タイミング
最悪のタイミングが…
「どう考えてもおかしい……妙だ、いや奇妙だ」
昼の温かな日差しが差し込む中で、一人、執務机を前にして呟いているのはバルドルだ。
フレイヤを怒らせ、ウルを尾行して問題となっている店を見つけたまではよかったが、それから何度あの店に行こうと試みても何故か店までは辿り着けずにいる。ウルがいては話がしづらいとバルドル一人で店に行こうとすると店には行けず、昨晩再びウルを尾行してみたらすんなりと店の前まで行けたのである。
初めは道を間違えたのかと思ったが、昨日ウルの後をついて行った時は間違いなく記憶の通りに進んでいたのだ。何度どう考えてみても、これは異常な事態だと言ってもよい。
認識を阻害されているのか、はたまた何か超常の現象が起こっているのかは不明だが、どちらにせよ只事ではないのは間違いなさそうだ。こうなってくると、改めてウルの身が心配になってくる。
「さて、どうしたものか」
バルドルの頭を悩ませているのは、この事態をどこまで大きく考えるかということだった。例えば、ウルが知らぬ間に瘦せ衰えているだとか、見るからに異常な疲労が蓄積しているような事があれば、これが悪だと確定できるが今の所そういった様子はない。むしろ、ウルの身体は健康そのものであり、多少浮かれている所を除けば、絶好調のようにも思えるのだ。まぁ、仕事に身が入っていないのは、危険に直結すると言えばそうなので、問題ではあるのだが。
そうなると、この事態をどう捉えるかが問題だ。ウルが浮かれている原因が謎の店であるなどと、誰に相談すればよいのだろう。少なくとも、ナンナにこんな話を持ち掛ければ、毛虫を見る様な視線を向けられ、真面目に仕事をして下さいと説教をされて終わりだろう。また、テュールやベーオウルフはろくに話を聞いてくれそうもないし、ウルをよく知っているドヴェルグに至ってはこの街にいない。フォルセティならば話を聞いてくれそうだが、彼もナンナとは違う方向でバルドルに心酔しているので、ウルの行動でバルドルが悩んでいるなどと聞けば、ウルに何をしでかすか解ったものではない。
なにより一番の問題なのは、もっとも頼りになりそうなフレイヤがいないことだった。
正確に言えば、フレイヤはいる。いないのは、バルドルの屋敷にいないという意味だ。先日、バルドルの態度に怒ったフレイヤは屋敷を飛び出して行ってしまったのだが、それ以来、彼女はろくに屋敷へ戻ってきていないのである。
どこにいるのかと心配してみれば、どうやら騎士団の隊舎にいるようで、報告によると日がな一日ルゥムと一緒に過ごしているらしい。それを聞いて迎えに行けば、つんと目を逸らして口を閉ざし、またどこかへ飛んで行ってしまったのだ。
他人に迷惑をかけていないのであれば、それ以上追いかけ回すのも良くないと考えたバルドルは、この数日ずっとウルの問題を解決すべく動いていた。そして、冒頭へと繋がるのである。
「弱ったぞ。今の時点で大事にしたくないとはいえ、こうも対処のしようがなくなるなんて……かといって、騎士団を動かす程の事態とも言えないしな」
街の中に得体の知れない店がある……それ自体は問題ではあるのだが、実害が全く無いというのに騎士団を動かせば別の問題へと発展しかねない。少なくとも王国法には、『客が店に辿り着くのを邪魔してはならない』などという法律はないのだ。法の抜け穴とは言わないが、全く想定していない事態なのである。今の時点ではあくまで内偵で済ませたいというのが、バルドルの本音であった。
「せめてウルがこう、死にそうになっているとか、危険に晒されているのなら良かったんだが……いや、良くは無いが」
人が聞けば誤解されそうな事を口にして、慌てて訂正する。どうやら、バルドルも混乱が極まっているらしい。こういう時、姿を消すことの出来るフレイヤならばウルがあの店で何をしているのか調べるのに最適なのだが、肝心のフレイヤがお冠だ。話を聞いてくれるどころか、顔も合わせてくれないのではどうしようもない。少なくとも、ウルの問題を解決しない限りは仲直りのきっかけにもならないだろう。しかし、その問題をどうにかするのに力を貸して欲しいのだ。まさに鶏が先か、卵が先かというやつである。
どうしたものかと頭を抱えるバルドルの耳に、来客を報せるノックの音が響いた。最近、玄関ドアに取り付けた魔石を使ったドアノッカーによるノックの音だ。屋敷のどこにいてもノックの音が聞こえるように増幅してくれるという、ドヴェルグの自信作である。
「客?この時間に?今日は来客の予定はないはずだが……」
机の上のスケジュール表を確認しても、特に来客の予定は書き込まれていなかった。曲がりなりにもバルドルは領主である、陳情目的の訪問や会談の願いはよくあることだが、その場合は必ずアポを取るものだ。だが、見ての通りそんな予定は組まれていない。つまり、これは突然の来客であり、予定外の事態を意味する。
フレイヤが来る以前ならば、暇な近所の住人が農作物を片手にフラっと立ち寄ることもあったのだが、最近ではそんなこともない。相変わらず好景気に沸くエッダ領にあっては、皆それぞれの仕事が忙しいのだ。暇を持て余している人間など、ほとんどいないのである。
とはいえ、何か急な用事でバルドルの元を訪れる者がいないとは限らない。今日に限って一人なバルドルは、ほんの少しだけ胸騒ぎを覚えつつ、玄関のドアを開けた。
「あっ!領主様ですか!?よかった、いらっしゃいましたね」
「……あー、すまない。どこの誰だ?流石に領民全ての顔は覚えていないんだ。何しろ、ビフレストだけで先日四万人を超えてしまったからな。嬉しい事だが」
そこにいたのは、長い黒髪をハーフアップに纏めた若い女性であった。眼鏡が良く似合う知的さと、朗らかな笑みが柔らかい雰囲気にマッチしている。控えめに言っても美人と称して差し支えない女性である。だが、バルドルにはその女性に心当たりが全く無かった。自ら言ったように、既に四万を超える住民がいるビフレストの市民全部の顔など、覚えてはいられないからだ。
「申し遅れました。私、七番街で小さな書店を営んでおります、スカディと申します。バルドル様のお噂を聞き、どうしてもお会いしたいと思って参りました。ご無礼をお許しください」
「無礼とか、別にそんな事は気にしなくていい。俺は確かに領主だが、領民を自分の下に見るつもりはないんだ。公的には一定の礼儀など必要になるが、どちらも同じ人間だからな。それで、その会いたいと思った理由はなんなんだ?」
「その……実は」
スカディは躊躇いがちに呟くと、ほんの一瞬だけ視線を逸らし、何かを確認したようだった。それが余りに自然な動きだったのでバルドルは特に疑問にも思わなかったようだ。だが、次の瞬間、彼女が取った行動は、バルドルの予想を大きく裏切るものであった。
「……お慕いしております!バルドル様っ!」
「なっ……!なんだって!?」
叫ぶように声を上げて、バルドルの胸に飛び込むスカディと、何が起きたのか解らずに固まるバルドル。それは一瞬のようで、永遠のようにも感じられた。ちょうど、その瞬間を見ていたフレイヤにとっても。
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