波乱の幕開け
八十年前の恋人の好物を覚えている所が、プレイボーイですね。
グラズヘイム王国、その王都にある王城・アウズンブラ。神話の時代に造られたとされるその巨大な城には、一部の王族しか知り得ない禁域が存在していた。
コツコツと乾いた足音が響き、磨き上げられた白い床石に漆黒のマントが映りこんでいる。そこは、アウズンブラの地下から繋がる広大な空間だった。天井付近には等間隔に設置された魔力灯があり、それらが空間全体を薄く照らしている。
城そのものが人間の使うそれとはかけ離れたスケールで作られているのは、ここが神話の時代に存在した巨人族の居城であったからという伝説がある。そもそも、この世界をかつて支配していたのは巨人族であり、その巨人族と戦って人の世を作り上げたのが主神トールとその仲間達である神々だったというのが、神話のあらすじだ。
神々は敵対する巨人族を討ち滅ぼし、自分達の後継となる人間を生み出して、人間にこの世界を与えたという。故に、主神トールは人類の祖であり、人々を導く雷神としてこの世界で崇められている。そして、およそ三百年程の昔、この地に生を受けたグラズヘイム王国の初代王は、周辺の国々を平定してグラズヘイム王国を建国した。それから長い時を経て、かつて平定した国々は独立し、いくつもの国家が生まれては消えたという。その中で唯一今も残っているのが、グラズヘイム王国なのだ。
この広い空間に、人間サイズの玉座は小さすぎるが、それでも構わずにその男は玉座にかけた。その玉座の前には人の腰の高さほどの石造りの寝台が設置され、その上には一人の女性が横たわっている。
一見すると、ただ寝そべっているだけに見えるが、よく見てみればその若く美しい女性の肌は陶器のように真っ白であった。心臓付近には剣を突き刺したであろう大きな傷があり、そこから血が流れ出てしまっている。つまり、肌があり得ない程に白く見えるこの女性は既に死んでいる……遺体だ。
男は玉座に座ったまま頬杖をつき、ニヤケ顔で呟いた。
「やっとお前をこの手に取り戻したぞ、フレイヤ。お前の魂を八十年もの間寝かせ、ようやく頃合いになって目覚めたかと思えば、どこの馬の骨とも知れぬ男に憑りついて行方不明になるとは予想だにしていなかった。だが、そのお陰でお前の魂に力が宿り、それがしっかりと活きている事が証明できたのは幸運だったぞ。あの男はそれに気付かず、お前とおままごとのような暮らしをして満足していたようだが……ククク、愚かなヤツだ。女神になり得る魂と結ばれながら、ごっこ遊びにもならんようではな。あれでは、女を満足させる事など出来るまいよ」
その男――ロプトは、どこからか取り出したワインとワイングラスを持ち出して静かにワインをグラスに注いだ。トクトクとグラスに収まっていく赤い液体は、まるで血のように濃い色合いをしている。そして、そのワインを魔力灯の光に照らしてゆっくりとそれを揺らした。
「ドゥマネサンマーニの7番、お前の好物だったな。……八十年前、これを飲んで頬を染めたお前は、確かに美しかった。もっとも、俺の野心について来られる女でなければ、俺の妻は務まらん。だから外に女を求めたのだが……思えばあの時からだ。お前をこの国の新たな女神として生まれ変わらせようと思ったのは。お前のように美しい女は、誰かの手に納めるものではない。お前は女神として、この国の全てを見守る存在になればいい。そうなる日は、もうすぐそこだ」
ロプトは底冷えのする笑みを浮かべ、注いだワインを一気に飲み干すと、グラスを高く放り投げた。床に落ちて粉々になったグラスには無数の怪物達の姿が映っていた。
目を覚ましたバルドルの元に、ちょうどスカディがやってきたのは本当に偶然だった。ヴォルトライン領から戻ったバルドルの体調を看ていたのは、魔術による治療が出来る彼女だったのだが、彼女は一日に二回ほど、バルドルの屋敷を訪れては処置をするというスタイルを取っていたのだ。
そして、ヴァーリが帰ろうとした矢先にバルドルが目を覚まし、そこへスカディが来たのである。
一通りバルドルの身体を看たスカディはうんうんと頷いてみせた。魔術による治療は、通常の回復魔法による治療よりも効果が高いらしい。ただし、誰に対しても一定の効果を発揮する回復魔法とは違って、魔術による治療は、患者によって大きく結果が異なるようである。ナンナが未だ回復しきれていないのは、どうやらその辺りに理由があるようだ。もちろん、ナンナの受けた傷がバルドルよりも重傷だったというのも理由ではあるのだが。
