平穏なある日
ヴァーリの気づきには、どんな意味が……?
ヴァーリがバルドルの屋敷にやってきたのは、事件の終わりから更に二週間ほど経過してからのことであった。
あの後、グリンの手当てをし、ナロンを拘束してヴァーリの屋敷に戻った時は、連日の疲れから見るも無残な有り様のヴァーリであったが、流石に二週間もあれば体調は回復したらしい。とはいえ、中々精神的な疲労までは抜けていないのか、訪れて早々にソファにもたれ掛かり、ぐったりした様子で天井を見上げていた。
「そうか、それじゃ何も情報は掴めていないのか」
「ああ……あの女、ナロンは完全に頭がイカれちまってるからな。教団やローゲについて、ほとんどまともに話は聞けてねーよ。一応、国教会の方で精神系の専門医が治療に当たっちゃいるが、どこまで回復するかは不明だとさ。ったくよ」
「ふむ。そこまで酷い状態になるとは思っていなかったが、魔力のコントロールが出来ていないんだろうか」
「いや、それがそうじゃねーみたいなんだ。ここへ来る前に改めて専門医から容態を聞いてみたが、どうも精神が歪んじまってるのは、別の要因みたいだな。そもそもあの女、闇属性の適正を持っちゃいたがそこまで強力な魔術師じゃなかったはずなんだよ。その証拠に、ナロンの身体には見た事もねぇ魔力紋が刻まれてて、それが本人の魔力を限界以上に高めていたらしい。どっち道、あのまま放っておいたら勝手に自滅していたはずだと、医者は言ってたくらいだ」
「なるほど……そこまで織り込み済みだったと言う事か。用が無くなれば捨てる、或いは、初めから捨てるつもりだったと……人間を、しかも自らの信者を使い捨てにするとはやはり邪教の神は恐ろしいな」
バルドルはそう呟いて、俯き目を伏せた。未知の魔法を使うとはいえ、限界以上の能力を持たせて犯行に及べば、いずれ限界がきてナロンは捕まっていただろう。それを見越して最終的に自滅するよう仕向けていたのだとすれば、それは神というよりも悪魔の所業である。
ヴァーリは特に憤りが強いようで、だらけた風にしているが、実際には赤々と燃えるような心の色が、フレイヤには見えていた。
「ナロンの家を捜査に入ってみたが、ありゃあロクな人間じゃなかったようだぜ。訳の分からん薬や道具がわんさか出てきたかと思えば、保存溶液に使った赤ん坊の遺体まであったんだ。お前の話を聞く限り、あれは多分、アイツの子供だったんだろうよ」
「そうか……」
ナロンは光に怯え、生命そのものを恐怖していたようだった。その理由は、彼女の口振りからして想像がつく。望まぬ子を産んでしまい、その命の責任を果たせぬままに亡くしてしまった事で、罪の意識に苛まれていたのだろう。哀れではあるが、身勝手過ぎる言動である。
ヴァーリが調べた所によると、ナロンは国教会で医師として働く内に、事件を起こした犯罪者を治療する任務を与えられていたようだ。犯罪者達の多くは、逮捕の際に抵抗したり、或いは元々暴れていた所を取り押さえられたりしている為、怪我人である事がほとんどである。その為、国教会からは治療魔法を使える医師が派遣され、罪人達の怪我や病気を癒す任務に就くことがあるのだ。
ナロンはその活動をしていた事で、微罪の犯罪者の情報を知り、今回の犯行を起こすようになったのだろう。
「グリンさんとミーシャちゃんが助かったのが、唯一の救いね」
話を聞いていたフレイヤがそう言うと、バルドルは「そうだな」と相槌を打った。グリンの傷も浅くは無かったが、流石は荒くれ者の棟梁だ。年齢とは不釣り合いなほど強靭な生命力で、一命を取り留めた。その数日後にバルドルは再びグリンの元を訪れ、持参したゴーレム魔石を使って、無事、ミーシャを治療する事が出来たのである。
