バルドルとヴァーリ
家を継ぐって大変ですね。
地鳴りのような重低音を響かせて、ゆっくりとヨルムンガンドの巨体が崩れ落ちた。巻き込まれれば一溜りもない質量だが、流石にエッダ騎士団にはそんなマヌケなものはいない。皆一様に安全な場所を確認して素早く巻き込まれるのを回避している。
「ホント、すげーわ……つくづく、敵に回さなくてよかったな」
ヴァーリの呟きは、心からの本音である。バルドルとヴァーリが出会って間もない頃、二人は犬猿の仲と言っていいほどの間柄だったからだ。
二人が初めて顔を合わせたのは、まだ五歳になるかならないか位の頃である。バルドルの方が歳は一つ上なので、当時の彼は既に六歳を過ぎていたはずだが、最初に顔を合わせた瞬間、感じたのは猛烈な不快感だった。
「やぁ、フリッグ。バルドル君は元気かな?」
「ああ、来たんだね、オーディ。うん、いつも通りだよ。ほら、バルドル、挨拶してごらん」
「…………」
「こ、こんにちは……」
幼い頃のバルドルは、酷く不愛想でいつも冷たい目をして人を見る子供だった。ヴァーリが父に連れられて、わざわざエッダ領まで剣術指南を受けに行ったというのに、こちらが挨拶をしても睨みつけてくるだけで挨拶を返さないバルドルを、ヴァーリは嫌な奴だと思った。
この頃のバルドルが、何にそんな不満を持っていたのかは解らない。大人になってから聞いてみた事は何度かあるが、いつもはぐらかされてばかりだからだ。ただ、今にして思えばバルドルはきっと、寂しかったのだと思う。
バルドルには父がいない。理由は色々あるようだが、一番の理由はエッダ家の後継者問題だろう。この国では、女性が家を継ぐ事に何ら問題はないが、貴族として家を残すには当たり前だが子供が必要だ。つまり、婿を取る必要がある。だが、ただでさえ貧乏侯爵で忙しいばかりのエッダ家へ婿に来ようという男は少ないだろう。ましてや、フリッグは夫となる人物に力を求めている。実力のある男性との子が産まれなければ、自分のさらに次の世代のエッダ騎士団を任せられないのだから仕方ない。
だからこそ、彼女は夫を持たず、子供だけを生む選択をした。
しかし、そうやって生まれた子にとっては、それが最良の選択であるとは限らないだろう。バルドルにしてみれば、どんなに寂しくとも幼い頃から頻繁に一人で過ごしていたのだ。貧乏暇なしとはよく言ったものだが、先々代の祖父スノッリも、母であるフリッグも忙しく、バルドルに構ってくれるのは訓練や鍛錬の時が主である。せめて父親が傍にいればそんな寂しさも感じなかったのだろうが、元よりいないものに縋る事は出来るはずもない。
それでもバルドルが曲がらずに育ったのは、騎士団の大人達が彼を見守っていたからだろう。だが、バルドルがそれに気付けたのは、物心ついてからになる。
「なぁ、ばるどる!おまえ、つよいんだって?おれとしょうぶしようぜ!」
「…………いやだ」
「なんでだよ!?」
「おまえはよわいから、しょうぶにならない」
「なんだと!?」
こうして二人が喧嘩をしたのは、三度目に顔を合わせた時だった。売り言葉に買い言葉なんて言葉はまだ知らず、ただ純粋にバルドルの鼻を明かしてやろうと思ったのを覚えている。この頃既に、ヴァーリは父オーディに鍛えられていてそれなりに剣の腕には自信があったし、何より気に入らなかったのはオーディがバルドルと顔を合わせると、息子である自分よりもバルドルを気にかけていたように思えたからだ。事実、オーディはバルドルをよく見ていた。子供の察する力というのは、バカにならないものである。
結局、バルドルとヴァーリが本気の勝負をしたのは、それから数か月経って四度目に顔を合わせた時だった。この日は、ヴァーリがいつもよりイライラしていて、どうしても我慢ができなかったらしい。自慢の剣術でバルドルを倒せば、オーディはきっと自分だけを見てくれる……そう確信していた。
(ちちうえは、おれのちちうえなんだ……!おまえなんかにとられてたまるか!)
