とあるウルの一日
幕間的なお話です。
「ふ~ふっふ~ふ~ん♪いやぁ久し振りの休暇とはいえ、フンパツし過ぎたっすかねぇ。まぁ、最近忙し過ぎたし、自分へのご褒美ぐらいは悪くないっスかね。ったく、誰かさんのせいで忙しさが殺人的で……ん?」
街中を気分よく歩いているのは、ウルである。先日のベーオウルフとバルドルの血闘による穴埋めの為、エッダ騎士団は総員で地獄のようなスケジュールで働かされていたが、ようやくそれも一段落したようだ。一足先に通常業務へ戻っていたバルドルは、王都での殺人事件の解決に奔走していたらしいが、それもウル達が任務から戻る前に解決したという。ならば、今日くらいは羽根を伸ばしてもいいだろうと、一人で趣味の為に出歩いているのだ。
そんな彼が足を止めたのは、小さな店舗の前だった。路地裏に構えられたその店は、大きな建物と建物の間にちょこんと建てられていて、日陰になっているせいかとにかく暗い。ウルがそれと解ったのは、入口の上に掲げられた看板が薄っすらと光を反射したからであった。
「こんなとこにお店なんかあったっスかね?ここんとこ街から離れてたからその間に出来たのかな。ま~でも、本屋っぽいし、入ってみるっス!」
上機嫌なウルは、特に怪しむ様子もなく店の引き戸を開け、店内へ入って行った。そう、彼の趣味とは、本屋巡りである。普段の言動や、軽い見た目から誤解されがちだが、ウルはこう見えて読書が趣味な青年である。読むのはもっぱら冒険記といった少年趣味だが、それも立派な文学である。
そもそも、ウルが騎士団に入ったのは、子供の頃に読んだ騎士の英雄譚がきっかけだ。
バルドルから数えて数代前のエッダ家当主をモデルにしたというその英雄譚は、当時の子供達の心を鷲掴みにした。内容は、幼馴染だった少年二人がとある理由から離れ離れになり、大人になって再会すると、片方は騎士団長、もう片方は山賊王になっていたという物語である。騎士となった主人公は、山賊を率いる山賊王が幼馴染の親友だったとは知らずに討伐へ向かうのだが、いざ対峙して剣を交えて初めて、互いにかつての親友だったと気付くのだ。
友情と悪を憎む心で板挟みになりながら戦う主人公、一方、山賊王として悪の道に浸りきった親友は、若干の躊躇いを見せつつも容赦なく主人公を殺そうとする。そんな二人の苦悩と友情を描いた作品は、少年だったウルの心に強烈なインパクトを与えた。そうして、すっかり騎士に憧れるようになったウルは成人して間もない頃に家を飛び出し、エッダ騎士団の門を叩いたのである。なお、ウルの実家は農家で、彼自身は三男坊であった為、ウルが騎士になる事を誰も否定はしなかったようだ。
「お邪魔しまーっス……おお、凄い雰囲気。ニオイもいいっスねぇ~!」
アンティーセという名のその店は、どうやら古本屋であるらしい。古書独特の匂いが店内に漂っていて、本好きにはたまらないようである。整然と集められた様々な本が本棚に立ち並び、ウルの心をくすぐった。既に両手一杯に本の入った袋を提げていたウルだったが、よほど店内の雰囲気を気に入ったのか、手ぶらであるかのように奥へと進んで商品を物色し始めた。本好きというものは、大体がこうなる生き物である。
「品揃えはかなり古いっスね。……おお?!こ、これ…メリロ・タッカーの推理旅行一巻じゃないっスか!しかも初版だ……お宝っスよ、コイツは!」
思いがけぬ出会いに驚きを隠さないウル。余談だが、メリロ・タッカーは数十年前に存在した作家の名前で、彼の推理旅行は彼自ら主人公となり、世界各地を巡っては勝手な推理で脳内事件を解決していく旅情ミステリー作品である。実際の旅先や出会った人物が作品に登場する一方で、中身は全て想像の産物というちぐはぐな作風がウケ、全十巻まで発売された人気作だ。
その中でも一巻は最も傑作と名高いのだが、発売当初はあまり人気が出なかったせいか出回った数が少なく、初版本は今でも好事家からかなりの値段で取引されているようである。
ハタと気付き、ウルが恐る恐る値札を確認すると、そこには信じられないほど安い金額が記されていた。捨て値…というよりも、物の価値を解っていない店主がずさんな値段を設定したような、子供の玩具にも満たないような安さだった。
こういう時、これ幸いと喜ぶのは一般人であり、マニアに等しい本好きは怒りを感じるものである。価値あるものが正しい値段をつけられていないと言う事は、それが低く見られているという証拠だからだ。もちろん、安く手に入れば嬉しいと思う気持ちはあれど、己の趣味までもが安く見られるのは我慢ならない、そんな感覚が近い。
ウルは思わず店内を見回し、店員か店主に一言、苦言を呈してやろうと考えた。本来、この本が市場で出回ればこの金額の十倍…いや、百倍しても足りないほどの値が張るのだ。真の価値を知る者として、ざっぱな値段でそこらの馬の骨に買われては本好きの名が廃るのである。
「……まぁ、どうしてもこの金額でって言うのなら、俺が買うのはやぶさかではないっスけども」
そうは言っても、エッダ騎士団が金欠であるのと同様、騎士達もそこまで金に余裕がある訳でもない、況やウルもそうなのである。この値段で買えるならこれほど嬉しい事がないのも事実だった。だからだろう、安く売ってくれるものならば欲しいと思ってしまうのは人の業というものなのだ。
推理旅行一巻を手に持って、ウルは店のさらに奥へと突き進む。外から見たよりもずっと広い店内について、怪しむ気持ちは全く湧いてこなかった。そして、行き止まりでようやく、支払いカウンターに辿り着いた。
「あれ?ここにも店員さんいないっスね。うーん、これじゃそもそも本が買えないっスよ…」
「あの……どうかなさいました?」
「うえっ!?」
突如背後から声を掛けられたウルは、素っ頓狂な声を上げて飛び上がった。その勢いに耐えきれず、本がびっしりと入っていた紙袋から嫌な音がする。一度破れてしまえば、紙袋は実に脆いものだ。あっという間に次々と破れ目が広がって、買ったばかりの本を床にぶちまける結果となってしまった。
「ああっ!?し、しまったっ!」
「あら。すみません、急に声をかけてしまったばっかりに……」
「い、いや、こっちこそすいません……っ……!」
散乱した本を拾おうとしたウルの目に、優し気な目つきをした女性が映りこむ。長い黒髪を垂らした女性は、その店によく似合った静けさを纏っていた。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白い」「気に入った」「続きが読みたい」などありましたら
下記の★マークから、評価並びに感想など頂けますと幸いです。
宜しくお願いします。




