揺らぎ出でる魔獣
享年17歳で死後80年は未成年か否か。
採掘場へ向かう途中、バルドルは馬車の中で、ウルからの報告を読み進めていた。魔獣が出たとされているのは、付き合いのある貴族達ではないが、どこもこの国の中では重要な食糧生産地ばかりである。まるで狙い澄ましたかのように大切な土地に魔獣が出たようで、何とも面白くない話であった。
「これは確かに、俺の連絡を待ってはいられない状況だったな。しかし、第五隊まで全て使う事になるとは……休みのローテーションが大変そうだ」
現在、エッダ家が率いる王国騎士団は、大隊第五番までで編成されている。過去には十番隊まで超える大所帯だったと聞いているので、今は半分以下まで縮小されている形だ。それが何とも不満なようで、バルドルの隣に座る(正確に言うとちょっと浮いている)フレイヤは頬を膨らませていた。なお、ウルは馭者として馭者台にいて、箱型のキャビンにいるバルドルとフレイヤの声はほとんど聞こえていないようである。
「ちょっと、サンマニ領も入ってるじゃない!?私、ここのワインが大好きだったの。今でもあるのかしら?」
「ん……確か、今でもワインは作っていると思うぞ。ただ、フレイヤ、現在の王国法では未成年者の飲酒は禁止だ。君はまだ17歳だから、飲めないぞ」
「もう死んでるのに?」
「……それもそうか」
そう言われて、バルドルは反論するのを止めた。そもそも、80年前に17歳だった彼女は、生きていれば御年97歳である。未成年どころか超が付く後期高齢者だ、大体、幽霊である彼女にどういう法律を適用すべきかは法学者でないバルドルには解らない。第一、昨晩の紅茶もフレイヤは手をつけなかった。正確に言うと香りだけを吸って楽しんでいただけだ。フレイヤには陰膳のように供えるだけで十分らしい。ちなみに、80年前は16歳で成人として扱われていたので、当時のフレイヤがワインを飲んでいたとしても問題はない。
ふと、バルドルが客車の窓から外を眺めると、周囲は既に山が間近に見える所まで迫っていた。少し先に聳える切り立った崖の根元が、目的の魔石採掘場である。
「しかし、魔獣の群れか。何故、突然現れたのか理由が解らないな。しかも、これほど広い範囲で一気にとは……」
そう独り言ちるバルドルだが、彼の疑問は尤もだろう。平和が続く素晴らしい時代であったが、年々、騎士団が縮小され続けていることから解るように、これほど大量の魔獣の群れが現れた事などバルドルの記憶にはない。最後に魔獣の群れと遭遇したのは、彼が騎士団に入って間もない10年程前の事である。その時に遭遇したのは6頭ほどのガルベの群れであり、大した相手ではなかったが、ヴァーリが言っていた魔獣の群れが彼を見て逃げ出したというのはその時の事だった。
そもそも魔獣とは何なのか?それについては、まずこの世界に住む生物の仕組みから説明せねばならない。
この世界に於いて、人間に限らず生物は魔力と呼ばれる力を持っている。魔力とは魂や精神から生まれるエネルギーであり、基本的に生物であれば保有していて当たり前の力なのだが、中には一定のラインを超えて魔力を保有するモノがいる。それが魔獣である。例えば家畜である単なる豚や牛でさえ、一定量を超えた魔力を持てば魔獣として扱われるのだ。
魔力は生命エネルギーと対を成す力であるが故か、一度生物の中でバランスが崩れると寿命を縮めたり、暴走してしまう事が多い。魔獣が人を襲うのはまさに、その暴走によるものだ。
また、魔力を保有しているのは生物に限った話ではない。魔石などの鉱物もそうだし、精霊や妖精、更にはレイスやスペクターと言った者達も、魔力を持っているのだ。そう言った生物外の者達までひっくるめて、モンスターと呼称する。
そんな魔獣の群れは、出現する前に兆候が現れる。まとまって魔力の多い存在が集まるからか、土地の魔力量が一時的に増えるのだ。しかし、今回、ウルの報告によるとそんな兆候は一切みられていないという。群れが現れるのは十年以上振りだからなのかは定かでないが、何か異常な事が起きているのは間違いなさそうだった。
バルドルが窓の外を見て考えを巡らせていると、やや遠慮がちな顔でフレイヤが声を上げた。
「ねぇ、バル。貴方って、騎士なのよね?」
「そこで疑問符をつけられるのは甚だ遺憾なんだが……間違いなく俺は騎士だ。どうしたんだ?急に」
