阻止せよ、悪霊令嬢の誕生
巻き込まれ主人公も好きです。
その瞬間、バルドルは我を忘れた。何しろ、落雷の瞬きが室内を照らした瞬間、頭から血を流した女の霊が突然浮かび上がり、絶叫し始めたのだ。これはバルドルでなくても驚くのは当然である。むしろ、怖がりながらもその場から逃げ出さなかっただけ、彼は勇敢だった。
手当たり次第に、買い込んできたアミュレットや、パワーストーンを投げつけていたのは、光魔法を使う事すら忘れていたからである。本来であれば、塩は中身を撒くつもりだったのにそれすら忘れていたのは、自分でも恥ずかしい程の失態だった。とはいえ、それらはちゃんと命中して、その霊体に微々たるダメージを与えられたようなので、完全に無駄という訳ではなかったようだが。
その衝撃で、女の霊はバルドルを止めるように声を上げた。だが、勢いが付き過ぎたのか、彼女は自らの身に起きた惨劇を思い出してしまったようだ。そして、彼女の魂はその血塗れの姿に見合った想念の形に塗り替えられようとしていた。
「あ、ああ……そうだ、私、死んで……どうして?何故私が殺されなければいけなかったの?ねェ、どウしテ…!?」
(……マズい。急速に負の感情が膨れ上がっている。このままではあっという間にレイスになってしまうぞ。どうする?さっきこの女の霊はまともに話せそうな理性を持っていたんだ。今ならまだ、引き戻せるはず……待てよ、理性?そうか!アレがあった!)
その時にはもう、バルドルの意識から彼女への怯えは消え去っていた。国王とその臣民に仕える騎士として、救いを求める存在を見捨てることなどあってはならない。『いついかなる時も、守るべきものの為に戦え。それこそが騎士の本懐である』……幼い頃から、ずっと聞かされ続けてきた一族の言葉。それは今は亡き母や祖父・祖母、その祖先に至るまで、全てと繋がって来たエッダ家の誇りであり彼らの絆を表す言葉である。その対象は、例え人間でなくとも当てはまるはずだ。
「咲き誇れ、真実の花弁。連なり合って花となり、百万の言葉よりも雄弁に高潔なる道を示せ……『百成る花弁の薔薇』!」
小さく詠唱をし、光の魔力によって輝く大輪の薔薇を生み出す。この魔法は本来、混乱や錯乱した人間を癒す為に編み出された魔法である。国教会の僧侶達が使う魔法にも同じような効果を持つものがあるらしいが、こちらは古代の魔法使いが僧侶の魔法に対抗して編み出したという古い魔法だ。効果はピカイチなのだが、一つ欠点がある。
「…お、落ち着いてくれ。俺は敵じゃない。……だ、だから祟ったり呪ったりしないでくれ!頼む、この通りだ!」
それは、使う側がとても恥ずかしい思いをするという事だ。見ようによってはプロポーズをしているように見えると揶揄されるので、光属性の魔法を習得する人間でも学ぶものはほとんどいない。そもそも何故薔薇を渡すような形式なのか調べた所、どんなに混乱していても薔薇を受け取る側が驚いて我に返るから、という製作者のコメントを見つけた時は、バルドルはズッコケそうになった。
そんな色々な意味で派手な魔法であるからか、正直な所、同性だろうと異性だろうと使いたくない魔法で上位に入るキワモノである。しかし、今まさに負の感情に飲み込まれようとしている魂を救うには、この手しかないのだ。バルドルは恥ずかしがりながらも、跪いてその手に生まれた薔薇を女の霊に差し出した。
(は、恥ずかしい…!きっと俺の顔は赤くなっているだろうな。この女の霊は……血塗れだから顔色なんて解らんが)
バルドルはこう見えて、あまり女性関係が得意な方ではない。その端正なルックスと立ち振る舞い、そして侯爵という立場上、社交の場に出ればそれなりに声を掛けられるのだが、いかんせん彼は根っからの貧乏侯爵である。日々、騎士としての訓練に明け暮れているせいでダンスはろくに踊れないし、女性が喜ぶような話題も提供できないし、高価なプレゼントも送れない。おまけに、これまで熱烈にアピールしてきた女性達のアクが強すぎたせいで、女性という存在に若干引き気味ですらあるのだ。仮に女性と交際を始めても、全て一月とかからずフラれてきた男であった。そんな彼が、プロポーズ染みた態度を取るのに恥ずかしくない訳がないだろう。
