生きている霊
ミーシャは生霊ではなく、幽体離脱しています。
(え…なに?あの光ってるの……家の中に、続いてる。……もしかして、この子)
フレイヤはある想像をして、思わず息を呑んだ。最初に彼女に対して感じた違和感の正体、それは彼女が生きている人間だったからなのだろう。つまり、俗に言う幽体離脱を、ミーシャはしているのだ。自分が無くしてしまった命を、彼女はまだ持っている。同じ幽霊に見える彼女が眩しく見えるのは、そんな思いがよぎるからか。
死を受け入れられない霊にとって、生きた人間の生命は太陽のように眩しく映るものだ。だからこそ、死者の魂は長く現世に残ると命への執着と羨望から、レイスやスペクターへと変化してしまうのである。これまでにも何度か、負の想念でフレイヤが変化してしまいそうになったように、剥き身の魂は感情や思考にその存在を引っ張られてしまうからだ。
そんな中で、フレイヤは己の境遇と現状を思い知らされながらも、決して生者への執着をみせて来なかった。それはあの時、バルドルが百成る花弁の薔薇によって、堕ちかけた魂を半ば浄化するかの如く安定させてくれたことも影響している。しかしながら、それはフレイヤの感情を抑えたに過ぎない。何よりも、あの時とは違ってフレイヤはバルドルとの間に生者と死者という壁を感じ、そこに悩んでいるのだ。そんな状況で今まさに、命を持った霊魂が目の前にいる……その事実が、フレイヤの心を激しく打った。
(ダメ……こんな感情に引っ張られちゃ…!私が私じゃなくなっちゃう!)
ざわざわと黒い感情が湧き出てくるのを必死に抑えて、フレイヤは何とか踏み止まろうとした。ここで本当の悪霊になってしまったら、バルドルに何と詫びればいいのだろう。それにこの先、どういう形であれバルドルとの未来を思い描くのならば、闇に堕ちる事だけは絶対にあってはならないことなのだ。
「……どうしたの?フレイヤ。大丈夫?」
「ふーっ……ふーっ……うん、大丈夫よ。ごめんね、ちょっと苦しくなっちゃって」
「そうなんだ。フレイヤも私と一緒なんだね」
「……一緒って?」
「こっちへ来て、見せてあげる」
ミーシャはそう言うと、するりと見張り役たちの間を縫って屋敷の中へ入っていってしまった。フレイヤも慌てて後を追うと、屋敷の中は、とても濃い木の匂いに溢れている。先を行くミーシャの背中を追っていくつかの部屋と廊下を抜けた先には、大きなベッドに横たわり少女が眠っていた。
「これは……ミーシャ、なの?」
「そうだよ。私ね、病気なんだって。よく解んないけど、身体の中身が石になっちゃう珍しい病気だって、お医者さんは言ってた」
「身体が、石に……?」
身体の中身、つまり、内臓が石化するということだろうか?ミーシャの説明を聞き、フレイヤは想像もしていない状況に圧倒されている。そうしている間にも、ミーシャは更に言葉を続けた。
「私の身体を治すには、すごくたくさんの魔力がいるんだって。しかも、家族でなきゃダメみたい。……私の家族ってもうパパもママもいないし、いるのはお祖父ちゃんだけ。でもね、そんなにたくさん魔力を私に分けたら、お祖父ちゃんは死んじゃうかもしれないって、お医者さんは言ってた。私、それは嫌なんだ。お祖父ちゃんは時々厳しいけど、私には凄く優しくて、いつもこうして寝てる私の所に来て、色んなお話をしてくれるの。それに組の皆も、お祖父ちゃんの事が大好きだし……そんなお祖父ちゃんが、私を助ける為に死んじゃうなんて…そんなことなら、私は元気になんかなれなくていいのに」
「ミーシャ……」
「それで、何とか私の話を聞いてくれる人がいないか、外を探してたんだけど……全然ダメなんだね、幽霊って、誰にも気付いてもらえないの。だから、私の話を聞いてくれたのはフレイヤが初めて。ありがと、フレイヤ……ぅっ!」
