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夜空に咲く薔薇

子供にはフレイヤが見えやすい様子。

「か、火事だぁっ!逃げろーっ!」


「時計塔が、時計塔が爆発したんだ!アレが燃え落ちたら大変な事になるぞっ!早く逃げろ!」


「どけぇっ!私は侯爵だぞ!」


 時計塔近辺に屋敷を構える貴族達は、我先にと走り、少しでも遠くへ逃げようとしていた。バルドルが予想していた通り、長く平和に浸っていたこの国の貴族達は、驚くほど不測の事態に弱かった。他の区画に比べて、圧倒的に治安がよく、警備も充実しているはずの貴族街でこんな事態が起こるなど誰も想像していなかったのだろう。当然、避難訓練のようなこともしていないのだから、ある意味で仕方のない事なのかもしれない。


 多くの群衆が走り出せば、それは凄まじい勢いを生み出していくものだ。こうした事態が起きた時に、走ってはいけないというのは鉄則なのだが、既にパニック状態にある人々には、そんな理屈など通用しない。そうして、逃げてくる人々の群れに押し出されるように、まだかなり距離のある場所でも人の暴走が始まってしまった。


「おい!皆落ち着け!走ってはいけない!……くそっ、ダメだ、誰も聞いちゃいない!」


 バルドルは何とか群衆を冷静にさせようと声を張り上げたのだが、それは全く意味をなさなかったようだ。走るの人の足音と、人々の怒声や恐怖の声が響いていて、とても一人で叫んだ声が届く状態ではなかった。このままでは、いつ逃げ惑う人々の中で二次被害が出てもおかしくない。人の波をかき分けるようにして立ち向かう中で、遂に恐れていた事が現実になってしまった。


「このままでは、直に大きな事故が……あっ!?」

 

「きゃあっ!?」


「メリィ!ああ、メリィっ!」


 人の波が僅かに切れたその時、勢いに飲まれて走っていた一組の親子の内、娘の方が躓いて転んでしまった。そのすぐ後ろからは、駆り立てられる様にして走る新たな大勢の群衆が迫ってきている。まさにスタンピードだ。母親は咄嗟に立ち上がれない我が子を抱きかかえて座り込んだが、それを見ても、暴走状態にある人々は止まらない。放っておけば、親子は成す術もなく踏み潰されるか、或いはそこから更に大きな事故に繋がっていくだろう。バルドルは意を決して、全身の魔力を高めて、詠唱を始めた。


「咲き誇れ、真実の花弁。連なり合って花となり、百万の言葉よりも雄弁に高潔なる道を示せ……『百成る花弁の薔薇センティフォリアローズ』!」


 それは以前、フレイヤを正気に戻そうと使った光魔法である。魔力によって大輪の薔薇を形作り、対象の混乱や意識を正常に戻す魔法だ。それを、バルドルは全魔力を込めて使ったのである。


「あ、ああっ……!」


「わぁ、きれい!」


 以前使ってみせたのと違うのは、それが時計塔に匹敵するほど、巨大な薔薇であったということだ。バルドルは己の魔力の大半を注ぎ込んで、パニック状態にある人々を落ち着かせようと、誰の目にも飛び込んでくるような巨大な薔薇を作り出したのである。


 それは間近にいた親子だけでなく、貴族街にいる全ての人々に見えたようだ。あれだけ津波のような勢いで走っていた人々も、足を止めてその光の薔薇に見入っていた。親子が人の波に飲まれるまで、あと僅か数メートルというギリギリの状況である。そして、落ち着いた人々を諭すように、バルドルは大きな声で叫んだ。


「皆、落ち着け!すぐに王城から近衛兵達がやってくる。そうすれば何も心配はいらない。今はこの薔薇を目印にして、ゆっくり進むんだ!」


 バルドルの声が届いたのはその場にいたごく一部の人達だけだが、一か所で波が止まれば、潮が引いたように人々は冷静さを取り戻していった。バルドルはその様子にホッと胸を撫で下ろして、更に声を上げた。


「焦らず落ち着いて、冷静に行動するんだ。怪我人はいないか?周りを見て、もしうまく歩けない人や怪我人がいたら、お互いにフォローしてやってくれ!肩を貸して、手をつなぐだけでもいい!パニックになれば大きな怪我につながりかねないからな!」


 バルドルの導きに、落ち着きを取り戻した人々は周囲を見回し、やがて高齢者や子どもなどに手を貸す者達も現れた。貴族街と言っても、中にはその貴族達に雇われて住み込みで働く者達もいる。彼らは大半が若く健康な人達なので、彼らが冷静になっただけでも十分パニックを抑制できるだろう。一部の高慢な貴族でさえ身なりを整えて歩き始めたのは、『百成る花弁の薔薇センティフォリアローズ』の影響が確実に働いている証拠だった。


