バルドルの本気
バルドル、キレた…っ!
「よーし、二人とも、決闘の前に改めてルールをおさらいしとくぜ。今回は双方共に魔法の使用は禁止だ。それとバルドル様は魔剣の使用も禁止、フェアじゃねぇからな。ここまではいいか?」
「……ああ」
「もちろんだ」
ブラギがそう尋ねると、二人はそれぞれに答えた。二人の様子は対照的で、どこか楽しげなベーオウルフに対し、バルドルは一切の熱を感じない氷のような冷たい視線でベーオウルフを見ている。
「バル……どうしたのかしら?全然心の色が見えない。というか、心を閉ざしてしまっているみたい」
そんな二人を心配そうに見つめるフレイヤは、ウル達幹部と共に関係者席にいた。離れた場所にいるからかとフレイヤは思ったが、それにしても感情が全く見えないのは初めてだ。あんなバルドルを見たことがないフレイヤは、僅かだが恐怖すら感じているようだった。
その隣にはナンナとフォルセティがいて、悔しさに顔を歪ませている。
「くっ!私のせいだ…私がもっと早くあのベーオウルフを始末しておけば……バルドル様にこんなお手間を!」
「姉さん落ち着け、ベーオウルフ隊長なら後から二人でやればいい。俺達二人なら楽勝だし、なんなら闇討ちしたって団長なら許してくれる」
「いや、闇討ちはダメでしょ……っていうか、二人共本当にベーオウルフさんが嫌いなのね」
「何を言ってるんだ!?フレイヤ!当たり前じゃないか。バルドル様に不敬を働くような奴は生かしてはおけない…っ!可及的速やかに地獄に落とすべきだっ!」
「過激すぎると思うんだけど……」
そんな三人に目を背けるようにしてウルが腕を組み、バルドル達の様子を眺めているが、隣で怨念を撒き散らしているナンナとフォルセティには関わりたくないのがみえみえである。ツッコミ役に回ってくれているフレイヤに感謝しつつ、ウルは一人呟いた。
「さぁて、どうなるっスかねぇ……」
「魔法なし、魔剣なしの純粋な剣の勝負ならベーオウルフの奴にも勝ち目はあるかもしれんな。団長がいくら強いと言っても、魔法と魔剣を封じられれば、同じ人間だ」
「……いやぁ、団長が同じ人間かは大いに疑問っスけどね。あの人素で規格外なんで。逆にテュールはあの条件で勝てると思ってるんスか?」
ウルと話している大男は四番隊隊長のテュールだ。彼は現在、エッダ騎士団では最高齢の60歳で彼が子供の頃に先々代の当主、スノッリが拾ってきたという男である。老いたりとはいえ、その怪力は未だ騎士団随一とされているが、年齢的にスタミナに不安があるのか、かつてほど血気に逸った行動は見られない。若い頃は、今のベーオウルフ以上に狂犬だったと言われているのだが、今はすっかり優しい好々爺なので、誰も信じていないようである。
「ふぅむ。腕力比べなら、まだまだ若いもんに負ける気はせんが、動き回られるとキツイな。さてさて、どうやって勝つか……」
「あー、真面目に勝つ方法なんか考えなくていいっスよ。ホントうちの連中は上から下まで脳筋だから困るなぁ」
ブツブツとあーでもないこーでもないと思案を始めてしまったテュールを横目に、ウルは呆れたように首をすくめている。しかし、テュールだけでなく、騎士団の面々は全員、このルールならばベーオウルフにも勝ち目があると踏んでいた。なんなら、もしかするとベーオウルフの方が強いのでは?という意見すら少なくない程だ。
そんな大方の予想を知ってか知らずか、バルドルとベーオウルフは睨み合い、戦いが始まる合図を待っている。二人が手にしているのは訓練用に誂えた刃引きの鉄剣だが、鉄の塊だけあって当たり所が悪ければ命に関わるものだ。歴戦の騎士達にとってはなんてことのない装備だが、フレイヤにはそれが恐ろしい兵器のように感じられた。
(バル、怪我しないかしら。大丈夫よね?)
