自分の先輩に聞けないなんて、福祉課は大丈夫か。
さち子さんは少し不安になったが、所詮は他人の課のことである。
しかも今はお客さん対応第一の窓口に座っているので、教えてあげられる余裕はない。
「ごめんね、今は手が離せないから。他の人に聞いてくれる?」
同期の畑野は無理でも、奥にいけば涌井統括主査がいる。
さち子さんよりも会計課は長いので、そちらに聞いた方がむしろいいだろう。
だが鷲見君は。
「……いえ、また来ます」
そう言ってさらに肩を落としていた。
お、おお。なんだ人見知りか?
私には初対面からぐいぐい来たくせに。
「……」
さち子さんがそんな事を思っていると、鷲見君はなんだか立ち去り難そうにしている。
「?」
「窓口でお金、おろせますか」
何を思ったのか、鷲見君は財布からキャッシュカードを取り出してさち子さんに差し出した。
「無理。現金出納員てそう言う事じゃないの。個人的なお金は隣のATMでどうぞ」
ぷちさち子解説。
現金を取り扱える職員を「現金出納員」と言い、別で辞令が出ている。
わかりやすい例で言うと、会計課は全ての支払いをするから当然、後は税金を受け取る税務課の職員などもそう。
とりあえず、役所に入って二年経っていない若手には耳馴染みのない言葉なのだ。
鷲見君の言葉から、現金出納員への誤解が感じられた。
冗談なのかもしれないけれど、本当に勘違いしていたら後で困るのは鷲見君だ。
さち子さんがにっこり愛想笑いで答えると、続けて鷲見君は真顔で言った。
「じゃあ、結婚してください」
ああ、やっぱり冗談を言うくだりだった。二段落ちとはやるじゃないか。
でもちょっと脈絡がないぞ。若者のお笑いセンス、わからない。
さち子さんは、そっちがその気ならともう一回愛想笑いで返した。
「それも無理。婚姻届は戸籍課へどうぞ」
「じゃあ、今度持って来ます」
「はいはい、ご苦労さま」
そうしてやっと鷲見君は戻っていった。
隣でやりとりを聞いていた銀行員も微妙な表情をしている。
お姉さん達を困惑させる罪深いイケメン、それが福祉課の鷲見君だ。
お読みいただきありがとうございます
感想などいただけたら嬉しいです!