バルドルとローゲ
遂にローゲの正体が…
「団長……バルドル様、よかっ…た……」
「ナンナ!……息はある、ゆっくり休んでいろ。もう誰もお前に指一本触れさせはしない」
バルドルの姿を見て安心したのか、ナンナはその場に崩れ落ち、意識を失った。バルドルは彼女の怪我の具合を確認し、安心した様子である。そして、怒りを露わにしつつ、黒衣の男を睨みつけた。
「俺の予想よりもずいぶんと到着が速いな。近くで待機していた訳でもあるまいに。何をした?バルドル」
黒衣の男がそう呟くのと同時に、暗闇の中からゆっくりと、赤い炎のような影が姿をみせた。ルゥムだ。バルドルはルゥムに乗って、一足先に救援へ駆けつけたのである。
「ルゥム、走り詰めだったのにすまないな。ナンナを頼むぞ」
「なるほど、ガルムを従えていたのか。ふん、あの森に死体が無かったのでもしやと思っていたが……確かに、ガルムの足ならば普通の馬などよりもよほど早く移動できるか。全く、貴様はつくづく俺のモノを利用するのが上手いようだ」
「ルゥムはモノじゃない。それに、最初にこいつを手なずけたのも俺じゃないさ」
バルドルの言葉に答えるように、彼のその背中にフレイヤの姿が浮かび上がった。フレイヤも鎧の中で、バルドルの身体に重なっていたようである。そして、黒衣の男を見据えている。
「バル、気を付けて。あの人、普通の人間じゃないわ。……なんだかとても、とても嫌な感じがする」
「ああ、そのようだな。君も隠れていろ、フレイヤ」
(でも、嫌な感じがするだけじゃない。私、このヒトを知っている気がする。でも、こんなに禍々しい気配を纏った人なんて覚えがないはずなのに……)
フレイヤはバルドルの鎧に潜みながら、男の気配に何かを感じ取っていた。それは本能的な感覚であり、何か理由があってそう感じたのではない。フレイヤの魂そのものが、その男の魂に触れて気付いたのだ。
「やはり、そこにいたのか。……返してもらうぞ。そいつは俺の、いや、この世界にとって必要な女神の卵なのだからな!」
「何……?」
バルドルは、男が何を言っているのか解らなかった。だが、その言葉に込められた憎悪と等しい執着は感じ取ることが出来た。この男の言い分が正しいかどうかはさておき、こいつは間違いなく、バルドルの持つ何かを狙っているのだ。それも、尋常でないほどの激情を持って。
男が次の行動へ出る前に、バルドルは素早くナンナとルゥムの傍から離れた。今、男の狙いは間違いなくバルドルだ。追い詰めれば卑怯にもナンナ達を狙ってくる可能性はあるが、この異常なまでの執着心は、そう簡単にバルドルを見過ごすとは思えない。となれば、現状では少しナンナ達から離れて、戦いに巻き込まないよう気を付けた方がよい。
バルドルの目論見通り、男はバルドルの動きに合わせて視線と身体の向きを変えた。二人の動きが繋がっているかのような、淀みなく迷いのない行動だ。やはり、この男はまずバルドルとの決着を狙っている。
「おおおっ!」
「その程度の動きで、俺を惑わす事など出来ん。『貫く雷霆の真槍』」
バルドルが素早く方向を変え、ジグザグに駆けながら男へと接近する。しかし、それを初めから見越していたかのように男は右腕から再び雷の槍を放った。男が狙いをつけたのはバルドル自身ではなく、その足元だ。そこに先程とは比べ物にならない程の出力で雷槍を打ち込んだのだ。バルドルの動きは素早く、何よりもその身に纏っている見た事もない鎧の防御力はつい今しがた目の当たりにしたばかりだ。いかに自慢の雷槍を直接叩き込んだとて、あの鎧が相手では効果があるかは疑わしい。だが、足元に衝撃を与えれば話は別だ。
