女神の卵
ここで来てこその…!
見下ろす男の顔はフードに隠されていて、どんな顔をしているのか窺い知ることは出来なかった。ただ、小さな焚火の灯りが男の目に反射して怪しい紫色に輝いている。
ナンナとラニアはこう見えて、長い間コンビで戦ってきた間柄だ。二人は同年代だが、ラニアは口減らしの為に騎士団へ奉公に出され、ナンナはフリッグに孤児として拾われて育った経緯を持つ。二人は切磋琢磨して騎士団内で実力をつけ、遂に三番隊の隊長の座を懸けて戦うことになった。どちらが勝っても、強い方が上に立ち、負けた方は腐らず相手を支える。そうして雌雄を決して、ナンナが三番隊の隊長になったのである。
そもそも、先代のフリッグが女性だったこともあって、二人は女であるからという理由で見くびられた事は一度もない。エッダ騎士団は元々性別なく働ける職場だ。確かに、筋力という意味では女騎士は男の騎士に一歩劣る面がある事は否定しないが、動きのしなやかさや、魔力による能力の底上げで挽回できるものだ。
一方で、女性だからこそ必要とされる事態もある。今回の男性嫌いなヴォルトライン伯爵の例がまさにそれだ。もちろんその逆もあるだろう。エッダ騎士団に在籍する者達は、決してそれを卑下するのではなく、性別の差異を上手く利用して活動しているのだった。
「ラニアッ!」
「はいっ!行きます!」
そんな二人だからこそ、多くを語らずとも、自然と相手の意思を察して行動することが出来た。二人が現状で最優先とすべきは、守るべき避難民の保護である。それが共通認識である為に、その一言だけで二人は連携を取る事が出来た。
ナンナは剣を抜き、大木を駆け上がる。信じ難い動きではあるが、彼女の身軽さと強靭な脚力、それに速さを持ってすれば、例え垂直な壁であっても数メートルの平面を登る事は可能だ。そして、油断しているであろう黒衣の男へ横薙ぎの一閃を放った。
それと同時に、ラニアは身を翻して避難民と生き残りの三番隊の仲間達が集まっている方へ駆け出した。恐らくこの男が首魁だが、別に動いている存在がいるのも間違いない。ナンナが敵の頭を抑え、その隙にラニアが仲間達の元へ走る。そんな作戦を、二人は言葉もなく実践したのだ。
「ほう、やるな」
「なにっ!?」
だが、ナンナの攻撃は男にかすり傷一つ負わせる事は出来なかった。棒立ちに見えた男が僅かに一歩後ろへ下がると、男の姿が一瞬にして消えたからだ。文字通り、一瞬にしてだ。
まさか避けられるとは思ってもみなかったナンナだったが、すぐに気を取り直してそのまま幹を蹴り、身を丸くして空中で回転し着地した。一流の体操選手のような見事な着地は、立った後、ほんの微かにも体勢がブレていない。ナンナの最大の武器が、この身のこなしだ。こうしたアクロバティックな動きと、それについていける運動神経や三半規管の強さと技術が、彼女を強者揃いの騎士団内でも有数の女騎士として成立させているのである。
「どこだ……?」
ナンナは僅かに腰を落とし、周囲の気配を探る。煙のように姿を消したとはいえ、あの男が諦めたとは思えない。むしろ、その殺気は先程よりも遥かに強く感じられるほどだ。どこか近くでナンナを見て、隙を窺っているのは明らかだった。
「大したものだ。エッダ騎士団か、よく鍛えられているな」
「はっ?!き、きゃあああっ!?」
背後から男の声がしたかと思うと、振り向く間もなく突如としてナンナの身体を強烈な電撃が襲った。全身が痺れ、服や体の表面が焼けた匂いがする。痺れの為か痛みはそれほどでもないが、意識を持って行かれそうになった。
「ううっ!?こ、このっ!!」
気を強く持ったナンナは振り向きざまに剣を振るったが、やはり先程同様、その一撃は空を斬るばかりであった。だが、それでも意識を失わず反撃に出たナンナを褒めるべきだろう。それは男の方もそう思ったようで、男は少し離れた場所でナンナを見据え称賛の声を上げた。
「ふふ、見事だ。手加減などしなかったというのに、意識を失わないばかりか反撃まで出来るとは。平和な時代も長いというのに、あの頃よりも騎士達の腕は落ちていないようだな」
(コイツ、後ろから……どうやって?!着地する前に見た時、そこには誰もいなかったはず……!それにあの頃…?)
