なし崩し的に
不憫なバルドルです
宿屋の主人は、重々しい口調で話を続けた。それは、どうにも信じ難い内容の話であった。
「あの霊はどういう訳か一日に一度だけ、決まってお客様が風呂に入っている時に現れるのです。初めは玄関から、次は中庭……と、少しずつ近づいてくるようです。そして、あの霊は何故か、人に見つかるとまた玄関へ戻るのです。そうして、それを繰り返している内に、噂が広まってしまいまして……」
「それは中々厄介ですね。そんな噂が広まってしまっては、客足は遠のく一方でしょう。いい宿なのに勿体ないですね」
フォルセティは主人の話を聞き、うんうんと頷きながら答えている。一方のバルドルは既に魂が抜けたようになっていて、ほとんど話を聞いていないようだ。
「この店は、我々が辿り着いた最後の砦なのです。それがこんな事でダメになるというのは、余りに忍びなく……どうしたものかと途方に暮れておった所、たまたま、ビフレストの商店街からくじ引きの景品として宿泊券を出してもらえないかとお声がかかりまして。宣伝にもなりますし、ビフレストまではまだ幽霊の噂も広まっていないだろうと、話に乗らせて頂いた次第です。黙っていて申し訳ございませんでした」
「ふっ、そういう事なら任せなさい。ここにおわすお方こそ、このエッダ領の領主にして、グラズヘイム王国最強であるエッダ騎士団の団長、バルドル様だ。あんな霊の一匹やそこら、団長の敵ではないさ!そうですね?団長!」
「えっ!?」
ナンナから唐突に水を向けられたバルドルは、ただ反応するだけで精一杯であった。霊が出る宿屋と聞いた時点で、もう既に帰りたい気持ちで一杯だというのに、この話の流れからすると帰るとは言えない空気である。そんなバルドルを事など気にも留めず、ナンナと宿屋の主人は更にテンションを高めていく。
「おお!なんと、では領主様があの有名な、光の騎士侯爵様でいらしたのですか?!」
「そうだとも!団長は心優しく、領民の為ならばどんな苦労も厭わないお方だ!必ずやあの幽霊を退治して下さるさ!」
「いや、ちょ……待」
「何と心強いお言葉を……!ありがとうございます、何卒宜しくお願い致しますっ!」
「な……は?え?ええええっ!?」
既に事を拒否できる状況ではなく、バルドルは思わぬ形で幽霊退治をする羽目になってしまっていた。
「どうしてこんなことに……はぁ、帰りたい」
その日の深夜、ちょうど日付が変わる頃、バルドルは窓際に座って外の景色を見ながらうなだれていた。フレイヤが幽霊を見たと言った時から嫌な予感はしていたが、まさかそれが現実のものになるとは思っていなかったようだ。何故あの時様子を見ようなどと言ってしまったのか。あの時点で帰ると言っておけば、こんな事に巻き込まれずに済んだはずなのにと、悔やんでも悔やみきれない様子だ。
「まぁまぁ、いいじゃありませんか団長。たかが幽霊など、光の浄化魔法一発で済む話ですよ」
「フォル、お前な……他人事だと思って簡単に言うなよ。どこに潜んでいるか解らん霊を浄化するとなると、相当な広範囲を対象にしなきゃならないんだぞ。場所が場所だし、下手をすれば山一つ丸ごとだ。そんな事出来ると思うか?」
「それは確かに厳しいですが……」
「だろう?ってことは、浄化するにしても対象を絞らなきゃいけないんだ。つまり、その霊と直接相対しないといけないんだぞ!?ああ、嫌だ。恐い、やりたくない帰りたい…!」
すっかり怯えてしまったバルドルは戦う意欲さえ失っていた。よほど男の霊と対峙するのが嫌らしい。いかにバルドルと言えど、どこにいるか解らない相手を魔法で狙い撃つことなど出来はしない。件の男の霊が普段は姿を現さない以上、闇雲に浄化魔法を使っても意味がないのである。かといって、まさか山一つにも及ぶ範囲を浄化魔法で浄化するなど出来るはずもないのだ。必然的に、男の霊が現れるタイミングを見計らって霊と対決する必要がある。
「でも、あの幽霊の人は一日に一回、お客さんがお風呂に入ってる時しか出て来ないんでしょう?そう言えば、あの時もバル達がお風呂に入ってる時だったわ」
「そうだな。それに理由は解らないが、家人に見つかると最初の玄関付近に戻るらしいし、見つけるのはそう難しくなさそうだ。……他に客がいなくて助かったな」
宿屋の主人によると、客が多い状態だと二十四時間いつどのタイミングで風呂に客が入っているか解らず、見つけられないこともあったらしい。出来るだけ頻繁に従業員が巡回をして発見する確率を上げていたらしいが、それでも限界はあるだろう。バルドルの言う通り、今は客が他にいないので、見つけやすいとも言える。
解らないのは幽霊の目的くらいのものだが、それは敢えて知る必要はないだろう。フレイヤの時とは違って、手心を加える必要はないのである。発見し次第早々に、浄化で消し去ってしまうのが得策だ。
「今夜は霊の出る宿で寝るのか……はぁ、憂鬱だ」
「大丈夫よ、バル。私が見守っててあげるから!」
「そういう君も幽霊なんだがな……クソ、恨むぞナンナ」
バルドルは憎々し気な視線を送ったが、あれだけ自信満々に大口を叩いたナンナは、既に夢の中である。彼女はどうやら夜更かしが苦手なようだ。バルドルからの好感度がだいぶ下がってしまったようだが、仕方ないことだろう。結局、幽霊探しは日が昇ってからに持ち越す事となった。何やらフレイヤへの苦手意識まで復活しつつあるバルドルだが、どうも以前、夜中に目を覚ました際に見た血塗れのフレイヤの姿を思い出したらしい。あれはバルドルの人生の中でも、トップクラスのトラウマなのだ。未だにフレイヤがバルドルの寝室に出禁なのも当然だろう。
こうしてバルドルは、震えながら布団の中で朝を待つのだった。
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