檻の中の魔獣
隠し事の正体は……
フレイヤが屋敷の中に入ると、ひんやりとした空気が満ちていた。時間は日を跨いだ頃で、森の中にある家だけあって、しんと静まり返っている。律儀に玄関から入っていく必要は全く無いのだが、わざわざ玄関のドアをすり抜けて入る辺り、やはりフレイヤは育ちがいいのだろう。
「時間も遅いし、皆さん寝てるかしら?人の気配は……あっちね」
人の集まる気配を感じ取ったフレイヤが、誰もいない廊下をゆっくりと進んでいく。流石は幽霊だけあって完璧に無音で、その姿を目撃しない限り、簡単にバレることはなさそうだ。
そもそも、現在のフレイヤは、自らの意志で人に姿を見られないように調節している状態だ。ただし、それは姿を消しているのではなく、自身の解像度を下げているというべきものである。要は、誰かの視界に入っても、それと気づかせないようにしている訳だ。認識阻害の魔法がかかった状態と表現するのが解り易いだろう。
その為、バルドルのように彼女の存在を完璧に認知して感じ取れる存在には効果がない。あくまで目立たなくしているだけなのである。
いくつかの部屋を素通りして辿り着いたのは、少し大きめの部屋だった。恐らくリビングなのだろう、この家で一番大きな部屋のようだ。部屋のドアの前に立つと、中からは人の声が聞こえてくる。こんな時間だというのに、まだ家人達は起きているらしい。フレイヤはそっとドアに耳を当て、中の会話を聞いてみることにした。
「――しかし、まさか団長が直接こんな所に来るなんてな。焦ったぜ」
「俺もだ。相変わらず、あの方は俺達の事を気遣ってくれているらしい。あんな形で騎士団を辞めて、苦労をかけちまったっていうのに……おい、カーズ。どうするんだ?これから」
「どうするもこうするもねぇ。この仕事を終えて金を作って、今度こそ王都に店を出す。それだけだ。それしか俺達があの人に恩を返せる方法はないだろう。食い詰めた貧乏人の小倅だった俺達を拾って、一端の人間に育ててくれたのは、バルドル様とフリッグ様だ。ここで躓くわけにはいかねぇ、なんとしてもこの仕事を成功させるしか、な……?」
それまで普通に喋っていたカーズが、突然、言葉を詰まらせた。一方、部屋の中で何が起きているのか解らないフレイヤはもっと良く会話を聞き取ろうと更に強くドアへ耳を押しあてた。
(あれ?おかしいわ。急に聞こえなくなっちゃった…?も、もう少し耳をつければ……!)
「……おい。なんだ、ありゃ?ドアから耳が生えてやがる」
「あ?」
「えっ!?」
カーズの一言で、全員の視線がドアに集中した。フレイヤは部屋の中の会話をよく聞き取ろうと耳を押し付けたつもりだったが、そのせいで頭がドアをすり抜けてしまい、耳だけがドアの向こうに出てしまったのだ。慌てたフレイヤはドアから顔を離し、廊下を見回す。当然だが、ただの廊下に隠れられるような場所はない。その間に、部屋の中ではカーズが立ち上がりスタスタとドアに向けて歩き始めていた。
「おい、どうした?カーズ。耳がなんだって?」
「いや、妙な気配がしてな」
「ど、どうしよう……見つかっちゃう?!そ、そうだっ!」
どうやら、カーズはフレイヤの存在を感知できるらしい。恐らく、バルドルやガリドのように、そういったものを感知する能力に長けているのだ。近づいてくるカーズの足音を察したフレイヤは、どうにか身を隠せる場所はないかと見回した後、咄嗟に天井へ視線を向け勢いよく飛んだ。
「!…………誰もいねぇ、か?だが、何か妙だな」
フレイヤが飛んだのとカーズがドアを開けたのは、ほとんど同時に近かった。ギリギリの所でフレイヤの姿を見られはしなかったが、違和感は残ったようだ。カーズは訝しみながら廊下や窓の外を確認している。その頃フレイヤは、天井をすり抜けた二階部分で、深く息を吐いて心を落ち着かせていた。
「あ、危なかった……カーズさん、あの人には私が見えるんだわ。油断しちゃった」
一先ず切り抜ける事は出来たものの、カーズはかなり疑っている様子だった。こうなるとしばらくは警戒が解けないかもしれない。思わぬ失態に頭を抱えたフレイヤだったが、周囲の状態に気が付くと、キョロキョロと辺りを見回した。
「ここ、何の部屋なのかしら?真っ暗でよく解らないけど……これ、鉄格子…よね?」
窓すらないその部屋では一切の光源がなく、文字通り漆黒の暗闇だ。しかし、幽霊であるフレイヤは物の見え方が少し人間とは違うらしい。ぼんやりとではあるが、目の前に冷たく硬い金属で出来た棒が、等間隔で並んでいるのが確認できた。何故、部屋の中に鉄格子があるのか?その異質さに吸い寄せられるように鉄格子へと近づき両手で触れた時、フレイヤの背後で、何かがゆっくりと首をもたげた。
(な、何か、いる……!?)