薔薇を差し出された女の霊は、ポカンとした表情でそのまま固まってしまった。ただ、魔法の効果があったようで、先程まで強く渦巻いていた負の感情はどこかへ消えている。ここまでは想定通りだ。そして、ここからが未知の領域である。
「あ、あなた……は…」
「……ああ、申し遅れた。俺はバルドル、バルドル・エッダだ。このグラズヘイム王国で侯爵の地位を拝領している。これでも一応、騎士の端くれだ」
「そう。……私こそ、申し遅れました。私の名はフレイヤ、フレイヤ・ヴァナディースです。バルドル侯爵、どうして貴方はここに?」
フレイヤと名乗った女の霊は、すっかり正気を取り戻したようだ。足先は透けているが、公爵令嬢らしい、凛とした佇まいでカーテシーをしている。しかし、彼女は霊魂だ。剥き身の魂は感情によって大きくその性質が左右されるので、迂闊に怒らせれば、再び彼女はレイスと化してしまうだろう。注意して喋らねばならない。
バルドルが先んじて調べておいたところによると、犠牲者の中に確かにフレイヤという娘の名前があった。とても美しく、淑やかな公爵令嬢だったようで、調べた限りでは当時の貴族界隈で知らぬ者がいないと言われるほどの人気があったらしい。ただ一つ気になったのは、彼女が亡くなる少し前、彼女にはある噂が流れていた事だ。
彼女には当時、婚約者がいたらしいのだが、その婚約者が別の女性に色目を使ったと難癖をつけ、その女性をこれでもかというほどイジメ抜いていたという噂だ。それ以前の彼女が持っていたイメージとはかけ離れたその噂に、バルドルは大きく首を傾げていた。とはいえ、嫉妬は人を狂わせるものでもあるので、どんなに高潔な女性であっても、いじめなどを行うようになってしまう可能性は否定できないのだが。
(しかし、どうするか?盗人と思われても困るし、正直に答えてしまうべきだろうが……だがなぁ、自分の家が幽霊屋敷と呼ばれているだなんて、聞きたくないだろうしなぁ。うーむ)
バルドルはそう考えて、押し黙ってしまった。正気を取り戻したフレイヤではあるが、自分の生家が幽霊屋敷呼ばわりされていい気がするとは思えない。それにまた彼女を怒らせるような事があれば、今度こそレイス化を止められる自信はなかった。
「どうして黙ってしまわれるの?もしかして、言えないようなことをしに……?」
「ああ、いや、違う!そういう訳じゃないんだ。正直に言うと、君がショックを受けるんじゃないかと思ってな……仕方ない、君にとっては辛い話かもしれないが、落ち着いて聞いてくれ。いいか?」
バルドルが黙ったことで、やましい事があると思ったのか、フレイヤの纏う気配が少し黒くなったようだ。それを見たバルドルは慌てて全てを話す事にした。ここに至って余計な気遣いをしても、誰の為にもならないと確信したからだ。
「実は、君の実家であるこの家は今、幽霊屋敷として認知されているんだ。そんなことを言われても、君は面白くないだろうから言い繕おうかと思ったんだが」
「幽霊、屋敷……?」
「ああ、それで、俺はその噂を確かめる為にやってきた。あと、これも落ち着いて聞いて欲しい。現在、君が亡くなってから80年程の時間が経過している。その間に、王都にも人が増えて土地が減ってきているんだよ。残念だが、君の家にはもう後を継ぐ者がいないので、この土地はずっと宙ぶらりんなままだ。敢えて言葉を選ばずに言えば、もう幽霊屋敷だからと言って土地を遊ばせておける時代じゃなくなってしまったんだよ。俺の言ってる意味が、解るか?」
