素直になれない二人
ツンデレのデレ抜きでした。
「ふぅ…!よーし、これでブラッシングはおしまいね。綺麗になったわよ、ルゥム!」
「ワンッ!」
ブラッシングというにはあまりに重労働な行為を終えて、フレイヤは笑っている。その笑みに応えて鳴くルゥムは、身体の大きさを除けばすっかり普通の飼い犬のようだった。
ここは、エッダ騎士団の隊舎、その庭の一角である。
結局、バルドルの家では飼えないと判断されたルゥムは、この隊舎で生活することとなった。エッダ騎士団の隊舎は、バルドルの家であるエッダ侯爵邸と同じ街にあるのだが、街中ではなく街外れに設けられているので、住民達の視線にさらされる心配はない。かつては今の十倍以上の規模を誇っていただけあって、空いているスペースも十分だ。ルゥムが暮らすのに、これ以上適した場所は他にないだろう。
なお、フレイヤがブラッシングに使っている櫛は、あのゴーレムの身体から採れた魔石を再利用している。霊体であるフレイヤは、魔石のような魔力を媒介するものにだけは触れられるので、わざわざドヴェルグに頼んで作ってもらった逸品だ。それが魔力を熱として溜め込むルゥムには非常に気持ちいいらしく、フレイヤにブラッシングされるのがお気に入りになったようだった。
「あはは、そんなに舐めないでよルゥムってば……って、ちょ、ちょっと待っ、舐めすぎっ…てっ……ひやぁぁぁぁっ!?」
ベロベロとフレイヤの顔を舐めるルゥムの舌は止まらず、そのうち押し倒されて好き放題に舐め回されてしまった。これもルゥムにとっては親愛の表現なのだろう、傍から見ると完全に捕食されているようにしか見えないのだが。
「大丈夫?手を貸しましょうか?」
「えっ?あ、ああ、大丈夫ですよ。この子は甘えてるだけなの……うぶ、ちょ、止め……っ!」
喋ろうとすると舌で舐めとられるせいか、フレイヤはまともに話せそうにない。それからフレイヤがルゥムの舐め攻撃から脱したのは、五分ほどしてからの事だった。
「はぁ……はぁ…やっと出られた…!ご、ごめんなさい。お待たせしちゃって」
「いえ……大変ね。いつもこうなのかしら」
「今日は特に酷いかもしれませんけど、可愛いものですよ」
「そ、そう?凄い状態だけど……」
そう答えるフレイヤの顔面は、ルゥムのヨダレでベッタベタになっており、とても可愛いものとは言えない有り様だった。話しかけてきた女騎士はだいぶ引いた様子で、フレイヤの顔を覗き込んでいる。
ただ、幽霊であるフレイヤの霊体は、そんな汚れがいつまでも干渉することはない。ヨダレ程度なら、フレイヤ自身の魔力で分解されて消えてしまうのだ。フレイヤが手で顔をこすると元の綺麗な顔に戻っていく。そうして、元通りになったフレイヤは女騎士に声を掛けた。
「それで、ええと……あなたは?ごめんなさい、お名前が解らなくて」
「いえ、私達、お話するのは初めてですから当然です、気にしないで。では改めて、初めまして、私はナンナ。エッダ騎士団三番隊の隊長を任されている女です。以後、よろしく」
「ああ、あなたが!私はフレイヤ、フレイヤ・ヴァナディースです。宜しくお願いいたしします」
右手を曲げて胸の前に当てるエッダ騎士団式の敬礼をしてナンナが名乗ると、フレイヤはすぐに理解して名乗り返した。ナンナの名前は、フォルセティやウルから聞いていたからだ。
ナンナ・ガッディス。彼女は三番隊隊長であると共に、二番隊副隊長であるフォルセティの実姉であり、エッダ騎士団に存在する女騎士達の頂点に君臨する女傑である。彼女の率いる三番隊は大半が女騎士で構成された部隊であり、機動力を活かした戦法や、警護対象が女性だった場合に専属で護衛につくことを想定された部隊である。
もっとも、現在は王家や王族の警護は近衛兵団の仕事であり、特定の人物の護衛任務などはほとんどないので実質女性だけで構成される意味は形骸化している。精々、救援先の貴族を守護する時や、近衛兵団では手が足りなくなる式典の際の警備くらいのものだ。
そんな中でも、彼女達三番隊は隊の解散や再編成などにならない辺り、その実力の高さが窺い知れるだろう。そして、フレイヤが聞いていた彼女の特徴はもう一つある。
「それで、ええと、ナンナさん、何か御用だったかしら?」
「いえ、用って程じゃ……ううん、ダメだな。こういう話し方向いてないや。ごめんね、楽に話させてもらうよ」
「ええ、気にしないで。私の方こそ、砕けた話し方でごめんなさい」
「よかった、アタシはずっと騎士団で育ってきたから、どうもカタいのは苦手でね。じゃ、単刀直入に聞くけど……フレイヤさん、アンタ、その…団長と、バルドル様と付き合ってるってホントかい?聞いた話だと同棲までしてるとか」
「えっ!?あ、いやその、それは……」
