貴族専門医 ナロン
何やら怪しい女医さん登場…!
「バルドルはまだ戻って来てねーか……昨日の内に戻るって言ってたんだが、やっぱり何かあったのか?」
時刻は朝の七時を少し回った頃である。バルドルが王都を出てからもうすぐ24時間が経過する頃だ。バルドルに貸し与えたスレイプニルは非常に優秀な駿馬だが、丸々一昼夜を全力で駆けることは難しいだろう。そもそもそんな無茶をすれば、乗り手もただでは済まないはずだ。
スレイプニルは頭も良い馬なので、乗り手を危険に晒すような事は絶対にしない。もしかすると、どこか途中で休みを入れている可能性も考えられた。どちらにしても今はバルドルの帰りを待つ他ない。幸い、グリンが医者を呼び、ミーシャの治療を始めるのは週末だと言っていたので、まだあと一日は猶予がある。病み上がりのバルドルが無理をする必要はないだろう。
ヴァーリもまた冒険者達と協力して一晩中パトロールをし、ようやく家に帰ってきた所だった。未だ帰らないバルドルを心配しているが、彼自身も連日徹夜が続いていて、そろそろ休みを入れなければ限界が近い状態だ。そんなヴァーリを心配して、フレイヤはそっと声をかけた。
「ヴァーリさん、あなたも少し休んだ方がいいわ。バルが戻ったら必ず伝えるから、今は身体を休めて」
「フレイヤちゃん……そうだな。流石に四徹ともなると、ちょっと頭が働かなくなってきたぜ。お言葉に甘えて休ませてもらうよ。でも、君もあんまり無理しねーでくれよ」
バルドルが倒れてから、ヴァーリは一人で冒険者達を指揮する為に寝ていなかったので、素直に休むことにしたようだ。彼は執事のグラニに指示を出し、自室へ入っていった。
「さ、私はミーシャちゃんの所に行かなくちゃね。バルにも頼まれたし……あら?」
たまたま二階の窓から外を見下ろした時に見えたのは、大きな馬車であった。ゆっくりと進む馬車の設えは質素だが頑丈な造りで、国教会所有の紋章と医者を示すマークが描かれている。乗っているのは医療従事者だろう。この国では、医療行為は基本的に国教会が管理して行うものだ。専業の医者であっても、国教会で医師としての資格が無ければならないという制約がある。これは、国教会の神父達が使う魔法の中に、回復や再生及び、解毒などの効果を持つ魔法がある為だ。
基本的に医療というものは、万人に対して平等に施されるものでなくてはならないとされており、専業の医者は貴族などを相手にする極少数しかいないのである。
「お医者様?でも、どうしてあんなに大勢で……え、まさか」
その行き先を考えた時、フレイヤの中にある発想が浮かんだ。それは、目的地がムスペル一家の屋敷なのではないか?ということだ。貴族街だけあって、どこかの貴族がお抱えの医師を呼びつけるのはおかしなことではないが、無関係と考えるにはこのタイミングはいささか出来過ぎである。だが、グリンが医者を呼ぶと言っていたのは週末で、まだ一日早いのだ。バルドルが戻っていない今ではマズいのである。
「と、とにかく確認しないと……グラニさん、私、ちょっと出かけてきますね!」
フレイヤは慌ててヴァーリの屋敷を飛び出し、馬車の後を追った。だが、もし本当に馬車の行き先がムスペル一家の屋敷だったら、どうすればいいのだろう。そんな疑問が頭に浮かんだものの、落ち着いて考える余裕もない状況では答えなど出る訳がない。どうか、違う家でありますように…と祈りながらも、馬車が到着したのはやはり、ムスペル一家の屋敷であった。
「どうしよう!?せめて、バルが戻ってくるまで時間を稼がないと……っ!」
何か策を思いついた訳ではないのだが、かと言ってこのまま指を咥えて見ている事も出来ないと、フレイヤは姿を隠したまま屋敷の壁をすり抜けて中へ入っていった。
