人気宿になれない理由
今エピソードはギャグ回です。
「は?幽霊を見た!?」
風呂上りで湯気の立つ髪を拭きながら、バルドルが素っ頓狂な声を上げた。あの後、フレイヤは辺りを探してみたが、男の霊はどこにも見当たらなかった。どうやら、本当にどこかへ消えてしまったらしい。
フォルセティとナンナも同じように髪を乾かしたり、水気を拭き取ったりしながらその話を聞いていた。ただ、二人の方はあまりピンと来ていないようだ。この二人、実は霊という存在に直接触れあったのはフレイヤだけなのである。レイスやスペクターは数の少ないモンスターであり、有効的に対処するにはバルドルのような光魔法の使い手か、もしくは、霊体に有効打となる魔法を扱える魔術師でなければならないからだ。
フォルセティの所属する二番隊は、隊長であるベーオウルフを始めとして、魔法よりも武器を使った格闘や武術をメインとした部隊である。風魔法が得意というフォルセティでさえ、戦闘においては魔法よりも武器の扱いの方が上だ。そして、ナンナ率いる三番隊も同様であった。その為、意識的にそう言った敵との戦闘には振り分けられていなかったのだ。
「うん。話しかけたんだけど、すぐに消えちゃって……その後探したんだけど、見つからなかったわ」
申し訳なさそうなフレイヤだったが、フレイヤには何の責任もない。むしろ、よく知らせてくれたと言うべきだろう。それが解っているからか、バルドルは彼女を責めるようなこともなく、ただ静かに頷いた。
「……そうか。まぁ、今の所は様子見だな。別に実害がある訳でもないしな」
「はぁ…団長、足が震えていますよ」
「ふ、ふふふ…ナンナ、何を言っているんだ?これは、武者震いというやつだぞ?ハッハッハ」
「団長、それはコップじゃなくて花瓶です」
(そう言えば、団長は幽霊だのが大の苦手なんだった……この所、フレイヤさんと一緒にい過ぎて忘れていたな)
震える手で花瓶を掴み、中の水を飲もうとするバルドルをナンナが止めている。そんな二人を見て、フォルセティはバルドルの弱点がホラーやオカルトであるのを思い出したようだ。しかし、この姉弟は根っからのバルドルガチ勢である。この程度の情けない姿を見たぐらいでは、バルドルに対する印象を損なうことなどない。むしろ、逆に庇護欲が増すのだから恐ろしい姉弟だった。
「団長、そんなに怯えなくとも、その程度の雑霊など我々が駆除してご覧に入れます。行くよ、フォル」
「ああ、姉さん。任せてください団長!行ってまいります!」
「え、おい、二人共ちょっと待……」
「行っちゃった。……大丈夫かしら」
「あの二人どうするつもりなんだ?今日は装備も持ってきてないというのに」
そう、ミストルテインを持ち歩いているバルドルと違って、今日のナンナとフォルセティは完全に丸腰である。普段ならば剣の一振りも佩いているはずだが、バルドルを休ませようとする余り、二人は率先して武器を置いてきてしまったのだ。しかも、風呂上がりで着ているのは浴衣一枚ときている。そこらのチンピラや獣程度ならともかく、レイス相手に戦えるとは思えない。凄まじい勢いで飛び出していった二人の背中を、バルドルとフレイヤは呆然としながら見つめていた。
「すみません、団長。大口を叩いておいて、結果も出せずにおめおめと……」
「いやまぁ、気にするな。仕事で来たんじゃないんだし。そもそも、その霊とやらの目的も不明だからな。さっきも言ったが、様子を見よう」
一時間程して、二人は部屋へ戻って来た。勢い込んで出て行ったものの、フレイヤの言った通り男の霊はどこにも見当たらなかったらしい。そもそも、もしもその霊が厄介なレイスだった場合、何の装備も対策もなしに相対すれば危険だ。そういう意味では出くわさなくてよかったのだと、バルドルは思っている。ちなみに、バルドルに余裕がありそうに見えるのは、この部屋が四人部屋だからだ。仮に夜間を一人ずつの個室で過ごすことになっていたら、バルドルは逃げ出していたかもしれない。
「お客様、失礼致します。お食事の用意が出来ました」
ちょうどその時、夕食を持って数人の仲居がバルドル達の部屋にやってきた。手際よく四人分の食事が用意され、室内に美味しそうな匂いが漂っている。夕食はイースタ式で、米を中心に刺身や煮物など、和食に似た料理であった。イースタの料理はどれも色彩豊かで見た目にも楽しいものばかりである。一人分のボリュームもかなりあるようで、あっという間に食卓が一杯になっていた。
「私、生のお魚を食べる所なんて初めて見るわ。私は食べられないけど……」
「割と一人分が多いんだな。まぁ、フレイヤの分は三人で分けよう。それじゃ、いただきます」
「いただきます」
フレイヤが感心しているのはキヌという川魚の刺身である。本来、淡水魚は刺身に適さないはずだが、ここのキヌは養殖で、かつ魔法によって下処理がなされている為、寄生虫などの心配はないという。そもそも、キヌは寄生虫など入り込む隙が無い頑丈な魚だ。養殖であっても非常によく泳ぐので身がしまっていて、適度に脂ものっているという理想的な魚である。
作家であり、美食家でもあったメリル・タッカーは、キヌを「人間に食べられる為に生まれてきた魚」と自作の中で評していた程だ。
ちなみに普段、フレイヤの食事は陰膳として少量を用意し、後でバルドルが食べるというスタイルを取っているのだが、今回は宿ということでまともに一人分が用意されていた。とはいえ、一人分を三人で分けるならば大した量でもない。フレイヤが一頻り料理を目と鼻で楽しんだ後、それらは綺麗に三人の胃袋へ収められていった。
そんな楽しい食事が終わる頃、バルドル達の部屋を再び宿の主人が訪れた。どうやら挨拶にきたらしいが、精悍な顔つきの主人の表情には昼間見た時よりも少し影があるように思える。
「お客様、お食事はいかがでしたでしょうか?」
「ああ、旨かったよ、ご馳走様。風呂も露天で気持ちがよかったし、この宿は流行りそうだな」
「ありがとうございます。領主様に認めて頂けたのであれば、我々も胸を張って営業出来るというものです」
「しかし、これだけの宿である割に、他の客の姿が見えませんが?いくら出来たばかりで知名度が低いと言ってもおかしいのでは?」
フォルセティがそう指摘すると、主人の顔は一層暗くなり、押し黙ってしまった。そしてやや間を置いてから、ポツリポツリと訳を話し始めた。
「……我々は以前イースタで宿屋を営んでおったのですが、自然災害に遭って、宿が潰れてしまったのです。しかし、イースタは小国ですから保障などもなく……途方に暮れておった所、ここエッダ領の噂を聞きました。元々、グラズヘイム王国は災害やモンスターも少ない平和な国だと聞いておりましたし、その中でもエッダ領は特に良い土地だと聞き一念発起して、行く宛ての無かった従業員達を連れて移住してきたのでございます」
「そうか、苦労されたんだな。しかし、他国にまでエッダ領の事が噂になっているとは驚いたな。だが、それと客が少ないのはどういう繋がりが?」
「この宿は知人の紹介で、居抜きで買う事が出来ました。それ自体は本当にありがたかったのですが……実はこの宿には、出るのです」
「で、出るって……?」
「はい、無念を残して死んだ、男の幽霊が……」
「ヒッ!?」
「団長、静かに」
ナンナに叱られたバルドルは身震いしながらも、口を結んで耐えていた。そして、宿の主人の話は尚も続く。
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