一歩ずつ
敵も味方も……
「俺の力云々は置いておくにしても、確かに、全員の育成は大事だな。今後、ルゥムのような魔獣が出てきた時に、対処できないでは困る」
とはいえ、滅多な事では絶滅危惧種のモンスターや魔獣などは現れないが、魔獣というのはそもそもがイレギュラーな存在だ。例えば、ライガのような元々獰猛な動物が魔獣化すれば、ルゥムに匹敵する危険な魔獣となり得る可能性は十分ある。カーズ達が訓練から離れていた事を考慮しても、今も騎士団に在籍している者達がどこまで対応できるかは不明である。ウルやフォルセティのような、隊長副隊長各でしか戦えない相手では、今後の活動に影響が出るだろう。
「その辺は、俺らがきっちりやるっスよ。カーズ達もだいぶ鈍ってたし、ここらで全体的に気を引き締めないとっスからね!」
そう言って、ポキポキと指を鳴らすウルの表情は、普段の優し気な好青年のものとは明らかに違っていた。カーズ達に対してはまだ若干私怨を感じるが、そこまで無体なことはしないだろうと信じたい。
「鍛えるのはいいが、あまり無茶はするなよ」
「なーに言ってんスか!?今が無茶のしどころでしょうよ!いいっスか?怪我や病気の治りが速いなら、多少の無茶はするべきっス!」
「ふむ……」
ウルの言わんとしている事は、確かに正論だ。筋肉は負荷をかけて破壊され、修復する度に強くなる。怪我の治りが速いという事は、そのサイクルを大幅に縮める事が可能ということだ。普段は優しいバルドルであっても、こういう機を逃して甘い顔をするほど、無能な男ではない。
「解った。その辺りは各隊の隊長達と話し合って詰めてくれ。とはいえ、本来の任務もある。肝心な時に動けなくなるような内容は組むなよ?」
「合点承知っス!ん~~~、面白くなってきたっスねぇ!」
書類仕事に向けていた、さっきまでの覇気のない顔からは一変して、ウルはニコニコと笑顔になっていた。大方、どんな訓練にしようか考えているのだろう。バルドルに対してはやる気のなさを見せる事もあるが、彼も意外と脳筋なのである。
ウルの現金な所を見て、バルドルはやれやれと苦笑いをする。しかし、この状況はバルドルにとっても悪くないのだ。いっそ自分も集中してトレーニングに励もうかと、バルドルは考え始めていた。
「俺も、久々に気合入れてトレーニングするかな」
「……えっ?」
それまで笑顔だったウルの顔が、微妙にひきつり始めた。それに気付かないバルドルは、我が意を得たりとばかりに手を打って、笑みを浮かべて言った。
「そうだ。せっかくだし、お前達の訓練も俺が見てやろう!そうすれば一石二鳥だ。たまには俺が一緒でも気分転換にいいだろう」
「いやいやいやいやいやいやいやっ!そんなことに団長の手を煩わせる訳にはいかないっスよ!!団員達の方は俺ら隊長格がしっかり考えて面倒みますから!団長は俺らの事なんて忘れて、のびのびとお一人で訓練なさって下さいっス!」
「……そ、そうか?」
(あっぶねぇ~~~~!いくら無茶するべきって言っても、団長のガチ訓練に付き合ったら皆死んじまうっスからねぇ…!この人ホントこういう無自覚な所が怖いっス)
ウルの脳内に蘇ったのは、かつてバルドルの訓練に付き合わされた時のことだ。バルドルがたった一人で騎士団員全員を薙ぎ倒し、自分の力を認めさせたばかりの頃、今日から訓練も自分が行うと言い出して提案してきたのは、まさに地獄のような特訓メニューであった。その厳しさは、ウルを始めとした実力派の隊長達でさえついていくのがやっとのレベルであり、たった一日の訓練で一般の隊員達は大半が病院送りになったという。
以来、騎士団員の訓練は各隊の隊長がそれぞれ受け持つ事とし、バルドルには領主としての仕事に専念してもらう事になったのだった。