(えっと、ミーシャちゃんのいた部屋はどこだったかしら……あ、話し声がする)
いくつかの部屋を抜けて探していると、不意に人の声が聞こえてきた。フレイヤがそっと部屋の中を覗くと、そこには互いに向き合いソファに座ってグリンと、親し気に話す女性の姿があった。
「まさかこんな朝早くに来て頂けるとは……流石は国教会の専属医師ですな。ナロン先生」
「いえ、多臓器石化不全症と言えば、非常に患者の少ない難病ですからね。その治療となると、居ても立っても居られませんので……それで、治療内容についてはよくお考えになられましたか?」
「……はい、承知しとります」
「齢九十歳を過ぎたあなたに、大量の魔力を差し出せというのは私も心苦しいのですがね。現時点では、同質の魔力を流し込むしか、治療の方法はありませんから」
「ずいぶん悩みましたが、どうせ老い先短い命となれば、孫の為に使うのが一番かと。……背中を押してくれたのは、儂の大事なライバルの孫でしたよ」
「ほう。ライバルの……これはまた興味深いお話です、治療が万事うまく済めば、ぜひ聞かせて頂きたいものだ」
そう言って女医のナロンは白衣を揺らめかせて笑ってみせた。しかし、その笑みには似合わない鋭い目つきが、フレイヤには空恐ろしく感じられた。
(な、なに?あの人、全然目が笑っていないわ。心の色も見えないし、なんだか凄く怖い……)
当然だが、グリンには心の色など見えないのでその怪しさに気付いていないようだ。彼女の鋭い目つきの奥には、昏く淀んだ怨念のようなものが渦巻いているように見える。フレイヤはその瞳が恐ろしくて、その場から逃げ出しそうになったが、グッとこらえた。このまま彼らの傍にいれば、ミーシャの部屋まで案内してくれるはずだと思ったからである。
「でも、バルが来るまでどうやって時間を稼げばいいのかしら……って、あっいけない置いてかれちゃう!」
フレイヤが悩んでいる間に、二人は徐に立ち上がって部屋を出て行こうとしている。慌てて後を追うとその二つ隣の部屋が、昨日訪れたミーシャの寝室であった。そこではミーシャの身体がベッドの上で横たわっているが、ミーシャの霊は姿が見えない。どこへ行ってしまったのだろう。フレイヤがキョロキョロと室内を見回していると、ナロンがミーシャの身体を調べ始め、やがて口を開いた。
「……ふむ、やはり以前看た時と変わりませんね。むしろ、症状は悪化していると言ってもいい。もはや、一刻の猶予もありませんよグリンさん、準備はよろしいですか?」
「そ、そんなバカな……!?解りました、すぐにっ!」
「ちょ、ちょっと…!」
まるで予定調和であったかのように進んでいく事態を見て、フレイヤは焦った。あの女は危険だ、グリンはミーシャが心配なあまり気付いていないのだろうが、明らかにナロンという女医はグリンに治療を始めさせたがっている。それをやれば、まず間違いなくグリンが死ぬと解っているのに、だ。
(まさか……この人!?)
「さぁ、グリンさんこちらへ。ミーシャさんのお腹に手を当てて下さい、そして、私があなたの魔力をミーシャさんに流します。さぁ!」
「は、はい……ミーシャ。…今祖父ちゃんが助けて、やるからな……!」
「だ、ダメ!止めて……止めなさいっ!」
「なっ!?」
「なに?!女……どこから?!」
直感でナロンの狙いを感じ取ったフレイヤは、止むを得ず姿を隠すのを止めて、大声で二人を制止した。二人からすれば突然誰もいなかった場所に若い女が現れた事で、激しく動揺しているようだ。フレイヤは覚悟を決め、たった一人でナロンの思惑に対抗するのだった。
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