炎の夜
所謂、参勤交代制ですね。
王城を出た三人は、馬房に向けて進んでいる。時刻は既に夕方を過ぎていて、もう少しで夜になろうという時間だ。夏場ならまだまだ明るいはずの時間だが、今の時期ならばあと十分もしない内に、辺りに暗い夜の帳が降りることだろう。
ちょうど馬房が見えてきた所で、ヴァーリはバルドルに声を掛けた。
「結局、父上には褒章の話が出来なかったな、後で俺から話しとくわ」
「すまない、頼む。……このままだと、早晩に母上の部屋を物色する羽目になるからな」
「……出来るだけ、早めに何とかするように言っとく。それで、どうする?うちで晩飯でも食っていくか?」
「いや、ありがたいがこれから食事をして帰るとなると、かなり遅い時間になってしまうからな。魔獣の群れの件もあるから、出来るだけ家を長い時間空けたくないんだ。今日はこのまま帰らせてもらうよ、また次の機会に頼む」
「おう、そっか。そーだな、んじゃ送ってくぜ」
「ああ、悪いな」
今日は王都に来るのにヴァーリの馬車を使ってしまったので、送って行って貰わないと帰りの足が無い。個人で馬を借りたり、乗合馬車を使うという手もあるが、それなりにお金が掛かるし、馬を借りれば返しに来なければならないので非効率だ。それもあって、あまり遅い時間になりたくないというのも理由の一つであった。
二人が馬房に近づいて管理人に馬を返却してもらう手配をしていると、どこからかフレイヤの耳にか細い声が聞こえた気がした。振り向いて辺りを見回してみるが、近くには誰もいない。幽霊の自分が空耳とはと、何とも言えない気分になったが、特に気にせずバルドルの背中に戻ろうとした時だった。
――たすけて。
「えっ?」
「どうした?フレイヤ。何か言ったか?」
「いえ……ねぇ、バル。何か聞こえなかった?」
「何かって……俺には特にも何も。この時間、王城の周りには俺達くらいしかいないが、何か聞こえたのか?」
「そう。気のせいかな……?ごめんね」
先程の一件もあって、どこかナーバスになっているのかもしれない。そう思ったフレイヤは、頭を振って意識を切り替えようとしている。だが、それが気のせいでないと気付いたのは、再び助けを呼ぶ声が聞こえたからである。
――助けて、誰か……熱い。誰か、誰か。
「また?気のせいじゃないの?!どこから……?」
「フレイヤ?おい、どうし…どこへ行くんだ!?」
その声に気付いた途端、フレイヤの様子が明らかに変わった。まるであの時、バルドルを助けに来た時のように上の空になっていて、バルドルの声も届いていないかのようだ。フラフラと飛んでいたフレイヤは、急に高く舞い上がり、やがてどこか遠くの方向に向かって一直線に飛び出していってしまった。
「バルドル、どうした?フレイヤちゃんがどうかしたのか?」
「解らん、何か聞こえたようだったが、突然飛んで行ってしまった。……イヤな予感がする。追おう!」
「解った、馬車はもう少しここに預けとく!」
ヴァーリはすぐに馬房の管理人に声をかけ、馬車を戻す。そうして二人は、飛び去っていったフレイヤを追いかけて走り出した。
「くっ!速いな。フレイヤ、一体起きたんだ…!」
それから数分走ったが、二人は全くフレイヤに追い付けずにいた。直線で空を飛べるフレイヤに対し、建物を避けながら走る二人はどうしても彼女に追い付けるだけのスピードが出せないのだ。ましてや、この時間は家に帰ろうとする市民達も多く、通りは人で溢れていた。むしろ、引き離されて見失わずにいられるだけ、大したものだろう。
「俺にもフレイヤちゃんが見えりゃいいんだが……って、おい、バルドル、こっちは貴族の居住区だぞ!?どうなってんだ?」
「俺にも解らんっ!」
王都は主に四つの区画に分かれており、フレイヤが飛んでいく区画は、主に王都で暮らす貴族達が住む特別区の方角であった。そもそも、この国の貴族達は王家から領地を拝領し、そこで暮らす民をまとめて治める行政官の役割も持っている。言わば、それぞれが地方自治体の長のような存在だ。しかし、王家は敢えて彼らを王都に呼び寄せて仕事を与え、生活をさせている。それはある意味で、人質の役割も持っていた。各貴族達が王家に反逆する力を持たないようにする為、あえて彼らを王都に住まわせているのである。
貴族達の多くは、自らが治める領地の経営を妻や夫に任せ、自らは子供と一緒に王都で暮らすスタイルが一般的だ。そんな者達が暮らしているのが、ヴァーリの言う貴族の居住区――通称、貴族街である。
そのまま貴族街に入ってしばらく進むと、人通りはだいぶ疎らになり、進みやすくなってきた。しかし、フレイヤは相変わらずかなり先を飛んでいて、まだまだ追い付けそうにない。空を見上げながら走っている時、不意に、僅かに何か光るものが空から舞い落ちてくるのが見えた。
「はっ…!はっ…!お、おい!バルドルちょっと待てよ」
「なんだ、急に!」
「何か落ちてきてないか?……ほら、まただ!」
「ん?そう言えば……」
言われてみれば、確かにチラチラとオレンジ色に光る何かが舞っていた。一瞬、雪かと思ったが、雪がこんな色に光るはずはない。バルドルとヴァーリはそこで立ち止まり、その降って来るものをよく観察してみることにした。
「もしかして、これって……火の粉じゃねーか?」
「ああ、そうだな。これは火の粉のようだ。と言う事は、火点がどこかに……っ!?」
二人がそれに気付いたのとほぼ同時に、貴族街を見下ろす時計塔が激しく爆発し、火の手が上がった。火元はそこのようである。
王都の各区画には、それぞれ四つの大きな時計塔が建てられている。区画内のどこからでも見えるように大きく高く作られたそれは、街のシンボルとも言える存在だ。そこから火の手が上がると言う事は、大変な事態を示していた。
その爆発音と、時計塔が燃えるという衝撃的な光景が重なって、外を歩いていた人々は騒めき立った。家の中から見ていた人々も表に出てきて、状況を確認しようとしている。そんな中で、バルドルだけはこの後起こる事態を予測して考えを巡らせていた。
(……マズいな、このままだと皆がパニックになりそうだ。特に貴族の人々はこういう不測の事態に慣れていないからな。放っておくと、二次被害が起きかねないぞ)
バルドルの予想は、悪い方に的中していた。時計塔のすぐ傍に家がある貴族の住民達が、突然の事態にパニックを起こし雪崩を打って避難を始めたのである。大きな人の津波が安全な区画の外へ逃げ出そうと、我先に走って来るのが見えた。それに気を取られている内に、フレイヤの姿はどこにも見えなくなってしまっていた。
「おいおい…冗談じゃないぜ!?すげぇ数の人が押し寄せて来やがる!」
「ヴァーリ、お前は王城に戻って近衛兵団を動かすように言ってきてくれ!水魔法が得意な魔術師連中もだ。俺は残って避難誘導をする!」
「ああ、わ、解った!でも、フレイヤちゃんはどうすんだ?!」
「立ち止まってる内に見失ってしまった……だが、今は人々をを抑えるのが先だ!急げ!」
フレイヤの事は心配だが、彼女は幽霊だ、この状況で危害を加えられるような事はないだろう。今はそれよりも、目の前にいる人々を守る事が先決である。漆黒の夜の闇が王都を包む中、真っ赤に燃え盛る炎が、夜空を赤々と照らし出していた。
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