ハッキリ言って、これは賭けだ。どうしようもない事実を突き付けられてフレイヤがどう出るのか、バルドルには解らない。最悪の場合、敵対した彼女を強制的に消し去ることになるかもしれない。言葉巧みに丸め込む事が出来ればいいのだろうが、ヴァーリと違って、バルドルはそう言う舌先三寸な行いが出来るタイプではないのだ。それに、今ここでどう言い繕ったとしても、結果は同じである。もしも、バルドルがフレイヤの事をヴァーリに報告すれば、彼女は間違いなく除霊されることになるだろう。ならば、真実を明かした方が彼女に対して誠実であるはずだ。
「そういうことなのね、解りましたわ」
「え?」
「なぁに?とぼけた顔をして……貴方のお陰で、私は自分がどういう状況なのか解ったつもりですから、心配いりませんわ」
フレイヤが突然お嬢様然とした喋り方になったのも驚いたが、すんなりと状況を受け入れた事にもバルドルは驚いている。普通の霊魂(?)というものは、現状把握に難のある場合がほとんどだ。自分が死んでしまったことをあっさり認めろというのも酷な話なので、それは仕方ない。しかし、彼女の場合はあまりにもすんなりと行き過ぎている気がする。
しかし、バルドルが驚く事になるのはこれからだった。
「それじゃあ、私は貴方に憑いていけばいいのかしら?人に憑りつくなんて経験がないけど……きっと大丈夫よね」
「はっ?いやいや、待て待て、何故そうなる!?」
「え?だってそうでしょう?貴方の話からすると、この屋敷はきっと取り壊して新しく人が住む土地になる…そうなったら、私は行き場がないわ。それとも貴方、行く宛てもない私を追い出してそれで終わりにするつもりだったのかしら?」
「ああいや、そう言う訳じゃないが…その、成仏するとか。何か他にあるだろう」
「あら、ダメよ。そもそも私、成仏ってやり方が解らないし。貴方解る?成仏の仕方」
「それは……いや、解らないな」
「でしょう?それに、そもそも私、成仏なんて出来ないわ。やり残したことがあるのだから」
「やり残したこと?未練があるという事か?」
「ええ」
それを聞いたバルドルは思わず唸った。霊魂に未練があるという事は、自然の摂理に反して現世に留まる要因となる。それが強い恨みつらみに繋がっているなら、その行き着く先は間違いなくレイスや、スペクターだ。いずれにしても、人に害をなすモノへと変わることになるだろう。もちろん、未練の内容次第ではあるのだが、出来れば彼女を無理矢理浄化して消し去るような真似はしたくない、というのがバルドルの本音なので看過できない話だった。
「ちなみに、何が未練か聞いても?」
「もちろんよ。……私はね、知りたいの。一体誰が何の目的で、私や私の家族を殺して回ったのか。復讐したいって訳じゃないわ。ただ、その訳を知りたい…成仏するなら、納得して逝きたいの。それっていけないことかしら?」
「それは……悪い事だとは言えない。しかし、さっきも言ったが事件から80年もの時間が経っているんだ。君を殺した奴はもう、この世にはいない可能性の方が高いだろう」
「ええ。だから、復讐じゃないって言ったでしょう?私が知りたいのは理由だけ。それが解るまで、あの世には逝けないわ」
「そう、か……」
そう言われてしまえば、バルドルにはもう抵抗する言葉がなかった。不運にも殺されて幽霊となってしまった彼女を、再び殺してしまうことなどしたくないのだ。それはバルドルの甘さであり、優しさの表れだった。
「それじゃ、協力よろしくね?バル」
「んんっ?ちょっと待て、俺も手伝うのか!?」
「当たり前でしょう、貴方に憑りつくんだから、そんなに離れられないもの。……あ、大丈夫よ、お風呂の時とかは別の部屋にいるわ」
「そういう問題じゃあないっ!う、ウソだろ…!?」
バルドルは抗議するも、もう既に遅かった。どの道、バルドルがフレイヤを排除できない時点で負けが決まっている。かくして、女幽霊と光の騎士という奇妙なコンビは80年前の事件の真相に向けて歩き出すのであった。
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