貴族の常識と世間の常識
幽霊って便利なような、そうでもないような…
「さぁ、着いたぞ。ここが我が屋敷だ」
心なしかげんなりした表情のバルドルは、そう言って馬を降りた。時刻はすっかり夜、予定ではもうとっくに帰宅している時間だったが、仕方がない。一晩くらいの徹夜には慣れている。ただ、予定よりも長い時間馬を預けていた事で、予想以上に財布へのダメージが大きかった。それがバルドルにダメージを与えているのだった。
ちなみに、フレイヤは膝の上……ではなく、背中にくっついている状態だ。彼女は幽霊だけあって重さを全く感じない。それどころか、足が無いせいか、ある程度は空も浮けるのだから大したものである。少しだけ、馬が怯えていたのは仕方ないことだろう。
「まぁ……!ずいぶん、コンパクトなお家ね」
馬を馬房に戻している間、玄関の前に浮遊していたフレイヤが微妙な感想を言った。彼女のお屋敷からすれば、バルドル邸は自宅の馬小屋にも満たない小さな家である。大抵の女性は、エッダ家が侯爵家と聞いて豪勢な館を想像するらしく、バルドルの家に呼ぶとそれっきり連絡がつかなくなるのがお約束のパターンであった。
「……おかしいわ」
「何がだ?」
屋敷に入って、少ししてからフレイヤが呟いた時、バルドルは台所に立ってお湯を沸かしていた。エッダ家には使用人を雇うお金がないので、自分の事は自分でやるスタイルである。本来であれば、貴族は貴族らしく身の回りの世話を使用人に任せることで、お互いの仕事や領分が生まれるものなのだが、金がないのではそうもいかないのだ。
「だって、リビングとダイニングとキッチンが同じ部屋なのよ!?私が知ってる侯爵邸とは違い過ぎるじゃない!どうなってるの?!」
「そう言われてもなぁ……」
トポポポ……と、流れるような手つきでティーポットにお湯を注ぎ、茶葉が開くのを待つ。普段ならば出涸らしを使うので待つ必要もあまりないのだが、幽霊とはいえ曲がりなりにも公爵令嬢であるフレイヤに出すお茶が出涸らしではあんまりだろうと、バルドルは精一杯のもてなしを試みているようだ。もっとも、早晩そんな賓客扱いは出来なくなるだろう。彼女がバルドルから離れられないのであれば、嫌でもエッダ家の普通に慣れてもらわなければならない。なお、エッダ家では新しい茶葉を使った際には、朝昼晩の三回はそのまま使う。本当は二日目でもイケるのだが、衛生上泣く泣く処分しているのが実情だ。
茶葉の状態を確認してから、カップなどと一緒にヴァーリが持参したクッキーの残りを適当なボウルに移してテーブルへ移動する。フレイヤが信じられないものを見たような顔をしているが、バルドルはあまり気にしていないようだ。
そんなバルドルを見て、フレイヤはわなわなと身体を震わせてから、大声で叫んだ。
「お茶の!作法とか!マナーとか!あるでしょう!?」
「……あー、うん。すまない、うちはあまりそういうのを気にしない家だったんだ。社交の場ではきちんとするが、家では堅苦しくしなくていいという気風だったからな」
「そういう問題じゃないわ!?だから貴方モテないのよ!」
グサッと来る一言を浴びせられ、バルドルはぐぅの音も出せなかった。しかし、エッダ家はバルドルが生まれた頃には既にほぼ没落しかけていて、この有り様だ。今更、貴族としての生き方を考えろと言われても難しいのである。だが、正直な所を言えばそこまで怒らなくてもいいんじゃないかという気持ちすらある。
バルドルにしてみれば、恋愛というのはかなりハードルの高い難題だ。確かに、既に彼は26歳を超えていて、とっくに結婚か婚約相手が居てもおかしくない年齢にある。だが、貴族にはどうしても、家の格というものが存在する。名ばかりとはいえ侯爵である自分は、おいそれと町娘などに手出しは出来ない。かと言って、貴族の娘というのは結婚に際し、基本的に自分や実家のメリットを考えるものだ。この相手と結婚すれば、実家に援助をしてもらえるだとか、自分が結婚した後にどれだけ裕福な暮らしが出来るかなどが、結婚相手を決める判断材料になるだろう。それは当然だ。しかし、バルドル……いや、エッダ家にはそれがない。
バルドルは腕っぷしならば、王国の誰にも負けない自信はあるが、それを誇るような敵や事態が存在しないのでは無用の長物か宝の持ち腐れである。乱世であればこれ以上ない優秀な男でも、平和な時代に於いてはただの貧乏騎士でしかないのだ。
それを重々解っているからこそ、バルドルは恋愛や結婚に踏み込めないでいる。自分という人間の中身を見て判断してくれる女性に、もしも出会えたなら……という淡い希望くらいはあるが、仮にそんな女性が現れたとて、そんないい人物に自分の甲斐性の無さで苦労をかけるのも違う気がするのだ。自分の代でエッダ家を終わらせることだけは避けたいと思っているものの、具体的にどうすればいいのかが解らない。結局、バルドルはそんな調子で、恋愛に一歩踏み出せないまま、この歳になってしまったのだった。
バルドルは、やれやれと溜息を吐いて、怒った表情を崩さないフレイヤに紅茶を差し出してみた。
「俺の不徳については言い訳のしようもないが、そんなに怒らなくてもいいんじゃないか?ほら、もう飲み頃だぞ」
「怒るに決まってるでしょう!?いい?バル。貴方は騎士よ、騎士というのは自らの命と身体を投げ打って、貴族や一般市民を問わず守ってくれる大事な存在だわ!そんな人達が、こんな冷遇を受けて、その歳で婚約も出来ていないなんておかしいでしょう!私が生きていた頃は、騎士は誰からも頼りにされて尊敬された素晴らしい職業だったのに……こんなの間違ってるわ、絶対に!」
フレイヤが激怒しているのは、騎士という存在へ世間が無関心な事への憤りであったらしい。平和な時代なのだから仕方がないとバルドル自身が諦めていたのに、フレイヤが我が事のように怒ってくれている。その事実だけでも、バルドルは救われる気がした。
「まぁ、こればっかりは時代もあるからな。君がそうやって怒ってくれるだけでも嬉しいよ、ありがとう」
「バル。……まったく!貴方自身も変わらないといけないんだからねっ!」
本来のフレイヤは17歳、この位の年齢の女性がプリプリと怒る仕草は可愛く見えるものだが、如何せん彼女はずっと頭から血を流した状態である。そのヴィジュアルも相まって、正直、怒っていると迫力があってかなり恐い。ただ、それをストレートに伝えるのは、女性に対してあまりに容赦が無さすぎるだろう。バルドルは敢えてそれを言わず、ただ心の中で呟いた。
(こんなにも、騎士の事をよく思ってくれる女性がいるとはな。昔は良かった……と言い出したら年寄りだと思っていたが、俺もそんな歳になったのかもな)
バルドルは心の中で苦笑しながら、自分の紅茶に口をつける。久々に飲んだ出涸らしでない紅茶の香りは今までに飲んだどんなお茶よりも、爽やかな香りがした。
この後、幽霊なのにどうやって紅茶を飲めばいいの!?と八つ当たりをされることになるのは、別の話である。
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