変化する心と日常
遂に座敷童令嬢化したフレイヤですが……
「団長、こちらを」
「ああ、ありがとう。しかし、君も休暇中だというのに悪いな。手伝ってくれて助かるよ、フォル」
執務室とは名ばかりの小さな部屋で、バルドルが書類と格闘している。傍らにいるのは、エッダ騎士団二番隊の副隊長を務める男で、フォルセティという名の男だ。眼鏡の似合う優男だが、一度戦場に立てば、誰よりも怜悧冷徹で、容赦なく敵を殺すと謳われる強者である。曲者揃いの騎士団の中で、もっともバルドルに心酔しており、頭もよいのでよくバルドルの書類仕事を手伝ってくれる。ウルとはまた違う形で頼りになる男と言ってもよい。
フレイヤが生前に近い姿を取り戻してから、三カ月が経過した。結局、ゴーレムの身体から産出された魔石については坑道に厳重な封印を懸けた状態で保留になっているのだが、その理由は何よりも、現在のエッダ領全体に降って湧いた好景気によるものだ。一言で言えば、忙しくて手が回らないのである。
「……しかし、領主の俺が言うのも何だが、どうして突然こんなに景気が良くなったんだろうな」
「ご存じないのですか?現在、エッダ領はどこも観光客でごった返していますよ。主にグラズヘイム王国の他の領地からの客のようですが、他国からの人間も多くなっているとか」
「観光客……?うちの領地にそんなに見るべきものがあったか?」
「正確に言えば、彼らの目的は湯治です。エッダ領では、病や怪我が立ちどころに治ると噂が立っているのですよ。ですから、最近の陳情は新たな宿泊施設の建設許可ばかりでしょう」
「ああ、そう言う事だったのか。……確かに、新しく大型のホテルを建てたいというものばかりだ。いかんな、目を通しているはずなのに理解しきれていない」
手元に置かれた書類をまじまじと見て、ようやく内容を理解する。バルドルはすっかり疲れ切っているようで、中身をろくに確認せず、流れ作業で判を押してばかりだった。だが、バルドルがそこまで疲れるのも無理はない。何しろこの三カ月の間で、税収はうなぎ登りどころか滝を登る勢いで増えている。まだ春になったばかりだというのに、王家に払う今年度分の税金が、後二月もしない内に払いきれると言えば、どれだけの好景気か解るだろう。それに伴って、書類仕事も普段の数倍から十数倍に跳ね上がっていて、とっくにキャパオーバーしているのである。
なお、フォルセティがしっかりと内容を精査してからバルドルに回しているので、危険なものや、ろくでもないものはきちんと弾かれているようだ。
「とはいえ、怪我や病気が治るとは些か誇大広告なんじゃないか?それで効果が無ければ訴えられるぞ」
「いえ、それがあながち嘘や大袈裟な話でもないのです。かく言う二番隊の隊員も、先日の魔獣討伐で重傷を負った者がいたのですが、領内に戻って来た途端に息を吹き返したように傷の治りがよくなって持ち直しましたからね。それが領内全体で起こっているのですから、人気が出るのも当然かと。この調子なら、団長も生活にゆとりが出来るようになりますよ」
「はは、俺が潤うよりも騎士団の皆を労ってやるのが先だろう。人手が足りなくて、皆ろくに休みもとれてないだろう?一応、どうにか出来ないか考えてはいるんだが、人員不足はそう簡単にいかなくてな…」
「騎士団は性質が特殊ですからね。迂闊な人間を集めても返って危険が増すだけですし。ただ、団長がそうやって我々の事を考えてくれていると解っていますから、気になさらなくても大丈夫ですよ。それに、怪我や病気が治り易くなっているお陰で、疲れもすぐに取れるのです。団員達の意気は軒昂です」
「その言葉にいつまでも甘えてもいられんだろ……ちなみに、確認なんだが、その傷や病が治りやすくなったというのは、いつからなんだ?」
「…およそ三カ月ほど前からです」
「三か月か……考えたくないが、やはり」
そう言って、バルドルは視線を隣のリビングへと向ける。そこには美しい姿と所作でソファに座りながら、紅茶の香りを楽しむフレイヤの姿があった。三カ月前と言えば、ちょうどフレイヤがバルドルの家にやって来て、生前の姿を取り戻した頃である。二つの間に因果関係があると断言はできないが、それが無関係であると言えるほどバルドルは気が付かない男ではなかった。どういう意味があるのかは不明でも、両者の間に関係があると思う方が自然だろう。何しろ相手は幽霊という超自然現象なのだ。モンスターでもない幽霊の存在など、そうそう確認できるものではない。以前、ゴーレムと戦った際にフレイヤがみせた女神の如き力の事もある。タイミングがバッチリ合っているというだけでも、関係を疑う気になるのは当然の事だった。
ちなみに、バルドルはまだ気付いていないが、実はエッダ領内では食料品…野菜や小麦、一部では米などの基本的な食材も異常なほど収穫量が跳ねあがっていた。湯治がメインとはいえ、観光客が大幅に増えても問題が起きていないのはそれが理由だ。ただ、宿泊施設だけは勝手に生えてくるものではないので、急いで整備させて欲しいと陳情が上がっているのである。
そんな二人の視線を感じたのか、目を瞑って紅茶の香りに酔っていたフレイヤがスッと目を開けてこちらを見返した。
「あら、どうなさったの?バル。何かあったのかしら?」
「……いや、何でもない。順調過ぎるくらいさ、フレイヤ。気分に変わりはないか?」
「ええ、問題ないわ。ありがとう」
生前の姿を取り戻してからというもの、フレイヤの様子はずっとこうである。以前の無邪気な少女のようだった彼女は鳴りを潜め、貴族の女性らしい、余裕のある大人の女性のような態度を取るようになった。精神年齢が一回り上がった感じだ。
(だいぶ慣れてきたとはいえ、最初の頃の危なっかしい態度の方が気は楽だったんだが…生きている頃のフレイヤに出会ったら、きっとこんな感じだったんだろうな。やれやれ)
バルドルは今まで貴族の女性に良い思い出が無い為、こうなったフレイヤの態度は少し辛いものがある。もちろん、フレイヤがバルドルに冷たい態度を取る訳ではないし、あくまでバルドルが勝手に壁を感じているだけなのだが、それだけバルドルが過去の恋愛で手痛い思いをしているということなのだろう。
思いがけぬ変化に戸惑うバルドルだったが、彼が更なる日常の変化に翻弄されるのはここからであった。
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