悪霊令嬢の逆鱗
可哀想なバルドル…
バルドルの屋敷にスカディが訪れる僅か前、フレイヤはフワフワと宙を漂いながら屋敷へと向かっていた。その顔には何とも言えないバツの悪さが浮かんでいて、心なしか移動もゆっくりだ。
「うぅん……あんなにナンナが怒るなんて。まぁ、私もちょっとは悪かったと思ってるけど……」
どうやら、バルドルと喧嘩をしている事について、任務帰りで事情を聴いたナンナから大目玉を食らったらしい。確かに、バルドルの言葉が悪かったのは間違いないとはいえ、いつまでも顔を合わせる事を嫌って逃げ回るのも良くないだろう。二人共れっきとした大人なのだから、きちんと話をして誤解を解くべきだとナンナは怒ったようである。
フレイヤ自身、ちょっと怒り過ぎたかなという意識もあったようだ。なにせあのバルドルが、本気でウルとの仲を邪推するとは思えない。ウルに対しても、突然そこまで冷たくする理由はないのだからきっと事情があるのだろう。
そう頭では解っていても、やはり喧嘩した相手と顔を合わせるのは気が進まないものである。しかも、喧嘩と言ってもフレイヤが一方的に怒っただけなのだ。その上で一週間近くも逃げ回って、話すきっかけをフレイヤの方から潰してしまったとなれば、いくら優しいバルドルと言えど怒っている可能性は十分にある。フレイヤ的にはそれが何より恐ろしいのだ。
「いくらバルでも怒ってるかも……だって、私が逆の立場だったら絶対怒ってるもの。うう…でも、バルは私と違って根っから優しいし……とか言ってる間にもうすぐお屋敷だわ。……あら?」
バルドルの屋敷がフレイヤの視界に入った時は、ちょうどバルドルが玄関を開けて出てきた所であった。遠巻きなのでハッキリとは解らないが、若い女性とバルドルが何やら話をしているようだ。バルドルの方は余所行きの笑顔で対応しているが、喧嘩中という負い目のあったフレイヤには、その笑顔に胸が苦しくなる。
(誰なの?あの人……どうして私じゃない女の人に、そんな笑顔を…あっ)
フレイヤが疑念を抱いたその時、女はちらりとフレイヤの方に視線を向けた。そして、フレイヤと目が合った瞬間、その女――スカディは僅かに口角を上げて薄く笑い、そのままバルドルの胸に飛び込んだのだ。
「……お慕いしております!バルドル様っ!」
「なっ……!なんだって!?」
「ウソ……」
その衝撃的な状況を目の当たりにして、フレイヤは顔を両手で覆いながら呆然としている。そうして、まるで時間が止まったかのような静寂の後、バルドルは訳が分からない様子で声を荒げ、スカディを引き剥がした。
「なっ!なななななにをするんだっ!?君は一体……っ?!」
俄かに暗雲が立ち込め、周囲が突然暗くなっていく。バルドルが異様な気配を感じて空を見上げると、そこには恐ろしいまでの黒い情念に包まれたフレイヤが浮かんでいるのが見えた。
「ふ、フレイヤ!?帰って来てくれたのか……って、ま、マズい!?いや、これは違うんだ!本当に!何も!誓って!」
「どうして……どうして?私のせい?私のせいで、バルが、他の女と……」
アワアワとパニックになりつつも、バルドルは何とか弁解の言葉を口にする。特に疚しい事がなくても、こういう時の男というものは総じてダメになるものだ。次々に色々な事が浮かんで、冷静であろうとすればするほどパニックがパニックを呼ぶのである。そして、その反応が女性の疑念を生み、更なる疑惑と怒りの燃料へと変わっていくのだ。要は、泥沼である。
フレイヤの感情が色濃くなるにつれ、空模様は暗雲から雷雲に替わりつつあった。元々、フレイヤはヴァナディース公爵邸に何者かが立ち入ろうとすると天候が荒れるという怪奇現象を起こしていたはずだ。フレイヤが個の人格を持った幽霊となってからはその性質が発揮される事はなかったが、元来のフレイヤにはその力がある。それが今まさに、強い嫉妬の感情によって発現しかけているのである。
「ま、待て!待ってくれ、フレイヤ!誤解だ!この人とは何も……おい、君!一体どういう……い、いない!?」
バルドルが振り向くと、そこにいるはずだったスカディの姿はどこにもなかった。彼女から目を離したのはほんの一瞬だったはずだ。にもかかわらず、立ち去る足音だけでなく、後ろ姿さえも見えないのは異常である。それによって、これが何者かによって仕組まれた事態、即ち嵌められたのだと気付いたバルドルは驚愕した。その驚きが、更にバルドルの思考を乱れさせ、対応を遅らせた。
「ああああああっ!!」
「し、しまった!フレイヤっ!」
嫉妬と絶望がフレイヤを呑み込み、再びかつての血塗れな姿へと変貌していく。これまでにも何度か、フレイヤは闇に堕ちかけた事はあったがそれらは全てバルドルへの想いと、光魔法の効果によって寸前で収まっていた。しかし、今回はそのバルドルへの強い想いがきっかけなのである。今までのように元に戻せるとは限らない。
だからこそ、何としてもフレイヤの暴走は避けたいのだが、どんどんと渦巻いて高まっていく彼女の想念のボルテージは、とてもではないが簡単に事を終わらせてくれそうにはなかった。
黒雲が意志を持っているかのように上空に集まり、それに伴ってフレイヤの放つ圧迫感が深まっていた。このままではまずいと思っていても、フレイヤは屋根よりも高い位置にいて、近寄る事さえ出来そうにない。バルドルに出来るのは、言葉を投げ掛けることだけだ。
「ふ、フレイヤ、落ち着け!落ち着いてくれっ、頼む!」
「ば、バル……バルの………………バカァァァァァァァッ!!!」
「へ?…うぎゃっ!?」
天を衝くようなフレイヤの叫びが聞こえたと同時に、バルドルの頭上に強烈な雷が落ちた。並の人間やモンスター、或いは魔獣なら、一発で消し炭になってもおかしくない。文字通りの迅雷だ。バルドルには高い魔力による強靭な魔法耐性があるので命に別状はなさそうだが、それでも服はあちこち黒焦げになっているし、美しいプラチナの髪は無惨なパーマ頭になってしまった。
「う、うぐぐぐ…!い、一体何が……はっ!?ぎゃあっ!?」
「バカバカバカッ!バルのバカッ!この、う、浮気者ォォーッ!」
「し、心外にも程があるぞっ!?ぎゃあああっ!」
それからしばらくの間、バルドルの屋敷には激しい落雷が繰り返し発生し、近隣の住民達は恐怖に怯えたという。
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