「……こい、よわむし」
「こ、このおおおおっ!」
…………勝負の結果はもちろん、ぐぅの音も出ないほどにヴァーリの完敗だった。立ち上がる気力さえ根こそぎ奪われるほどの敗北を喫したのは、後にも先にもこの時だけだ。
ヴァーリの名誉の為に言うと、ヴァーリ自身は決して弱い訳ではない。むしろ、騎士団の外にいる人間としてはこの国でも上位に入る腕前の持ち主だ。子供時代でさえ、同年代に敵はいないレベルであったと言ってもいい。バルドルさえいなければ。
だが、ヴァーリはこの時思った。己のつまらない嫉妬心を抜きにしてみれば、味方にしてこれほど頼りになる相手はいないと。バルドルとは敵対するよりも、仲良くする方が絶対にプラスだと、子供ながらにして計算したのである。
(まぁ、実際に友達になってみりゃ、バルドルはイイヤツだったからな。初めは打算だったのに、いつからか普通につるむようになってたし)
ふと、子供の頃を思い返して、ヴァーリは胸の中で苦笑した。あれだけ嫉妬して噛みついていたバルドルをすんなりと受け入れられたのは何故だったのか。その本当の理由を知ったのは今から十年程前……バルドルが成人し、修行の旅に出ると言い出した頃の事だ。
すっかり大人になったバルドルは、子供の頃の険が取れ、付き合いやすい人間へと成長していた。ただし、顔はいいのに酷く女ウケが悪い。学園ではそれなりにモテていたはずなのだが、とにかく女心が解らずに、太ったから運動しようとか、髪型が似合わないだとか言わなくていい余計な事を平気で口にする。それを繰り返すうちに、デリカシーがないと嫌われてしまうのだ。
相手が大人の女性であったなら、そんな欠点を指摘しつつ成長を見守ってくれるだろうが、学生ともなれば相手もまだ未熟な女性達である。いくら顔が良くても、金もないのに余計な事ばかりを言う男など見向きもされるはずがない。
そして、学園卒業と同時に旅へ出てしまったバルドルについて、父から思いもよらない事を聞かされた。
「……まったく、聞いた時は驚いてぶっ倒れそうになったんだぜ?兄貴」
そう、バルドルとヴァーリは異母兄弟だったのだ。オーディとフリッグは恋仲であったようだが、二人には互いに継がねばならない家がある。そこでフリッグは、当時婚約を間近に控えていたオーディに頼んで、一時だけの夫になる事を望んだようだ。決してオーディに迷惑をかけないからと約束をして。そうして、フリッグはバルドルを産んだ。
その後すぐ、オーディはヴァーリの母リンドと婚約した。そして、一年後にヴァーリが産まれたのだ。
しかし、バルドルはこの事実を知らない。フリッグは敢えてそれを伝えず、オーディとの約束通り墓の下まで秘密を守ったのである。
ヴァーリがバルドルを受け入れられた理由は、きっとそこにあるのだと、ヴァーリは考える。初めは知らなかったとはいえ、バルドルを偉大な兄としてみれば、嫉妬する必要などどこにもない。むしろ、誇るべき兄なのだから。それは今こうして、神話の怪物を打ち倒した姿を見てなお一層に感じる事だった。
「俺も負けてらんねーな……!父上、すぐ助けに行くぜ。俺達が、な」
ようやく開けた王城への道を見つめ、ヴァーリは決意を新たにする。しかしこの後、更なる激闘が待ち受けているとは、誰も予想していなかった。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白い」「気に入った」「続きが読みたい」などありましたら
下記の★マークから、評価並びに感想など頂けますと幸いです。
宜しくお願いします。




