笑顔の理由
浮気癖は王子の宿命(嘘)
「アタシとフォルはさ、フリッグ様に拾われて凄く幸せだったよ。バルドル様はアタシ達を実の弟や妹のように可愛がって面倒を看てくれたし、フリッグ様は訓練を除けば優しかった。……訓練の時は鬼みたいだったけど」
「うん」
それは、フリッグを知らないフレイヤにも、普段のバルドルを見ていて解ることだった。彼は誰に対しても分け隔てなく優しいが、きちんと厳しさも持っている。それはまさに、ナンナの話してくれたフリッグという女性と全く同じなのだ。バルドルにしてこの親ありということだなと、フレイヤにはよく理解出来た。
「アタシにとっては、家族ってとても大事なものなんだ。そりゃ、イヤなヤツとだったらごめんだけど、フレイヤとなら……同じ人を好きになれる家族になりたいって思えるんだよ」
「その気持ちは解るけど……あら?あの子」
その時フレイヤの目に留まったのは、やや離れた場所に立つ一人の女性だった。顔立ちはやや幼く、まだ少女と言っても差し支えない年頃に見えるが、目鼻立ちはハッキリとしていて、美人である事に違いはない。それに加えて身なりもかなり良く、着ている服も身につけている宝飾品も一流なものばかりだ。だが、その表情は暗く、酷く思いつめたような顔で俯いていた。
「あの子がどうかしたの?」
「うん。何て言うか……あの子の心の色が、淀んでいるような気がするの。なんだろう?とても嫌な予感がする」
フレイヤの感覚は、心ではなく魂の色というべきものを見てのことなのだが、フレイヤ自身にはそれがまだよく解っていない。しかし、思いつめたその表情はナンナも気になったらしく、二人は頷いて声を掛けてみることにした。
「ねぇ、一人で何してるの?」
「……え?」
その少女は、てっきりナンパだと思ったらしい。俯いた顔を上げ、ナンナの顔を見た瞬間、眉間にしわを寄せていた顔から力が抜け、拍子抜けしたな表情になった。なお、フレイヤは敢えて自身の解像度を落としているので、少女の目にはナンナしか映っていない。
「ごめんね、急に声かけて。ずいぶん思いつめた顔してるように見えたからさ、ちょっと心配になっちゃって。何か悩み事?アタシで良ければ話聞くけど」
どう考えてもナンパの常套句のようだが、ナンナはあっさりと言ってのけた。それがまた、そこらの男が言うよりもよほど様になっているのだから、大したものだ。フレイヤが生きていた頃、男装の麗人を描いた物語が流行したのだが、その主人公が現実にいれば、ナンナのようだったのだろうなと、フレイヤは感心していた。
「……見ず知らずの方に話すようなことでは。それに、話した所でどうにもなりませんわ」
「そんなの話してみなければ解らないよ。こう見えて、力業には自信があるんだ」
「婚約者に浮気されているという話でも?」
「へぁっ!?」
完全に予想外な方向からの返答が来て、ナンナは言葉にならない声で答えた。ナンナの言う力業とは、即ち、腕力である。どうやらナンナは、少女の悩みがしつこく男に言い寄られているものだと思い込んでいたようで、腕力でどうにかなると考えていたらしい。しかし、婚約者に浮気されているという話では、ただの力ではどうにもならない。ましてや、好きな男に対して素直になれず、嫌味や悪態ばかりついてしまう彼女では、余計に無理のある話だ。
わたわたと慌てふためくナンナでは埒が明かないと、フレイヤは敢えて、自分の存在を明らかにすることにした。どうやっても足から先は消えてしまうので、うまく足元が隠れる丈の長いドレス姿にした。
「あなた、貴族の方で?」
「え?い、いつの間に……ええ、そうですわ。私はトレノ家の長女、レモーヌと申します。あなたは?」
「あ、私はその、ヴァナディース……じゃなかった。そう、ヴァナヘイムから来ました、ヴァンディ男爵家のフレイヤと申します。そして、こっちは私の護衛で友人のナンナ。どうぞ、よろしくお願いします」
「まぁ、隣国の?そうでしたか、それは大変失礼いたしました。隣国の男爵家の方とは知らず……こちらこそ、よろしくお願い致しますわ」
(トレノ家って、確か伯爵だったわよね。こっちの方が家格が下になっちゃったけど、国が違うからちょうどいいかも)
