光の導き
生前のフレイヤは、かなり強気なタイプだった様子。
フレイヤともう一人の悪霊は、互いに一歩も譲る気配がない。どうやら相手の悪霊……名をシェヴンというのだが、彼女も元々は貴族のようで、どちらも令嬢としてのプライドがあるようだ。口舌の刃で罵り合う中、フレイヤの放った一言がクリティカルヒットした。
「――大体ね、あなたは意中の相手がいらっしゃると言うけれど、どうしてそれで火事を引き起こす事になるのよ!?」
「だからさっきも言ったでしょ!あの方のお力ならば、こんな火事なんて立ちどころに解決なさるわ!そうすれば、こんな閑職で収まる器じゃないって証明できるじゃない!」
「……いや、その方は魔石の管理者なんでしょう?その魔石が元で火が出たとしたら、火事の始末以前に、その方の管理不行き届きじゃないの?責任問題になるんじゃなくて?」
「えっ……」
ピタリと動きが止まり、それまでカッカと燃え盛っていたシェヴンの髪から一気に火が消えた。やがて彼女はダラダラと冷や汗を流し始め、極端なほど、目が左右に揺れ動いている。解りやすすぎる動揺の仕方だ。どうやらシェヴンは、そこまで考えが及んでいなかったらしい。やはり、悪霊化したことで物事を深く考えられなくなっているようだ。
フレイヤは相手の様子を見て、心底呆れたように溜息を吐いてみせた。
「呆れた…そこまで考えてもいなかったのね。どうするの?あなたのせいで、その方クビになるかもしれないわよ?」
「う、うぐ……!そ、それは…」
それはフレイヤにとって、相手の心を折って勝利しようとする為の言葉ではなく、思慮の足りない哀れな同輩を案じての一言だったのだが、それは予想以上に悪霊の心を追い詰めた。そもそも、このシェヴンも、根っからの悪人という訳ではなかったのだろう。なまじ罪の意識に苛まれる程度の良心を持ち得ていたからこそ、自分の愚かな行いのせいで思い人を窮地に追いやってしまう事に、深い絶望と後悔の念を抱いてしまった。
「う、うう……私は、そんなつもりじゃ……ううぅぅ…!」
「ど、どうしたの!?大丈夫…?」
生身の人間であれば、改心して何とか罪を償おうと考える事が出来たはずだが、彼女らは共に幽霊……即ち霊魂という特異な存在である。彼女達にとって、絶望や後悔、そして恨みつらみといった負の想念は、己の存在へ大きく影響しそれを歪めてしまうものだ。ちょうど、フレイヤがバルドルをバカにされて怒りを露わにした時のように。
「…………ああ、ソウだわ。こノ世に居場所ガないのナら、あのヒトも、こっちにクればいい。死んでモ、二人デ居られる…ワタしタチなら!」
「あなた!?き、気をしっかり持ちなさい!負の感情に飲まれてはダメ!」
「黙レっ!私ハただ、あのヒトと一緒ニ居たかったダケなのに!オ父様モお母様も!皆が私の邪魔をシた!身分がチガウからっテ!もう、会うナって…!」
シェヴンの赤い髪に、再び炎が宿っていく。今度は燃え盛るような赤い炎ではなく、冷たく凍えるような、しかし、途轍もない火勢を持った青い炎だ。切々とした思いが言葉に乗って、狂気に満ちた炎が揺れている。同じ幽霊であるフレイヤには、その感情だけでなく、思考すらもダイレクトに伝わっていた。そして、知ってしまった。彼女の身に起きた不幸も、最期までも、その全てを。
「もういいッ!もう皆消えろ!消エテしまえッ!」
「きゃあっ!?」
叫びと共に、膨大な魔力の衝撃波が放たれて、フレイヤは大時計まで吹き飛ばされた。単純に物と接触してもダメージは受けないが、魔力の衝撃波となれば、話は別だ。魂そのものを傷つけるような強い魔力による攻撃は、霊体であってもダメージを受けてしまう。バルドルが得意とする光魔法で、レイス達を退治できるのと同じ理屈である。
「くぅっ!なんて力……!はっ!?」
「アハハハ!アハハハハハッ!そうだわ、簡単なコトじゃない。皆死んで、死んでしまえばいいのよッ!皆等しく死んでしまえば、私だけが不条理な思いに泣かされることもない!私の恋を認めなかったお父様もお母様も、身分の差を作るこの国も、全部滅んでしまえばいいっ!」
先程まで、歪な片言が混じっていたシェヴンの声が安定し始めている。それは、揺らいでいた彼女の感情が定まり始めた証拠と言える。つまり、完全なレイスへと魂の在り様が固着しかけているのだ。青い炎を宿していた髪は禍々しい赤紫へと変色し、更なる魔力の圧がフレイヤを襲った。
「ううぅっ…!か、身体が潰れそう……っ!」
「お前…!お前だって私と同じ悪霊なのに、どうしてまともでいられる!?……認めない、許さない!一人だけ綺麗なままでいるなんて、絶対に!」
フレイヤが正気を保っていられたのは、間違いなくバルドルの存在があってこそである。数日前、初めて幽霊として目覚めたあの時、もしもバルドルがいなかったらフレイヤは孤独なまま己が身に起きた不幸と絶望に苛まれ、飲み込まれてしまっていただろう。完全なレイスとして、人の仇なす存在と成り果てて、いずれはモンスターとして消滅させられる所だったに違いない。
しかし、彼女はそうならなかった。あの時、バルドルが与えてくれた魔法による光の薔薇と、臆病ながらも必死に自分を繋ぎ止めようとしてくれた彼の優しさが、闇に堕ちる寸前のフレイヤを救い上げてくれたのだ。フレイヤはバルドルに対して、まだほのかな恋心を抱いているだけだが、恩人という意味では絶大な信頼と感情を抱いている。だからこそ、ここで屈する訳にはいかなかった。それは、バルドルの為でもあるのだ。
(こんな姿になっちゃって、運が良いって言うのもおかしいかもしれないけど…それでも私は、バルドルに出会えただけラッキーだったんだと思う。一歩間違えれば、私だって彼女のようになってしまっていたはずなんだから…!そうよ、だから私は彼女に伝えたい。ううん、伝えなきゃ!恨みに飲まれても、そこに救いなんてないんだってことを……!)