ただし、どうやってそれを成し得たのかは絶対の秘密とし、口外しないよう言い含めた。よって、ヴァーリでさえ、ゴーレム魔石のことについては知らされていない。
「そう言えば、グリンはフレイヤを知っているようだったな?ずいぶんとフレイヤの言葉には素直に従っていた気がする」
「うーん、ちょっとだけ聞いてみたんだけど、どうも昔、私と会った事があるみたいなの。貴族のパーティがあって、そこで私を見たんだって話してくれたわ。……実は、私のファンだったんですって。私が生きていた頃の話だから、グリンさんはまだ子供の頃だったみたいだけどね」
「グリンが!?……ま、まぁそういう事もあるのか」
「そりゃあそうだろ。少し調べただけでも、当時のフレイヤちゃんの人気は凄まじかったみたいだぜ?ヴァナディース公爵家のフレイヤと言えば、泣く子も黙る絶世の美女だ、なんて語ってる当時の新聞記事があったぐらいだぞ」
「ええっ!ウソ!?私、そんな事言われたことないのに?!」
「……そう言うの、本人に直接は言わないんじゃないか?」
(っつーか、フレイヤちゃんが殺された事を報じた記事だったからなぁ。知らないのは当たり前だよな)
バルドルにしてみれば、初手の出会いが血塗れのフレイヤだったので、絶世の美女という評価には少々懐疑的だ。今でこそ確かに美しい姿ではあるが、血塗れだった頃のイメージは完全に払拭できていないのである。それだけインパクトのある出会いだったということだろう。ちなみにヴァーリが頭に浮かべているのは、ヴァナディース公爵家の一族郎党全てが惨殺されたことを報じた新聞の記事である。フレイヤが亡くなった後に発行されたものなので、フレイヤが知る由もないのは当然だ。
しかし、それを抜きにしても当時の貴族向け新聞や界隈の噂を辿れば、フレイヤという公爵令嬢がどれだけ凄まじい人気だったのか、手に取るように解るものだ。もしも、フレイヤが殺害されず、次期王とされていた王子ロプトの妻となっていたなら、王家の求心力や人気は今とは比べ物にならないものだっただろう。そうならなかったのは本当に惜しいと言わざるを得ないが、ヴァーリが気にしているのはちょうどその事件の直後から、国内の様子が一気に安定を見せ始めたことである。
魔獣の出現などが大幅に減り、他国との諍いも少なくなり始めたのはちょうどその頃だった。そこをきっかけにして始まり、現在にまで至る長い平和によって、エッダ騎士団は弱体化させられたのだが、この奇妙な符合はなんなのか?これらを結び付けて考えたものはおらず、答えは無い。
(ヴァナディース公爵一家惨殺事件の後から、この国はゆっくりと安定し、それ以来平和な時代が続いている……なんて、いくらなんでも考え過ぎだ。そんな事を言ったら、まるでヴァナディース公爵家が魔獣を生み出し、国同士の衝突を引き寄せてたみたいになっちまう。そんな事はありえねぇ。彼らはどこをどう調べてもクリーンで、貴族にありがちな疚しい部分が欠片も見つからなかったんだ。…だが、どうにも気になって仕方がねぇ。単なる取り越し苦労だと思いてぇけど、こんなことフレイヤちゃんには言えねぇよな。もちろん、バルドルにも……)
ヴァーリは並んでいるバルドルとフレイヤを眺めつつ、複雑な思いに胸を痛めていた。生者と死者、二人の間を隔てるものは余りにも大きい。しかし、その壁に負けない程、こうして目の前の二人は幸せそうに暮らしているのだ。今はまだ、この事を話すべきではないと判断し、ヴァーリは紅茶を啜っている。そうして、一時の平穏な日はゆっくりと過ぎていくのだった。
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