 バルドルは先程の親子に手を貸し、周囲を確認しながら、人々の避難を手伝い始めた。 本来、『百成る花弁の薔薇センティフォリアローズ』は、さほど魔力を消費する魔法ではないのだが、流石にこの区画のどこからでも見える程のサイズとなると魔力の消費は激しい。しかも、それを維持しなければならないのだ。じわじわと精神を削るような感覚に耐えながら、バルドルは夜空を見上げて思った。


 (フレイヤ、君もこれを見たら正気に戻るだろう……早く戻ってきてくれ)


 




 その少し前、フレイヤはあの声の主を探して空をさまよっていた。


「どこ…?どこで呼んでいるの?」


 幽霊である彼女が憑りつかれたようにというのは妙な話だが、今のフレイヤはそうとしか言えない様子でバルドルが傍にいないことにも気づいていない。


 ――熱い。助けて。誰か。


 王城にいた時よりも、その声ははっきりと聞こえている。どうやら、子供の声のようだ。熱いというのは火事によるものなのだろうが、フレイヤはこの時まだ火事に気づいてはいなかった。そうしてフレイヤが辺りを見回すと、大きな時計塔が目に入った。すっかり日は落ちて、暗くなった夜空を照らし出すように、温かな光を放ち、時間を知らせている。


「時計塔……」


 この時計塔は彼女が生きていた頃より前からここにあり、フレイヤにとっても馴染みのある建物だ。そんな時計塔が、何故か今だけは妙に気になってしまう。何かがユラユラとちらついているような、そんな感じがした。


「どうしてかしら……なんだかすごく気になるわ」


 吸い寄せられるように、フレイヤは時計塔の中に入っていった。するとそこで見た光景は、想像を絶するものであった。


「な、何てこと…!?」


 本来、静かに時を刻み続けるだけの静謐な空間であるはずが、時計塔の内部は荒ぶる炎が支配する地獄のようだった。大時計本体にアクセスするための階段は、あちこちから火の手が上がり、中には既に燃え落ちてしまっている箇所もある。しかも、大量の煙が視界を遮っていてとても人が通り抜けられる状況とは思えない。

 フレイヤは予想もしていなかった事態を目の当たりにして、思わず絶句してしまったが、かといって自分を突き動かす強い衝動は治まる気配はない。むしろ、強くなる一方である。


「煙で前が……!?上?上にいるのね」


 焼けて燃える音とは別に、助けを呼ぶ()()()()は頭上から聞こえてくるようだ。そうと解った途端、心臓が大きく跳ねるような感覚がして、血まみれのフレイヤの身体が一気に上昇する。

 煙を物ともせず、ぐんぐんと勢いをつけて一直線に突き抜けると、大時計の裏で一組の少年と少女が身を寄せ合い蹲っていた。額には油汗を浮かべ、煙を吸ってしまったのか顔色はかなり悪く見える。フレイヤは慌てて、二人の元に飛んだ。


「あなた達、大丈夫っ!?」


「っ!?うわああああああっ!お、お化けぇぇっ!!」


「え?あ、私が見えるの…!?」


 火はどうやらここまで到達していないようだが、充満する煙はかなりの量だ。そんな中で突然、血塗れの女の幽霊が現れれば、子供達は恐れをなして当然だろう。フレイヤは声を掛けたものの、どう背二人には自分の姿が見えないだろうと高を括っていたのだが、その予想は外れていた。


「お、落ち着いて、二人共。私は悪い幽霊じゃないの、お願いだから、ね?」


「お、お兄ちゃん!わたし、こわいっ…!」


「だ、だいじょうぶだ!おまえはおれが守ってやるからな!やい、お化け!おれたちに近づくな!あっちへ行け!」


「ど、どうしよう……信じてもらえない。なんで私、こんな見た目なの」


 曲がりなりにも、生前は麗しの公爵令嬢として称賛を浴びてきたフレイヤにとって、子供達にここまで嫌悪されるというのは前代未聞なショックである。落ち込んでいる場合ではないと解っているのだが、ショックなものはショックなのだ。そんな刻一刻と充満していく煙の陰で、更に恐るべき危機がフレイヤ達に迫りつつあるのだった。

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― 新着の感想 ―
割りと深刻なシーンなのにフレイヤの不憫さが笑えてしまう!! 良い子なのにどうしても悪霊に見えて(見えない)しまうヒロインって、改めて凄い設定ですね!
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