第18話 おそれる後輩
私の名前は、花寄さち子。
市役所勤務八年目、会計課主任の三十歳。
彼を見ない日はちょっと物足りない気がする。
♡ ♡ ♡
「助けて、オハナ坊!」
今にも泣きそうな声を出して焦ってやって来る人物。
さち子さんの同期、建築課の鴨川だ。
「なあにぃ……?」
困りながら会計課を訪れる職員の共通点はひとつ。どうせやばい伝票がらみだろう。
さち子さんは少し心の距離を取ってから振り向いた。
「この工事の請求書、検査が長引いちゃってさ! 今週中に払って欲しいんだけど!」
「ええ!?」
今日は火曜日。支払い伝票の締切は五日前が基本。今日きた伝票は未決裁なので、通常なら支払いまでに一週間はかかる。
……というのはもちろん建前で、ぶっちゃけ前日の午後三時前なら払えないことはない。
ただし、爆速で審査(しかも正確に)、課長か会計管理者に泣きついて決裁をもらい、支払い担当が振り込み先を爆速で入力(しかも正確に!)してなんとか実現する、裏技かつ必殺技である。最もやりたくない作業のひとつだ。
それに比べて、数日猶予がある今回の案件は、実はまあまあ余裕。
だがしかし。
「困るよ、そんなこと言われても」
「お願いっ! オハナ様!」
だがしかし、それを他の課に知られると、こういう輩が常にやって来る羽目になる。
お役所シゴト? 上等だ。それは職員でも例外ではない。
秩序を乱す不届者には、うんと嫌な顔をしてから、やってあげるのが会計課の掟である。
「あのねえ、鴨川君。私にだけ迷惑がかかる話じゃないんだよ」
「え? そうなの?」
「支払いは畑野さんの担当なんだから、畑野さんに迷惑がかかるんだよ」
「マジか!」
さち子さんと鴨川のやり取りを、向かいの席の畑野はスンとなって聞いていた。
クール女子は決して自ら「私なら大丈夫です」なんて甘い言葉は言わない。そこは会計課にむいている。
「ごめんね、畑野さん。何とかなりそう?」
「そうですね……金曜なら」
さち子さんは優しめに畑野に聞いた。それがこういう時の決まった態度なのは畑野も知っている。
勿体ぶって恩着せがましく答えるのも、二年目になって板についてきた。
しかしそんな事は全く知らない鴨川は指まで鳴らして喜んだ。
「ありがとう! 畑野ちゃん!」
「いえ。仕事なので」
「……ソウデスネ」
さすがクール女子。一瞬でちゃらんぽらんを黙らせる技術。
そのスンとした態度は是非見習おうと、さち子さんはいつも思うがなかなか難しい。
「とにかく助かったわー! じゃ、よろしくぅ!」
鴨川はルンルンで会計課を後にした。立ち直りが早いのは彼の長所であり、短所でもある。
そしてその去った後に佇む、背の高い影。
「鷲見君? 何してんの?」
「いや……騒がしい人がいたので」
鷲見君は会計課の入口で大きな体をすぼめていた。訝しげに鴨川が去った方向をずっと気にしている。
畑野のようにクールとまではいかないが、鷲見君も現代っ子らしく淡々とした性格。
あんなちゃらんぽらんとは相容れないだろうと、さち子さんは苦笑した。
「もう大丈夫だよ、おいでおいで」
「は、はひっ!」
さち子さんがにこやかに手招きで呼んであげると、鷲見君は恥ずかしがりながら近づいた。
これでは鴨川が野良犬のような扱いである。それも別に構わないが。
「これ、遅くなってすみませんでした。課長が出張で決裁がおりなくて」
鷲見君は恐る恐る伝票を出した。それでさち子さんはすっかり納得。
伝票を遅れて持ってきた輩が、さち子さんと畑野にどんな目に合わされたか目撃したのだろう。
鴨川の末路を眺め、次は自分がこうなるやつだ、と怖がっているに違いない。
「ああ、昨日電話で言ってたやつでしょ。大丈夫、事前に聞いてればちゃんとやるから」
しかし鷲見君はちゃらんぽらんな野良犬とは違う。事前に一報を入れるところは、さすが会計課に日参しているだけある。
こういう殊勝な態度をヤツも見習って欲しい、とさち子さんは思う。
「ありがとね、ご苦労様」
「はい! 失礼しました!」
さち子さんはにっこりと後輩の気配りと決裁を取ってきた功績を讃えた。
鷲見君はぱっと笑顔になり、珍しくスキップして去って行く。
よっぽど気に病んでいたのね。可愛いなあ。
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