バルドル、敗北
遂に……!
フレイヤがミーシャと別れてヴァーリの屋敷に戻ったのは、既に陽が落ちてからのことだった。ミーシャから感じられていた狂おしいほどの命の輝きはすっかり消え去り、泣きじゃくる少女への同情と悲しみの感情ばかりがフレイヤの心に残っている。
「私、あの子に何をしてあげられるのかしら……」
ミーシャの病……多臓器石化不全症を治癒させるには、血縁者が大量の魔力を流し込まねばならないという。若くて魔力に溢れた人間がやるならばまだしも、グリンのように高齢で体力や魔力のピークが過ぎた人間がその治療を行うのは、かなりのリスクを伴う治療法だ。場合によっては治療を終える前にグリンの魔力が尽きて共倒れになってしまう可能性すらある。グリンが今まで決心できなかったのも無理もない話だろう。
だが、そんなミーシャに同情はしても、フレイヤに出来る事は何もないに等しい。せめてもの救いになればと、抱き締めて背中を摩ってあげたが、フレイヤには子供を産んだ経験はおろか触れ合った事もほとんどない。そもそも生前は生娘で、弟や妹もおらず親戚にも幼い子供はいなかったのだ。泣く子を慰める方法など知らぬ身では、ただ抱き締める事しか出来ない自分の無力が、悔しくて仕方が無かった。
出迎えてくれたのは、ヴァーリの屋敷で執事をしている老人男性だった。名前をグラニといい、少し長い白髪を真ん中で分けた髪型をしている。物腰は柔らかく、とてもスマートで、幽霊であるフレイヤにも紳士的に接してくれる好人物だ。屋敷に戻ったフレイヤをダイニングに案内すると、温かい紅茶を淹れてくれた。バルドルの淹れてくれる紅茶と違って、茶葉は一級品だ。フレイヤとしてはどちらも好きなのだが、香りを楽しむだけの彼女にそこまでしてくれるもてなしの気遣いは流石である。
「バルは、まだ戻っていないのね」
「はい。バルドル様から先程連絡がありまして、今夜はギルドの方から直接パトロールに向かうそうです」
「そう。手伝いに行きたいけれど、私には何も出来ないから……」
「あまり気落ちなさいませぬよう。人間には、それぞれに出来る事と出来ない事があります故。出来ない事を悔やむのではなく、出来る事に力を注ぐ方が楽になれると思いますよ」
「……グラニさん。ありがとう、凄く心が楽になります」
「いえいえ、老婆心で出過ぎた事を申し上げました。申し訳ございません」
ぺこりと頭を下げる姿さえ、グラニはスマートである。フレイヤは改めてその言葉を胸に抱き、窓の外に見える夜空を見上げるのだった。
「私に出来ること、か……」
その頃、バルドルは冒険者ギルドを出て、単身商業区へと向かっていた。
これまでに被害に遭った人々の内、もっとも犯行が多かったのはここ、商業区である。商業区は歓楽街などもあって、他の地区よりは夜でも人目があるものの、街の造りとしては商店が多いせいか裏路地など死角になる場所も多かった。その辺りをうまく利用して犯人は犯行を重ねているようだ。
「昨夜の被害者が襲われたのは、この辺りだったと聞くが……思ったより人通りは少ないな。これでは、目撃者の期待はできないか」
人通りが疎らなのは、連続殺人事件が起きている事が関係していると思われる。この二週間と少しの間で、既に六人もの人間が襲われているのだ。しかも、生き残ったのはたった一人とあっては、よほど腕に自信があるのでなければ出歩く人間は減るだろう。ましてや今の所、犯人が元犯罪者だけを狙っていると知っているのは、バルドルを始めとしたごく一部の人間だけなのだ。
今夜、ギルドから派遣された冒険者達は普通の市民達が暮らす一般区に割り振られている。商業区に次いで被害が多い一般区は、区画の広さも大きいからだ。数の多い冒険者が、人海戦術で守るのに適していると言えるだろう。
バルドルは一通り商業区を観察して回った後、再び昨晩事件が起きた場所の付近へ戻ってきた。ここまでに怪しい人物は見当たらず、バルドル自身も今日は事件が起きないかと思ったその時である。
「きゃああああっ!?」
「悲鳴っ……?!どこからだ!?」