凄まじい怨念の暴威に耐えながら、フレイヤは強い意志を持ってシェヴンを睨み返した。同情や憐れみ、或いはどちらが不幸かという話ではなく、闇に堕ちかけた自分だからこそ、今まさに真の悪霊になりかけている彼女を救いたいとそう強く思う決意の表れだ。
「なんだ!?何故そんな目で私を見る……やめろ、そんな目で私を……私を見ないでぇっ!!」
フレイヤの視線に気圧されたのか、シェヴンは泣き叫ぶような声で拒絶し、再び魔力を放った。それまでで最も強い、目に見えそうなほど濃密な魔力の波だ。暴威と言ってもいいその威力を、フレイヤ自身は身構えて耐えたが、その背後にあった大時計は耐えきる事が出来なかった。大型の魔石で出来ている分、そこまで耐久性がないのである。
バキバキと亀裂の入る音がした直後、文字盤はシェヴンの魔力を押し込まれ、粉々に砕け散った。
「うわぁっ!?」
「お、お兄ちゃんっ!」
少しでも煙から逃れようと、大時計にくっついていた少年が驚きの声を上げた。突然の破壊によって大きな風穴が開き、行き場を無くしていた内部の空気が一気に外へと流れだしたのだ。そして、破壊された大時計の破片から妹を守ろうと、少年は少女を抱き締めてぎゅっと目を瞑る。しかし、一向に身体には何の衝撃も痛みも来ない。それどころか、ほんのりと温かみを感じて目を開けてみれば、そこには二人を庇う様にして覆うフレイヤの姿があった。
「お、お化け……おまえ……?」
「大丈夫?怖いかもしれないけど、ちょっとだけ我慢してね」
フレイヤは、幽霊が物体に干渉する術を持たないと思い込んでいたが、シェヴンが魔力によって大時計を破壊したのを見て学習したようだ。自分の霊体にも魔力は残っている。それをバリアーのように薄く広く展開させれば、多少の破片くらいは防げるのである。
血を流しながら子供達に微笑むフレイヤの姿は一種異様な光景ではあるが、今は状況が状況だ。まだ幼い兄妹達は、フレイヤが自分達を守ってくれたことを理解し、それを心に強く刻みつけた。
そして、フレイヤは再び、シェヴンへと視線を向ける。ちょうどそれは、視界を遮っていた大量の煙がどんどんと晴れていく所だった。突然の破壊によって大きな風穴が開き、行き場を無くしていた内部の空気が一気に外へと流れだしたのだ。大時計の分、空いた穴から月の光が時計塔の中へと差し込み、フレイヤ達を照らす。更に月光とは別に新たな輝きが時計塔の中から確認できた。
「な……なんの光?あれ、は……」
「バル……!」
それはちょうど、バルドルが外で逃げ惑う人々を導く為に作り出した、『百成る花弁の薔薇』の大きな薔薇だ。時計塔と同じ高さに到達するほどのそれは、少し離れた場所にあっても尚、フレイヤ達の元にまでその輝きを届けていた。
バルドルがこの状況を見越して『百成る花弁の薔薇』を使ったのだとは思えない。しかし、これはまさに千載一遇の好機である。かつて、完全に悪霊化しかけたフレイヤの魂を救った時と同じように、その鮮烈な薔薇の輝きはシェヴンの心にも一筋の光をもたらしていた。
「あ、ああ……わた、し……は……ううぅ!」
「今だわ!」
『百成る花弁の薔薇』の影響により正気を取り戻しかけたのか、頭を抱えて呻きだしたシェヴンに向かって、フレイヤは子供達から離れ一気に飛び出した。シェヴンはまだ人を殺めていない。その魂を穢す罪を犯していない今ならば、間に合うはずだ。
凄まじい速さでシェヴンの懐に飛び込んだフレイヤは未だ混乱しているシェヴンに優しく微笑んでみせた後、思いきりその頬を張った。
「た、叩いた!?」
「……もっと自分を大事にしなさいっ!」
「いっ!?……な、なにを」
「いい?あなたを追い込んだのがどうしようもない理不尽だとしても、それに屈してあなた自身が理不尽を与える側になってはダメ。あなたが闇に堕ちる事は、その理不尽を認めることになってしまうわ。……それに私には解るの。あなたは本来、美しくとても優しい女性だわ。だからこそ、未練があっても復讐しようと考えなかったのよね。あなたのその優しさを、一時の感情で台無しにしてはいけない。本当は、あなただって解っているでしょう?」
「う……ううぅ……うわぁぁぁっ!あぁぁぁぁ!」
ポロポロと涙を流し始めたシェヴンは、やがて堪えきれずに号泣を始めた。そんな彼女を、フレイヤは優しく抱きしめて背中を撫でてやる。しばらくすると、シェヴンの霊体は月の光の中に溶けて消えた。フレイヤは、月の女神にシェヴンの魂が安らかであるようにと祈り、夜空を見つめるのだった。
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