バルドルならいざ知らず、フレイヤには背後にいるものの気配だけで、それが何なのかを窺い知る事は出来ない。しかし、感じられる圧迫感と僅かに聞こえる擦れた音が、確実にフレイヤを狙っている事を知らせている。本能的に危険を察知したフレイヤが動いたのはそのすぐ後の事だ。
ガシャンッ!
「ひぃっ!?」
鋭い爪をもった大きな足が、フレイヤのいた場所へ振り下ろされた。当の彼女自身は、鉄格子をすり抜けて外へ出たので難を逃れたが、振り向き様に見えたのは人間よりも二回りは大きな動物である。何故か暗闇に大きな目だけが爛々と光っていて、不気味さをより強調していた。
「あ、あわわ……!?」
腰を抜かしたフレイヤは、振り向いた状態のまま座り込んでしまった。視線の先では、フレイヤの存在に興奮した様子の獣が、彼女を睨みつけて前足を鉄格子に叩きつけている。
「が、ガルム…ッ!?なんで……こんなところに」
ガルムとはこの世界に存在する生物の名だ。鋭い牙と爪を持ち、首周りにライオンのような朱いたてがみを持つのが特徴である。生物的にはイヌ科の生物ではあるが、サイズ的には虎よりも大きい。生まれつき魔力量の多い生物である為に魔獣化しやすく、過去には危険な存在として根絶目的の大規模な殲滅が行われたこともあった。そうした経緯があって、現在は人里近くにガルムが現れることは滅多にない。それはフレイヤが生前だった80年前から既にそうだったのだ。
鉄格子を叩く大きな前足を見て、フレイヤは戦慄した。もし後少し避けるのが遅かったら、間違いなくあの力が漲る太い足と鋭い爪がフレイヤの霊体を引き裂いていただろう。本来、肉体や実体を持たない幽霊に物理的攻撃は通用しないものだが、もちろん例外がある。それは魔力を込めた攻撃である。
レイスやスペクターといったモンスターに魔法が効くのと同じように、魔力を込めた攻撃であれば霊体にもダメージを通す事は十分可能だ。ただ、普通の生き物であればそう簡単にはいかないだろうが、ガルムや魔獣のように魔力を大量に保有する生物の攻撃には自然と魔力が込められている事が多いので、フレイヤが幽霊であっても安心はできない。
「こ、これ……ガルムの檻だったんだわ。でも、カーズさん達、どうしてガルムを閉じ込めているの?まさか、ガルムを育てて……っ!?」
それは、あまりにも恐ろしい想像だった。魔獣化しやすいこともあって、頻繁に人を襲う獣である。この大きな体から解るように、非常に戦闘能力も高いので、もしも飼育して増えるような事があればいずれ深刻な被害を招くだろう存在なのだ。いかなる理由があろうと、そんな怪物を飼うなど許される事ではない。
先日、カーズ達がバルドルをこの家に近づけなかった理由はこれだったのだ。それに気付いたフレイヤは、恐ろしさのあまり身を震わせていた。
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