突然の質問にフレイヤは思わず動揺してしまったが、真剣な目で見つめてくるナンナの圧に耐えかねて正直に話す事にした。
「こ、恋人……では、ないです。そ、そうなったら嬉しいなって思ってるけど……私、ゆ、幽霊だし…」
「ふぅん……そうなんだ」
「ひっ!?」
ナンナの声のトーンが二つくらい下がって、周囲の気温までもが下がったような感覚に襲われた。隣にいるルゥムも、不穏な気配に押されて尻尾を下げてしまっている。そう、フレイヤが聞いていた彼女のもう一つの特徴、それは、バルドルを神の如く崇めるバルドル絶対崇拝者としての一面だ。
「ちょ、ちょっと待って!べ、別に同棲してるっていうのは私が勝手に間借りしてるっていうか、バルに憑りついているから一緒にいるだけでっ!そ、そういう関係じゃないからっ」
「……でも、恋人になりたいって思ってるんでしょ?それってバルドル様の事が好きって事だよね?」
「いやまぁ…それは、そう……なんだけど!」
汗などかかないはずのフレイヤだが、背筋に冷たいものが伝わるような感覚がする。下手な答えをして彼女の怒りを買えば魂ごと消滅させられそうな予感までして、フレイヤは焦りまくっていた。そこへ。
「おや、珍しい組み合わせだな。ナンナ、フレイヤ」
「ば、バル!?」
現れたのはバルドルだった。この男、今まさに自分が元凶だと言うのに、呑気な顔をして爆心地に足を踏み入れてきた。バルドルが余計な事を言おうものなら、冗談抜きでフレイヤの命(※もうない)が危ない。しかし、そんな予想に反してナンナが見せた反応は意外過ぎるものであった。
「ば、バルドル様…っ!?…………こんなところで、一体何をしていらっしゃるのです?」
(え……?)
「こんなところって……俺が騎士団の様子を見に来ちゃいけないか?皆の様子を見がてら、ルゥムを構ってやろうかと思ったんだが」
よく見ると、バルドルの手には大きな骨付き肉が入った袋が提げられていた。恐らく、街の肉屋でロメヌの肉でも買ってきたのだろう。ロメヌは牛に似た生物で、普通の牛よりも一回り以上大きい食用の家畜である。身体が大きいせいか成分が濃く、牛と違って乳を飲むのには適していない。あくまで肉を食べる為の家畜だ。
その肉と骨はルゥムの大好物であり、肉自体の値段が安い事もあって、よくバルドルがルゥムの食事用に買っては食べさせている。実は、バルドルは幼い頃からペットを飼いたかったのだが、家計に余裕がない為、ずっと飼えずに我慢していた。なので、フレイヤがルゥムを連れてきた事に、内心ではかなり喜んでいるのである。
一方、バルドルに対して冷たく当たるナンナは、そんな彼の言動に舌打ちをして睨みつけていた。さっきまでフレイヤに対して与えていたプレッシャーよりも数段強い圧だ。フレイヤは訳が解らないとナンナの顔を訝し気に覗き込んでいた。
「はぁ……仮にも侯爵ともあろうあなたが、何と情けない。仕事を放り出してまで犬の世話など、貴族のやることではありません!愚弟から聞いていますよ、また書類仕事を溜めているそうじゃありませんか。さっさと肉を置いて、仕事にお戻りください!」
「わ、解ったよ。厳しいな、ナンナは……じゃあ、フレイヤ、これをルゥムに食わせてやってくれ。俺は戻るよ」
「バル……」
フレイヤは肉を受け取ろうとしたが、彼女の霊体ではそんな重い物を持つことなど出来はしない。すると、ツカツカと二人の間に割って入り、ナンナが肉の入った袋を引っ手繰って、またバルドルを睨みつけた。
「お・か・え・り・を!」
「わ、解ったって…!それじゃ、またな」
バルドルは名残惜しそうに背を向け、トボトボと屋敷の方へ歩いて行ってしまった。どうしてナンナは彼にそんなに冷たい態度を取るのだろう。彼を心酔しているというのとは真逆のように見える。
そうして、バルドルの背中が見えなくなるまで遠ざかった頃、ナンナはくるりとフレイヤの方へ振り返り、そのまま大粒の涙を大量に溢し始めた。
「えっ!?えっ!?な、ナンナさんどうしたの!?」
「う、うぇぇぇぇん!フレイヤぁ!またやっちゃったよぉ~~!あ、アタシダメなんだ!バルドル様を前にすると、き…緊張しちゃって、つい嫌味ばっかりぃぃぃ!ああ、こんなんじゃバルドル様に嫌われちゃう……!」
「えええ……」
予想もしていなかったナンナの弱点に、フレイヤはどうしていいのか解らなかった。それからしばらくの間、隊舎の片隅から大声で泣く女の声と、それを慰めようとする女の声が響き渡っていたという。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白い」「気に入った」「続きが読みたい」などありましたら
下記の★マークから、評価並びに感想など頂けますと幸いです。
宜しくお願いします。




