幽霊騒動、三度
キャッキャウフフのお風呂回にはならなさそう…!?
「わぁ!これが温泉宿なのね。木と紙で出来た建物なんて凄いわ」
ナンナがくじ引きで温泉宿泊券を当ててから数日後、バルドル達一行は、エッダ領内に新しくオープンした温泉宿『伽藍堂』へやってきていた。
「ようこそおいで下さいました。……いや、まさか領主様御一行とは思いませんで、その節は大変失礼を…」
「ああいや、構わないから頭を上げてくれ。今日は普通の客としてきたんだ。よろしく頼むよ」
バルドルがそう言って心付けを渡すと、宿の主人はニッコリと笑って部屋へ案内してくれた。本来、宿泊券で泊れる部屋は一番グレードの低い部屋のはずなのだが、通されたのはかなり大きな部屋である。大丈夫なのかと聞いたのだが、主人曰く今は空いている部屋だから問題ないとのことだった。
ここ伽藍堂は、エッダ領内の中でも少し辺鄙な場所に建てられた宿だ。ロンダールとは別の大きな山間にあって、集落からも離れている。ちょっとした秘境の温泉宿という趣だった。
「いい部屋ですね。外の景色も素敵です!見て下さい、すぐそこが滝ですよ!」
「はは、ナンナのお陰だな。ありがとう、ナンナ」
「い、いえ!そんな……ただ、バルドル様がお疲れを取って、日々の仕事にもっと取り組んでもらおうと思ったまでですので!」
「今以上にか……頑張るよ」
バルドル的には相当力を入れて仕事に励んでいるつもりなのだが、ナンナからみるとまだまだらしい。とはいえ、これはナンナの照れ隠しであり、実際はナンナもバルドルが仕事の手を抜いているとは微塵も思っていない。まぁ、いつもより辛辣な物言いでないだけマシといったところだろう。
「ねぇ、ここってベッドはどこにあるのかしら?寝るのは別の部屋だったりするの?」
「いや、ここはイースタ式の宿だから、寝る時間の頃になったら従業員が布団を敷いてくれるはずだ」
「フトン?」
イースタとは、グラズヘイム王国よりも東にある小国の事を指す。中世日本によく似た文化の国であり、伽藍堂が和風の宿なのはそのせいである。
「綿と布で出来た寝具の事さ。硬いのが敷布団、軽くて柔らかいのが掛布団だ。懐かしいな、イースタの宿に泊まった時を思い出す」
バルドルは遠い目をして、過去の修行の旅を思い出しているようだ。数年かけて世界中を旅しただけあって、イースタの文化にも詳しいらしい。住み込みで働いていたというのも、恐らくはその宿だろう。
ニコニコ顔でバルドル達の相手をする主人の後ろで、仲居と思しき女性が二人、チラチラとバルドル達を見ながらどこか緊張した面持ちで仕事に取り掛かっている。その様子にフォルセティだけがそれに気付いて、内心で首を傾げていた。
(あの女性の従業員二人、様子がおかしいな。団長が領主だからかと思ったが、そういう訳でもなさそうだ。……何事も無ければいいが)
「詳しいのね、バルは」
「まぁな。イースタには二カ月ほど滞在したが、いい経験だったよ。食事も旨かったし……そう言えば、ここの食事もイースタ式かな?」
「はい!当宿自慢の絶品イースタ料理をお楽しみ頂けますよ」
「それは楽しみだ」
旅行に出発する前は、あれだけ渋っていたバルドルだったが、なんやかんやで宿についてみれば誰よりも楽しんでいるようだ。いつまでも仏頂面でいられるよりはよほどいいが、テンションが高すぎるのも少し考えものである。
「バルったら、よっぽどそのイースタって国が好きなのね。あんなに楽しそうな姿、見た事ないわ」
「ああ、はしゃいでる団長かわいいなぁ…」
「……ナンナ、普段からそうやって接すればいいのに」
ボソッと呟くナンナを横目にフレイヤは苦笑しながらツッコミを入れる。こうして温泉宿でのやり取りは和やかに進んでいった……そう、この時までは。事態が動いたのはこの少し後である。
部屋に荷物を置き一息ついてから、バルドル達はそれぞれ風呂に入ることにした。フレイヤもナンナと一緒に女湯の手前までは行ったのだが、フレイヤは霊体なので湯に浸かる事は出来ないので、彼らが上がるまで近くを散歩して回ることにしたようだ。
「凄いわ、建物のすぐ傍が森で木々の匂いや騒めきまで間近に感じられるようになってるのね。これが温泉宿かぁ」
本館と露天風呂を繋ぐ渡り廊下を歩きながら、フレイヤはその趣に感心していた。基本的に、グラズヘイム王国の建物は自然と生活の場を分ける造りになっている。貴族の屋敷ならばある程度の庭園などもあるが、それも母屋からは離れた場所に温室や植物園を作るものだ。イースタのような自然との調和を目指した家づくりは珍しいのである。
(あら、また……やっぱり、幽霊って目立つのかしら)
そうしてフレイヤが景色を楽しんでいると、すれ違った従業員から少しだけ忌避の感情が感じられた。人間の感情が見えるフレイヤには、ここへ来たときから宿の従業員達が自分を見る時、僅かに怯えや嫌悪感を抱いているのが解っていた。それは、普通の人間ならば当たり前の事なのかもしれない。今は生前とほぼ変わらない美しさを取り戻したとはいえ、フレイヤはよく見れば足先がない。幽霊そのものなのだから。
しかし、流石に従業員達は接客のプロである。彼らが見せる拒否反応は本当にごく僅かで、普通の客ならば絶対に気付かないものだろう。フォルセティにしろ、フレイヤにしろ、特殊な感覚や能力を持っているからそれが見通せるのだ。それが解っているからこそ、フレイヤは従業員達の感情を気にしないことにしていた。下手に気を使うと、彼らのおもてなしの心を台無しにしていまいかねないからだ。
「それにしても、緑が豊かな場所ね。生きていた頃ならもっと……あら?」
改めて森に視線を向けた時、木々の向こうに一人の男性の姿が見えた。身なりは普通の人間のようだが、纏っている気配が尋常ではない。そこだけ光を吸収しているかのように暗く、重い影を落としている。あれはどうみても、幽霊である。
「ゆ、幽霊…!?どうしてこんな所に……って、何か見てる?」
その男の霊は、ただひたすらにじっと一点を見つめているようだった。その先にあるのはもちろん……露天風呂である。もしやという嫌な予感がして、フレイヤはそっと男の霊に近づいてみた。すると、その男は小さな声で何かを呟いているようだった。
「うらやましい…うらめしい、もう少し…もう少し……」
「あの……あなた、何をしているの?」
「っ!?」
フレイヤが声をかけると、男の霊はすさまじく驚いた顔をして振り向いた。血色の失せた表情だが、よほど驚いたのか冷や汗を垂らしている。
「ちぃっ……見つかった……!また、やり直し、だ……」
「え?ちょ、ちょっと!」
男の霊は舌打ちをして、ふっとその姿を消してしまった。後に残されたフレイヤは呆然とするしかなく、微かに聞こえる鳥のさえずりが、森の静寂を際立たせているようだった。
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