電撃は地を伝い、バルドルの足を絡め捕るだろう。いかに鉄壁の防御力を誇る鎧が電撃そのものを防いでも、所詮バルドルは人間である。神ならぬ人の身では、物理法則から逃れる事など出来るはずがない。駆ける地を揺らし、或いは砕いてしまえば、両の足で立つ人間の力は大きく損なわれるはずだ。そうしてほんの一瞬でも動きを止めれば、必殺の威力を持つ二の矢や三の矢を放つ用意は出来ている。
まさに必勝の予想を持って、男は雷槍を打ち込んでみせた。それは完璧な程狙い通りに地面を砕き揺らし、飛び散る土塊や衝撃がバルドルの機動力を削いだ。
「そこだっ!」
「な……くっ!?」
しかし、男の予想は脆くも崩れ去った。バルドルが体勢を崩したかに見えたその瞬間、バルドルの背中から大きな翼が生えて、ふわりと飛んでみせたのだ。そして、一瞬の内に空中で加速し、いつの間にか手にしていた長剣の一閃が、男の眼前へと届いていた。
「ちっ、浅いかっ!?」
「キサマッ!」
バルドルの背に現れた翼は、どうやら彼自身の魔力が形となったもののようだ。一瞬だけバルドルの姿勢を補助した後、不意にそれは立ち消えてしまった。それは、バルドルがかつて修行の旅の果てに編み出した具象化した翼である。遠い異国の地でドラゴンを退治する事になったバルドルは、己の魔力を魔法に消費するのではなく、自らの身体能力を上げる為に使う事を考えた。その一つが、魔装義肢と名付けたオリジナルの魔法だった。
魔法の中には、己の身体を魔力で覆い、別の姿に変化させるものがある。その多くは失われた古代魔法に分類されるものであり、自身よりも強い生物の姿を借りて戦う事を目的としたものだ。その最たるものが竜体化と呼ばれる魔法である。
現在では使い手のいない幻の魔法だが、バルドルはその魔法の存在だけは聞いた事があった。空を飛ぶドラゴンと渡り合う為に、それをどうにか応用できないか?と考えて、翼を生み出す魔装義肢を編み出したのだ。
とはいえ、魔装義肢は非常に魔力の消費が激しい魔法である。普段ならまだしも、ミストルテインを鎧の魔剣として展開する為に大量の魔力を消費し続けている状態では、ほんの一瞬しか発現させることはできないようだ。
それでも、男の思惑を潰したのは大きな成果と言えた。バルドルの放った剣閃は男が目深にかぶっていたフードを切り裂き、その顔を露出させたのだ。
「その顔……やはり、お前が魔導具師で教団とやらを率いているローゲか!」
「ちぃ……!」
(だが、今の動きはただの魔術師や魔導具師のそれじゃない。まるでこちらの一撃を見切っていたかのような、歴戦の剣士のものだ。どういう事だ?コイツは、剣の訓練も受けているというのか?)
バルドルは今の一撃を避けられた事に驚きを隠せなかった。魔導具師という職業の人間を見るのは初めてだが、魔法を扱う人間の動きにしてはあまりに身のこなしが鮮やかだった。普通の魔術師や魔法使いであれば、躱す事はおろか、反応する事すら難しいだろう。魔力の強い魔法使いは、どうしても肉体的に弱くなりがちだからだ。
そして、黒衣の男……ローゲは、咄嗟にその顔を手で隠そうとしたが時すでに遅かった。バルドルの目にははっきりとその顔が見えている。以前、ヴァーリが集めて持ってきたローゲの似顔絵に、瓜二つだったからだ。紛れもなくその顔は、ローゲという男のものだった。だが、その一方で。
「あ、ああ……あああ…っ!?う、嘘よ…そんな……どうして」
「フレイヤ?どうした?!」
バルドルの目を通してローゲの顔を見たフレイヤは、瞬く間に怯えと動揺に支配されていった。彼女から見たローゲの顔は、生前に飽きるほど見た人物のものだったからだ。
「ろ、ロプト……様」
「……ふん、気付いたか、フレイヤ。久し振りだな」
「な、なに!?ローゲが……ロプト?!」
思いもよらぬ事実の連続に、バルドル達の動きが止まる。悪霊令嬢と光の騎士、二人の奇妙な運命の歯車がここに大きく動こうとしていた。
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