咄嗟に吐いた嘘だったが、どうやらレモーヌは疑っていないようだ。フレイヤの言う通り、トレノ家は、代々伯爵家として王家に仕える貴族である。貴族としての地位は中間層で、これといった欠点も無い家柄だったはずだ。それよりも気になったのは、婚約者に浮気されているという話である。実際に自分も浮気されてばかりだったフレイヤにとっては、それは他人事とは思えない内容だ。出来れば話を聞いてあげたいと思うのは、フレイヤらしい考えだろう。
「失礼ですが、先程ナンナとお話しているのを立ち聞きしてしまいました。レモーヌ様は婚約者様と上手く行ってらっしゃらないようで……私も昔、同じような事があったものですから、お気持ちはお察しします」
「そうでしたか。でも、フレイヤさんはずいぶんお若いようですけど……」
「いえ、昔と言ってもそんなに前ではないんですけどね…!」
ついうっかり八十年前と言いそうになって、フレイヤは意味ありげに微笑んで誤魔化した。しかし、フレイヤもナンナも、元々嘘の吐けないタイプである。これ以上余計な事を言うとボロが出そうだ。どうやって話を逸らそうかと思っていると、レモーヌが自ら俯いて、話を変えてくれた。
「まあ、年齢なんて関係ありませんわよね。どんなに長い間将来を誓い合っていても、心が変わってしまうのは一瞬ですもの……」
「レモーヌ様……」
「私の婚約者とは、幼少期から親同士が決めた許嫁だったのです。二人共、お互いに不満は無く、このまま幸せに添い遂げられるのだと信じていたのですわ。けれど、昨年ごろから急に、彼が悪い遊びを覚えてしまったようで……私にはバレていないと思っているのでしょうけれど、学園であれだけ噂になっていれば私の耳にも届きます。もちろん、噂だけでなく、証拠もありました。この目で現場を確認したことも……!」
「……それは、許せないね。その事、御父上には話したのかい?」
「父は……初めこそ怒っていましたが、相手に王族がいると解ってからは一気にトーンダウンしてしまって。今では口も利いていませんわ」
「え?王族?婚約者の方は王家の方なの?」
王族の浮気と聞き、止まっているはずのフレイヤの心臓がドキリと跳ねた気がした。まさかとは思いつつも、確かめずにはいられない。すると、レモーヌはふるふると頭を振って、それに答えた。
「いいえ。彼が王族なのではなく、彼を唆したのが、現在の第一王子であるヘズ様なのです。彼は……オーヴァはトレノ家と同じ伯爵家の次男ですが、学園でヘズ王子と出会ってから、人が変わってようになってしまって……どうして…」
レモーヌは泣きそうになって、両手で顔を覆ってしまった。こういう時、一番頼りになるはずの父親でさえ何もしてくれないというのは、レモーヌの心を甚く傷つけたに違いない。ただ、相手が王族となると伯爵程度では話にならないのも事実だ。あれから八十年もの時が過ぎても、まだ王子という存在はそこまで愚かなのかとフレイヤの心は怒りに震えた。それ以上、怒りを感じれば、見た目にも影響が出そうなほどだ。だが、その時一瞬垣間見えたものに、フレイヤは気を取られて怒りを忘れた。
「でも、もういいのです。私は彼を許す事に致しました。これ以上、バカな真似をしなければ……それで。ただ、また何かしてくるようなら」
「レモーヌ…?」
「……復讐、してしまおうかしら?ウフフ、忘れて下さいませ。力無い貴族子女の戯れですわ。あら、もうこんな時間?ごめんなさい、私、これから祝賀パーティーに出席しなければなりませんの。支度がありますので、これで失礼致しますわね。お話を聞いて下さってありがとうございました。どうか、フレイヤ様達の旅が素敵なものになりますように……それでは」
そう言うと、レモーヌは美しい所作で頭を下げて、タタタ…と公園の外へ走っていってしまった。一体、どういう気持ちの変化なのかは解らないが、きっと無理をしているのだろう。そんな彼女の事が気になったのか、フレイヤはレモーヌの走り去った方を見たまま動かない。
ナンナはそんなフレイヤの肩にそっと触れて呼び掛けた。
「フレイヤ、そんなにあの子が気になるのかい?」
「ええ、だって……あの子、酷く冷たい瞳で笑っていたから」
確かに悲しみに溢れた心が見えたのに、どうして彼女は笑っていたのだろう。フレイヤ達がその理由を知るのは、この数時間後の事である。
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