「よし、もう心配いらないね。傷も癒着しているし、魂の方も……うん、安定しているようだ。しかし、肉体だけじゃなく、魂にあれほどの傷を負うなんて普通じゃあり得ないことだよ。一体、何があったのか話してくれるかい?」
「……ああ、それはきちんと話すつもりでいた。ヴァーリも来ているし、ちょうどいい。まとめて話すよ」
そう言って、バルドルは全員を集めて話を始めた。フレイヤのこと、ローゲの正体が存命だったロプト王子だったこと。そして、フレイヤがバルドルの魂を守る為に離れてしまったことも、全てだ。それらを聞いた全員が言葉を失い、またその恐るべき計画に動揺していた。バルドルの言葉を疑うつもりは全く無いが、余りにもその内容は荒唐無稽で突拍子もないものだ。もしもバルドルが傷つき倒れた姿を目撃していなければ、誰も信じようとしなかったに違いない。
「……あの時あった事はこれが全てだ。奴は初めから、フレイヤの魂を女神とやらにしようと企んでいたらしい。そんな事が出来るとは俺も思えないが、スカディ、何か知っているか?」
「うぅん……正直、人間の魂を神へと昇華させるなんて、私も聞いた事はないね。ただ、ヘイムスクリングラは元々、神々が編み出した術だと聞いている。神の力を持ってすれば、それが必ずしも不可能だとは言えないかな。何よりも、そのロプトという元王子、ただの人間ではなさそうだしね」
「どういう事だ?」
「あのねぇ……君達はもう少し、ちゃんと神話を読むべきだよ。自分達のルーツとまではいかないが、私達人間がどこから来たのか記されている唯一の書物なのだから」
やれやれと言った顔をして、スカディは首をすくめて手を上げた。そう言われても、バルドルを始めとして、ほとんどの人間は神話をただのお伽話のようなものだと認識しているはずだ。だが、魔女であるスカディにとって、それは単なる空想や妄想の話ではないらしい。確かに、単なる創作として片付けるには納得のいかない部分もあるし、主神トールは今も人々を見ているのだから全てが嘘だとは思わない。しかし、それがどうしてロプトの話と繋がるのだろう。
キョトンとした様子でスカディの話を待つバルドル達に向け、スカディはやや大仰な身振り手振りを加えて話を始めた。
「ローゲやロプトというのはね、神話に登場するある神の別名でもあるんだよ」
「神の、別名…?」
「そうさ。巨人族と戦う神族の一員でありながら神族を裏切り、巨人族の側について神々を苦しめた唯一の悪神……そう、ロキの別名が、ローゲやロプトという訳さ!」
「ロキ……?そう言えば、そんな神の名を聞いた事があるな。いや待て、じゃあロプトは、そのロキという神だというのか?!」
「さてね。悪神ロキは巨人族との戦いが終わった後、裏切りの代償に地下深くの洞窟に封じられたとされているが、実際はどうだったのか、それは神のみぞ知ると言う奴だね。どちらにせよ、神の名を自称するくらいだ、只者ではないだろう」
ヴァーリやウル達はピンと来ていないようだが、実際にロプトと対峙したバルドルは、彼の超然とした素振りを思い出し、スカディの予想が間違っていないような気がしていた。ロプトが神や悪魔かどうかはさておき、常人とは思えない力の持ち主である事はその身で体感したばかりだったからだ。
「ともかく、奴がフレイヤちゃんを使って何かやらかそうってのは間違いないんだ。早いとこ行方を突き止めて何とかしなくちゃな」
「ああ、そうだな」
(待ってろ、フレイヤ。必ず俺が助けに行くからな……!)
その時、唐突に玄関から大きなノックの音が響いた。客は慌てているのか、かなり強くドアを叩いているようだ。全員が顔を見合わせていると、客は急いでドアを開け、室内に飛び込んできた。
「う、ウル隊長!いらっしゃいますか!?」
「うるさいっスねぇ、エーギル。何すか、怪我人もいるんスよ。もうちょっと静かに入って来なきゃダメっスよ」
「す、すみません!一大事でして……」
「どうかしたのか?何があったんだ?」
「あ、だ、団長!お目覚めでしたか!?良かった……あ、そ、それが大変なんです!王都に謎の怪物の群れが現れたと連絡が……!」
「……なんだと?!」
突如舞い込んできた思わぬ報せに、一同が驚愕する。こうして、何の前触れもない形でグラズヘイム王国に最大の危機が訪れたのだった。
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