それが聞こえたのは、歓楽街の外れ付近である。路地と路地の隙間が多く、もう少し進めば官公庁が建ち並ぶ公設区に程近い場所だった。バルドルはすぐに周囲を見回して悲鳴の出所を探ったが、どういう訳か、それがどこから聞こえてきたのかがハッキリとしない。まるで、悲鳴が壁の中から聞こえてきたかのようだ。
「……何かがおかしい。何だ?この違和感は」
バルドルは冷静に周囲の様子を見定めていた。漠然とした感覚だが、間違いなく何かが違う。間違い探しでもしているような気分になりつつ、ふと、視線を斜めに上げた。
「月は……ん?待てよ。こんな所に壁があったか?」
そこは、店と店の裏手にある路地裏のはずだった。人が二人、やっと並んで通れるくらいの幅しかない狭い路地だが、何故かそこを塞ぐようにして高い壁がそびえ立っている。最初にここを通った時には、こんな壁はなかったはずだ。
バルドルはそれが、今回の事件の犯人による何らかの隠蔽であると瞬時に悟った。どういう手段で壁を作り出しているのかは不明だが、こんな芸当が出来るのであれば、事件の目撃者が少ない理由も理解出来る。
「幻覚ではないようだが……この程度の壁などっ!」
バルドルは魔力を込めて、その壁を勢いよく殴りつけた。ミストルテインを使っても良かったが、派手にやれば狭い路地裏なので店舗に被害を出す可能性がある、それを避けたのだ。バルドルの予想通り、その壁は脆く、バルドルの一撃で容易く破壊することが出来た。この世界には存在しないが、強度としては発泡スチロール程度の硬さしかなかったようだ。
壁を砕いて人が通れるほどの穴を開けると、バルドルはすぐにそこへ飛び込んで路地裏の奥へと走った。その先で見たのは、血だまりに倒れる女性と、黒いローブに身を包んだ人物の姿である。ここからでは判別がつかないが、倒れている女性はまだ生きている可能性があるだろう。バルドルは犯人を捕まえるべく、鋭い視線でローブの人物を睨みつけた。
「貴様っ!連続殺人事件の犯人は貴様か!?」
「ちっ……厄介な、壁を抜けてきたのか。邪魔をするな、私は正義を執行しているに過ぎない」
「何が正義だ!罪を償った人を襲って殺すような行為が、正義なものかっ!」
「罪を償っただと?ふん、その身なり、所詮は貴族の戯言よ。こやつらは救いようのない、度し難き愚か者共なのだ。たかが数年や金を支払った程度で償えるような罪ではないわ」
「お前が何様のツモリか知らないが、彼らは王国法に則った罰を受けている。そして、王国法は主神トールの定めた法がベースだ。お前の言い分は法律だけでなく、神に逆らうものだと理解しているのか?」
「はっ!あんな下等な神の決めた法なら、尚更聞く必要などないっ!我らはこの国に…いや、この世界に真の神を呼び戻す!これは、その為の礎なのだ!」
「真の神、だと!?お前はまさか、ローゲの興した邪教の……?!」
「邪教などではない!教祖ローゲ様だけでなく、我らが神アングルボザ様を愚弄するか!?許さんぞっ!」
ローブの人物は突然激昂し、バルドルに正対する。その手には奇妙に捻じれた枝のような杖が握られており、この人物が魔術師であることを雄弁に物語っていた。魔術師が相手ならば、迂闊に様子を見るのは得策ではない。相手に時間を与えれば与える程、加速度的に策を講じさせるタイミングが増えていく、それが魔術師という存在だからだ。そして何より、既に倒れている被害者の事を考えると余計な時間はかけられないだろう。術を行使する間を与えず先手を打って速攻で片をつける……それが上策だと、バルドルは考えた。
「おおおっ!」
「ぬっ!?速いな……しかし!」
即座にミストルテインを長剣に変え、バルドルが一瞬で間合いを詰める。そのままその剣を横薙ぎに振るって斬り抜こうとしたのだが、次の刹那に胸元から鮮血を飛び散らせたのはバルドルの方であった。
「……なっ!?」
「ククッ!我が魔法『罪の痛み』からは何人足りとも逃れられん。……お前の罪は、常にお前と共にあるのだ」
「ば、バカ…なっ……!」
出血と共に急速に意識が薄れ、バルドルは剣を振るいきれずにそのまま倒れた。その耳に残った敵の言葉は、闇に落ちていくバルドルの心に深く刻み込まれていくのだった。
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