そんな過去の経緯があるので、ウルとしてはバルドルに訓練を任せるようなことはしたくない。いくら無茶をすべきと言っても、それは常識的な範囲の話。他ならぬバルドルが無茶をすると言い出したら、それは部下達の命にかかわる事態となりかねないのである。
そんなギリギリの攻防を回避した時の事だ。タンタン!とリズムよく、玄関ドアをノックする音が聞こえた。
「ん?誰が来たようだな。ちょっと出てくる」
「あ、俺が出るっスよ。っていうか、儲かって来てるんだし、そろそろ使用人の一人くらい雇った方がいいんじゃないっスか?仮にも侯爵邸っスよね?世界中のどこを探しても、主が直接来客の対応する侯爵なんていませんよ」
「……善処する」
ウルの言い分はもっともであり、バルドルにとっては耳の痛い話である。貴族には貴族としてのマナーや礼儀があり、また使用人を雇う事で領民に仕事を与えるという役割もある。それは世界中を旅して目にしてきたバルドルにもよく解っていることなのだ。今まではない袖は振れぬとしてきたが、いい加減、逃げられない問題でもあった。
「お久し振りです、エッダ侯爵。遅ればせながら、ご厄介になりに参りました。中々引き継ぎなどが忙しくて、時間がかかってしまって申し訳ない」
「おお、ガリドさん!よく来てくれました。こちらこそ、無理を言って来て頂いて申し訳ない。これからは仲間として、よろしくお願いしますよ」
ウルに連れられて入ってきたのは、あの時計塔の管理者だったガリドである。彼は時計塔の管理者としてあの時の火災の責任を取らされてクビになったはずだが、長い間彼が管理者として勤め上げた実績と、バルドルがオーディに口利きをし円満な形での辞職となった為に退職まで時間がかかったようである。
「団長、この方は?」
「ああ、前にも話したと思うが、王都で時計塔の管理者として働いていた魔術師のガリドさんだ。うちの騎士団に来て欲しいと頼んでいたんだよ」
「あー、ちょっと前に聞いた話の!良いっスねぇ、うちは腕のいい魔術師が少なかったから、願ったり叶ったりっスよ。よろしくお願いしまっス!」
「ガリドです、宜しくお願いします。それと、エッダ侯爵。私はこれからあなたの部下になるのですから、さん付けも敬語も必要ありませんよ。他の皆さんと同様の対応でお願いします」
「それは……いや、そうか、そうだな。じゃあ、改めてよろしく頼むよ」
「はい、お役に立てるよう、精進します」
ガリドはそう言うと、にこやかに微笑んでバルドルの差し出した手を握り返した。悪霊令嬢が結んだ奇妙な縁だが、中々に得難い出会いだったとバルドルは思っている。こうして、更なる仲間を得て、エッダ騎士団は着実に拡大していく。それもまた、フレイヤが運んできた幸運によるものと言ってもいいだろう。
――その頃、カーズ達が住んでいた森の家に、一人の男が訪れていた。
男の背丈は高くも低くもないが、フード付きのローブを深く被っていて、その表情を窺い知る事はできない。男は静かに家の外から様子を窺って、一人静かに呟いた。
「おかしい、ガルムが暴れた形跡はあるが、あの連中の死体はどこにもない。まさか、奴らガルムを倒したのか?そんなに腕の立つ奴らだとは思わなかったが……まぁいい。いずれにしても、実験は次の段階に移ってもよさそうだ。しかし、その前に、証拠は消しておかねばな」
男は魔力紋を刻んだ左手を前に出し、小さく何かを呟いてみせた。すると、見る間に家全体が軋み歪んでいく。その次の瞬間、建物は跡形もない程に潰されて瓦礫すらも粉々になって消滅した。
満足そうに笑った男は、そのままローブを翻して背中を向けると、煙のようにその姿を消した。後にはただ、鳥のさえずりや風で木々が騒めく音が残るだけであった。
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