「ミーシャ?どうしたの?ミーシャ!?」
「っ……!はっ…!うぅっ!」
突如苦しみだしたミーシャに、フレイヤは慌てて近寄ってその背中を摩った。彼女がまだ生きた身体を繋がっているからなのか、はたまたその苦しみの原因によるものなのか、ミーシャの身体は霊とは思えないほどに熱かった。これが、命の証と言ってもいいのだろう。
だが、そんな熱を感じても、フレイヤは先程のような妬心に駆られる事はないようだ。むしろ、苦しむミーシャを心配する心ばかりが湧いてきて、フレイヤもまた胸が苦しくなってくる。そうしてしばらく様子を見ていると、ミーシャは段々と正常な呼吸を取り戻し、やや弱々しい笑みを浮かべてみせた。
「はぁっ……!ごめんね、フレイヤ。もう大丈夫。私もさっきのフレイヤみたいに、こうやって苦しくなるの。身体の痛みが、私に流れてくるみたい」
「ミーシャ」
フレイヤが言葉を詰まらせたちょうどその時、部屋のドアが静かに開いて、一人の老人が入ってきた。グリンである。グリンはミーシャの身体の方の頭を優しく撫でると、ベッド脇の椅子に腰かけた。
「お祖父ちゃん…!」
「ミーシャよ、今日も頑張っておるな。お前は本当に強い子だ。それに引き換え儂は……臆病風に吹かれて、お前を救う決心もつかなかった。情けないジジイだ、全く。……昨日な、エッダ家の当主、バルドルがうちに来おった。あの坊主、儂と奴の祖父がどれだけやり合ったか聞いておるはずだというのに……アイツは、儂に頭を下げたんじゃ。見ず知らずの人間を、これ以上犠牲にしないようにとな。……正直、負けたと思ったわい」
「バル……」
フレイヤとミーシャ、二人の声はグリンに届いていないが、グリンは二人が聞いている事も知らずに話を続けている。それはまるで懺悔や告解のようだった。
「元犯罪者を殺す殺人犯。そんなヤツなど、放っておけばよい。全くの罪もない人を狙っているんじゃないんだ。儂なら、いくら見殺しにしても構わないとさえ思える。だが、アイツは違うようだ。そんな己のプライドや過去の確執など気にも留めず、他人を救う為に頭を下げよった。儂は、アイツの祖父から財産のほとんどを奪った相手だというのにな。もしも、儂がエッダ家の金を奪っていなかったら、バルドルの母は死なずに済んだかもしれん。そんな相手に頭を下げるとは……」
(え……?ど、どういう事?バルのお母さんって事故で亡くなったんじゃ?)
「だからな、儂も覚悟を決めたわ。老い先短い儂の人生、それを使うならお前の為にしかないとな。バルドルには悪い事をしたが、止むを得ん。次の週末に、医者を呼んで治療をしてもらう。……お前は、儂がこの命に代えても助けてやるからな。もうしばらくの辛抱だ、頑張ってくれよ、ミーシャ」
グリンはそれだけ呟くと、再びミーシャの頭を撫でて微笑んだ。そして少しの間そのままでいると、やがて無言で出ていってしまった。どうやら、これがバルドル達が気にかけていた彼の事情らしい。なるほど、これが理由ならば、バルドル達の頼みを断るのも納得である。
しかし、隣で泣きそうな顔をしている少女にとっては、それは決して良い知らせとは言えないだろう。彼女は自分の為に大好き祖父が命を落とそうとしていると知って、諸手を上げて喜べるような人間ではないのだ。
「フレイヤ、私、どうしたらいいの?お祖父ちゃんが死んじゃうなんて、私、わたし…いやだよぉ……」
「ミーシャ……」
大粒の涙を流すミーシャをフレイヤは思わず抱きしめた。この子を救ってあげたいと願いながらも、どうすればいいのか解らない。横たわって眠るミーシャの瞳からも、一筋の涙がこぼれていた。
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