「…うぅむ。こりゃあ血の雨が降るな」
「ドヴェルグさん、どうして?」
「いやなに、何があったのか知らんが……坊の奴、本気でキレとるからな」
「え?」
どういう事か聞き返そうとしたが、それを遮るようにブラギの声が運動場全体に響いた。いよいよ戦いが始まろうとしているのだ。フレイヤはそれに気を取られて再び、バルドル達の方へ意識が向いた。
「それじゃあそろそろ始めるぜ!二人共、準備はいいよな?!」
「問題ない」
「こっちもいつでもいい。……団長、あの時は敗けたが、今日は俺が勝たせてもらう」
「……好きにしろ、俺も負けるつもりはない」
「ふん!」
「それじゃ行くぜっ!血闘…開始だっ!!」
ブラギが合図として振り上げた拳を降ろすと同時に、雪崩を起こしたような叫び声で騎士達が声を上げる。それが戦いの合図だった。互いに実力は達人の域にある二人だ、隙を見せればそれは命取りになる。だからこそ、戦いが始まってもすぐには動かないと誰もが思っていた。しかし。
(俺からは動かねぇ……と思ってるだろう?お優しい団長はなっ!)
真っ先に動いたのはベーオウルフの方だった。魔法を使わずに戦うのであれば、様子を見て受けに回るのは得策ではない。何せ、魔法が無くともバルドルの膂力と腕力は並ではないのだ。その力が尋常でないことをベーオウルフはよく知っている。二年前、フリッグが亡くなって急遽呼び戻されたバルドルが、己の力を示す為に全騎士団員を相手に戦った時、ベーオウルフはその力に敗れたからだ。
以来、ベーオウルフは鍛錬に鍛錬を重ね、バルドルの力を上回る為に力を積み重ねてきた。その成果を試す、格好のチャンスである。
そして、ベーオウルフはパワーだけではなく、そのスピードも高めるよう修行してきた。それを騎士達は見てきたからこそ、バルドルが相手でもいい勝負になると踏んでいたのだ。
「は、速いっ!?」
フレイヤの目から見て、それは瞬間移動したかのような速度だった。バルドルとベーオウルフの間には、剣と剣が辛うじてぶつかる程度の間合いがあったのだ。それが合図とともに一瞬にして無くなり、気付けばベーオウルフはバルドルの懐に入り込もうとしている所だった。
(遅ぇぜ、団長!もう剣を振り上げるタイミングは無……「ぐぁっ!?」
一瞬で距離を詰めたベーオウルフは、右から横薙ぎに攻撃を仕掛けた。素人であれば、何も解らずにやられていただろうし、他の幹部達であってもギリギリ剣で防げるかどうかというタイミングだっただろう。だが、バルドルは剣を握ったまま、その拳でベーオウルフの顔面を殴りつけていた。それは誰もが予想していない反撃の仕方だ。あのバルドルが、剣の勝負であれば尚更、そんな無道はしないと皆がそう予想していた。
「うっそぉ!?」
「なんとまぁ……確かに真っ直ぐ殴りつける方が速いとはいえ、あれは……下手をすれば、殴った方の指が折れるぞ。いやしかし、柄を握り込んでおる分、殴られた方も相当痛いだろうが…」
ベーオウルフは派手に吹っ飛び、二人の距離が一気に離れた。一発で倒れこそしなかったものの、ベーオウルフの顔面からは鼻血が出ていて、その威力のすさまじさが見て取れる。
「ぐううっ!?こ、コイツは……」
「どうした?ベーオウルフ。悪いが、お前の賭けに乗ると決めた以上、俺は絶対に負けられなくなったんだ。こんなもので済むと思うなよ」
騒めく喧騒の中にあって、二人の会話は観客席には届いていない。だが、バルドルが見た事もない程の冷たいプレッシャーを放っている事に、その場にいた誰もが気付いている。正しく虎の尾を踏んだベーオウルフは、背筋に大量の冷や汗を流しながら、バルドルの怒りを受け止めるのだった。
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