幸せを呼ぶ令嬢
これにて完結です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
「ああ、フレイヤ……フレイヤ、俺はずっと夢見ていたんだ。君をこうして抱き締める事を。こんな時に不謹慎だが、それがこんなにも嬉しいだなんて……!俺はもうずっと、君を離さない。離して堪るものか!これからは必ず…必ず俺が君を守る!」
腕の中で眠るフレイヤの身体には、生きている人間と遜色のない温かみが感じられる。そして、バルドルの呟きを受けて、フレイヤの身体にトクントクンと鼓動が鳴り始めた。そのままゆっくりと、フレイヤの瞳が開く。バルドルは感極まって、フレイヤを強く抱きしめ、額と額を合わせて目を閉じた。
「ぁ……ぁ、バル……なの?わた、し…」
「……フレイヤ、喋らなくていい。今は、そのままでいてくれ」
「な、バカな!?バルドル、貴様どうやってあの戒めを!?貴様の心は、完全に閉じ込めていたはず……!」
「ぬかったな、ロプト。フレイヤを復活させる為、俺達をこの場に集めたのがお前の失態だ!月の光は俺達にもしっかりと降り注いでいたぞ!」
「なん、だと……!?」
束ねられた月の光には、月という星が持つ大量の魔力が宿っている。本来、死んでいるはずのフレイヤを蘇らせるには、極めて膨大な魔力が必要だ。いかにウートガルザ・ロキであっても、それを可能にするほどの魔力は持ち合わせていなかった。そこで足りない魔力を月の力で補う為に、祭祀場であるこの場所を選んだのだ。
バルドルが茨の拘束を振りほどけた理由はそれだけではない。ウートガルザ・ロキは巨人族きっての幻覚や、まやかしの使い手である。彼は巧みに相手の心を絡め捕る恐るべき業を持っていた。今までバルドル達を封じていたのは、バルドル達に己を恐れさせ、そこで生じた心の隙を突く深い催眠幻術だったのだ。
しかし、単なる幻術といえど、バカには出来ない。高度な催眠や脳を支配するほどの錯覚は、肉体までにも強く影響を及ぼす。バルドル達は初めに、ロプトがウートガルザ・ロキという強大な存在である事を心に植え付けられたせいで、幻術に囚われる隙を作ってしまったのだ。
だが、フレイヤを蘇らせる為に集めた月の魔力は、その場にいたバルドルにも力を与えていた。バルドルはそうした力を得てブーストされた状態になっているのだ。
「お、おのれぇっ!その女を放せ!そいつは俺の女だ!貴様には、女神の…アングルボザの伴侶たる資格はないっ!」
「彼女は女神でもなければアングルボザでもない、ただのフレイヤだ!貴様のように人を道具として扱う奴に彼女は渡さない!例えフレイヤが俺を選ばなくとも、俺は彼女を守り続けてみせる!それが、俺の愛し方だっ!」
「利いた風な口を……!人間の小僧がっ!」
怒りを露わにして吐き捨てるロプト。その瞬間、ロプトの姿が消えた。しかし、バルドルは極めて冷静に、そして素早く体を動かし、それまで死角だった場所へ剣を向けた。すると、ガキンッ!という金属がぶつかる音がする。そこには驚愕の表情を浮かべたロプトがいた。
「な、なんだと!?貴様、どうやって……?!」
「その技は見せてもらったからな……!空間跳躍は確かに恐ろしい術だが、例え移動は一瞬でも、お前が移動してから攻撃に入るまでは当然だが動作の分、隙がある。目の前にお前が現れたのでないなら、攻撃してくる場所は俺の死角からだ。それさえ解っていれば、防ぐくらいできる!」
「こ、このっ……!」
バルドルは簡単に言っているが、常人にそう易々と出来る芸当ではないだろう。これが出来たのは、バルドルが月の魔力を大量に浴びて能力が向上している事と、彼自身の天賦の才能があればこそである。
さらに、バルドルが動く度に振り撒かれる輝く羽根は、宙に舞い、それに触れたロプトの身体に傷をつけていた。魔力を具象化した翼である魔装義肢のから落ちた羽根は、それ自体が凝縮されたバルドルの魔力そのものなのだ。それはバルドルとフレイヤを守るように空中に浮かび続け、敵を拒む鋭利な刃物として機能しているようだった。
バルドルが剣を振るう毎にその羽根が剣先を追いかけて飛ぶ。その場でバルドルとロプトの剣戟が始まると、互いの剣が激しく衝突するうちに、大量の羽根がロプトの身体を斬りつけていくのだ。流石のロプトもバルドルと剣で斬り合いながら、この羽根を防ぐ事など出来はしない。
気付けば、フレイヤを抱いて片手であるはずのバルドルは無傷で、ロプトだけがその血で全身を赤く染めていた。