「いえ、どうして貴方は剣を持っていないのかなって……あの、ウルさんって人は腰に帯びていたわよね」
「剣?ああ、大丈夫だ。ちゃんと持っているよ、今はしまってあるだけさ」
「しまって……ええ??」
そう言って、じろじろとバルドルの身体を眺めるフレイヤだったが、彼女の眼にはバルドルのどこにも剣を佩いている風には見えないようだ。疑いの目を向けられている事に苦笑しつつも、バルドルはそれ以上の説明をしなかった。すぐに解ると言いたげな表情だ。すると、馭者台から大きな声が聞こえてくる。
「あー?団長、何か言いましたぁ?」
「何でもない、独り言だ」
「そっスか。あ、もうすぐ着きますよー!」
その言葉通り、それから十分もしない内に、バルドルたちは採掘者の街ロンダールに到着した。バルドルの屋敷からは馬車で飛ばして3時間ほどで着いたので、かなり早い到着だ。ウルは本当に優秀な男である。
辿り着いたロンダールは、元は魔石採掘者達が寝起きするだけの簡素な設備しかない村だったらしい。祖先が王家からこの土地を与えられた時点では、魔石の加工に必要な技術も乏しかった。そもそも、当時は今の倍以上の規模を誇る騎士団を有していてエッダ家自体の羽振りがよく、あまり利益の出せない魔石の採掘は期待されていなかったようだ。
その為、採掘に必要な労働者の数が少なかったので、ずいぶんと長い間寂れた場所だったらしい。しかし、現在から二代ほど前のエッダ家当主…つまりバルドルの祖父であるスノッリ・エッダが、平和な時代の訪れと共に騎士団の縮小を余儀なくされ始めたことに危機感を覚えたことで、内外から労働者を集めてここに街を作り始めた。
まず初めに、魔石の採掘に必要な人工を集めると、次いで彼らの生活に必要な宿泊施設や娯楽施設の建設に着手し、一つの大きな街とした。更に幸運だったのは、母フリッグの代に、オヤッさんこと、ドヴェルグがこの街に来てくれた事だ。それまで、この街では魔石の採掘だけしか出来なかったのだが、ドヴェルグという優秀な職人を得た事で採掘から加工までを一気に賄う事が出来るようになったのである。それにより、ここロンダールはエッダ家が所有する領地の中でも屈指の稼ぎを出すようになった。王家から払われる公金が騎士団の維持に消えていく最中にあって、ロンダールは文字通り、エッダ領の救世主となったのだ。
もしも、祖父のスノッリが手を打っていなければ、今頃エッダ家は経済難で領民たちの生活すら立ち行かなくなっていただろう。誰よりも先見の明がある祖父であった。
ロンダールに入ると、ウルはそのまま大通りを抜けて、そのまま採掘現場へと馬車を走らせた。既に魔獣の群れが出たという話が伝わっているのだろう。街中にはあまり人通りがなく、周囲の建物からは強い視線が感じられる。騎士団所有の馬車とはいえ、たった一台しか来ていないので、不満に思っているのかもしれない。
「おーい!オヤッさーん!」
「おう、来たか小僧。坊はちゃんと連れてきたのか?」
採掘現場の手前でウルが馬車を止めてそこに居た男に上から声をかけると、ウルよりも更に小柄で、鋭い目つきとたっぷりの髭を蓄えた男が返事をする。彼がドヴェルグなのだろう。彼が坊と呼んでいるのは紛れもなくバルドルの事である。かつて、冤罪に巻き込まれて全てを失い途方に暮れていた所を、バルドルの母で先代の当主だったフリッグが彼を保護してこの街で魔石の採掘と加工の仕事を与えたのだ。それ以来、ドヴェルグにとってフリッグは女神の如く尊敬する相手であり、その息子であるバルドルは唯一ドヴェルグが掛け値なしに信頼できると見込んでいるようである。
そんな二人の会話が進む前に、バルドルは客車のドアを開けてふわりと飛び降りた。肩に憑りついているフレイヤに影響されたのか、少し身軽な動きをしてみたくなったらしい。バルドルはどこか、子供っぽい所のある青年であった。
「……坊は止してくれよ、ドヴェルグ。俺はもう26だぞ」
「ふん、お母上に比べりゃあお前さんはまだまだ坊だろうよ、バルドル。しかし、よく来てくれた。これで何とかならぁな」
ドヴェルグはニヤリと笑って、バルドルの前に手を差し出した。それに応えて、バルドルもスッとその手を握り返す。姿形は似ても似つかないが、二人の信頼し合う姿を見たフレイヤは、今は亡き父と兄の姿を思い浮かべて、胸を痛めるのだった。
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