「しかし、例え腕があっても見逃しはしない。エッダ騎士団の者は全員殺す、一人残らずだ」
「お、おまえは……われらにうらみがある、のか……!?」
身体の痺れから、上手く言葉が発せられない。なんとか辛うじて絞り出した問いかけに、男は少し笑ったような気がした。
「お前達個人に恨みはないさ。だが、大将の……バルドルと言ったか?あの男は許せんな。俺の女を奪った罪は重い。代わりに、奴が大事にしているお前達騎士団の者共全てを亡き者にしてくれよう」
「おんなを、うばった……!?」
あり得ない、ナンナはそう叫びたかった。バルドルは女性が嫌いという訳ではないが、その扱いを特に苦手とする男だ。加えて金が無い上に、騎士として、また侯爵としての自分を第一に考えているからか、女性の気持ちを察するのが更に苦手である。そんな彼に、他人の恋人を奪うような事など出来るはずもない。そもそも、フレイヤが来るまで女性の影さえなく、同じ貴族の女性から敬遠され続けてきた男なのだ。かと言って、町娘や商売嬢に手を出す余裕もなかったのを間近で見てきたナンナには、それが言いがかりであることは疑いようもなかった。
「誤解、だ!あの人は……そんな器用な事が出来る人間では、ない……!」
「いいや、事実だ。あれは俺の大事な……この国に、いやこの世界にとって最も重要な女を奪ったのだ。これから新たな女神になろうかという、大切な女をな」
「な、なに……?!」
口の痺れは取れてきたが、まだ万全に身体が動かせるとは言い難い。だが、何よりも男の言い分にナンナは激しく動揺した。新たな女神になる女と聞き、彼女の頭の中に、フレイヤの姿が浮かんだからだ。それが何故なのかは解らないが、直感として、この男が言っているのはフレイヤのことなのだという理解が、脳裏に焼き付いたようだった。
しかし、仮にそうだとしたら、この男は一体何者なのか?フレイヤを自らの女と称する男などいるはずもない。彼女は八十年も前に亡くなった幽霊なのだから。いるとすれば、生前の婚約者であったロプトという王子だろうか。だが、その王子も過去の人物のはずだ。混乱するナンナを横目に、男は右手をかざして小さく何かを呟く。
「来たれ、神罰の雷よ。『貫く雷霆の真槍』」
激しい火花を上げながら、男の手に雷の槍が現れた。森の中でそんなものを放てば、途轍もない被害が出るだろうが、ナンナ達を皆殺しにしようという男にとってそれはむしろ好都合なのだろう。その雷を前にして、ナンナは本能的に己の死を悟った。
(ああ、もう……ダメだ)
「諦めたようだな。では、死ね」
無感情な言葉と共に、雷の槍が男の手から放たれた。眩しい輝きに目をつぶったその瞬間、背後からナンナの前に何かが飛び出して、その雷を遮ってみせた。いつまでも来ない衝撃に恐る恐る目を開けるとそこには何者かの姿が見える。いるはずもないその人物の姿を見たナンナは、へたり込むようにしてその場に腰を落としていた。
「あ、ああ……どうして、どう、やって…あなたが」
「ナンナ、よく頑張ったな。もう大丈夫だ、後は……俺に任せろ!」
「来たか……!」
雷よりも眩しく輝く鎧を全身に纏ったバルドルが、そこにいたのだ。
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