「バルドルッ!き、貴様はっ!」
「終わりだ、ロプト!」
得意の幻術も今のバルドルには通用せず、空間跳躍による奇襲も防がれる。更に、防御不可能の羽根による追撃。全てがロプトを封殺している。仮にこれが剣の試合であったなら、二度目三度目の戦いもあるだろう。その内に、ロプトは必ずバルドルへの対策を仕込む事が出来たに違いない。しかし、これは実戦であり、たった一度きりの命のやり取りなのだ。この土壇場の状況を引っくり返せるほど、ロプトは死線を潜ってきていなかった。人間として生まれ変わっても、彼は傲慢な巨人族の王のままだったのだ。
「ぐはっ!?かっ……」
一瞬の隙を突き、バルドルの剣がロプトの喉笛を切り裂いた。大量の出血と呼吸を封じられ、ロプトはそのまま剣を取り落とす。完全に致命傷だ、彼はもう長くないだろう。バルドルとフレイヤはそう思った。だが。
「やったか……何!?」
「ウゴゴゴゴ……オ、オノレ…バルドルゥ!ゴボ……ユル、サン……!」
大量の血を吐き出しながら、ロプトの身体が歪に動き始めた。これは、ヘズ王子がヨルムンガンドへと変わっていった時に似ている……そう思ったのと同時に、ロプトの身体が一気に膨れ上がった。あっという間にホールの天井までも届きそうな巨体の怪物に変化した。
「こ、これは!?」
「ヨクモ!ニンゲンゴトキガ、オレノジャマヲシタナ!?ユルサン!殺シテヤル!」
「これが、巨人族の……本当の姿……」
本来、既に人間としての肉体しか持たないロプトが、この体になることはあり得ないはずだった。だが、月の魔力はこのホール全体に満ちている。バルドルがその力を増幅させているように、またフレイヤが死から復活するほどの力を得たように、ロプトもまた月の魔力によって、一時的ではあるが本来の姿に似た形を取り戻したのだ。しかし、月の魔力だけで肉体を保つには不完全であり、身体が足元から崩れて、溶け始めていた。
「オオオオオオッ!死ネッ!死ネェッ!オレノジャマヲスル神も、ニンゲンドモモミンナ、殺シテヤルッ!」
「くっ!マズい、この場所でこのサイズ差は!」
「バル!私のことは気にしないで、飛んで!」
「フレイヤ!?だが、それでは君の身体に負担が……!」
「私なら大丈夫よ。それより、私も一緒に戦いたいの!お願い!」
「…………解った。しっかり掴まってろ!」
「ええ!」
大きく翼を広げ、天井に向かってバルドルとフレイヤが飛翔する。巨人となったロプトが暴れられるほどの広さがあるホールだが、それでも限界はある。両手を振り回して二人を潰そうとするロプトの動きは遅く、飛び回る二人を捉える事は難しいようだ。そんな時、不意にロプトが大きな口を開け、咆哮と共に何かを放った。
「オオオ……ウオオオオオッ!」
「あれは……!?フレイヤ、口を開けるな、舌を噛むぞ!」
「っっ!」
咄嗟にバルドルは急旋回すると、その場所をロプトの口から放たれた魔力が極大の光線となって貫いていった。ロンダールの坑道で出会ったゴーレムのものに似ているが威力が桁違いのビームである。
「危なかった……!ゴーレムの技を見ていなかったら、避けられなかったな」
「バル、見て!今ので天井に穴が!」
ロプトの高出力ビームによって、禁域から外まで届くほどの大穴が、ホールの天井に開いていた。そこから外の澄んだ清浄な空気が流れてきて、二人を包む、その向こうには大きな満月が顔を覘かせていた。
「バル……今なら」
「ああ、力を貸してくれ。フレイヤ、一緒に奴を倒そう!」
「ええ!」
フレイヤは、本人の思いとは裏腹に満月の加護を受けた女神としての権能を得ていた。そして、今、その月は目の前にある。フレイヤは月の魔力を自らの手に集中させ、ミストルテインを握るバルドルの手に重ねた。そして、バルドルは静かにその力をミストルテインに注ぎ込むと、追いすがろうとするロプトにその切っ先を向けた。
「今度こそ終わりだ、ロプト……『月光纏いし神の剣!』」
「ァッ!?グ、ガアアアアアアアッ!!!」
二人が握り締めたミストルテインの刃が、ロプトを一刀両断し、その巨体は光となって消滅していった。これで、長きに渡るロプトの企みは完全に潰えたのだ。
「フレイヤ、終わったよ。……色んなものを、失ってしまったが」
「……いいえ、まだ終わりじゃないわ、バル。皆に返さなきゃ。奪われてしまったもの、全てを」
「どうするつもりなんだ?」
「私には、女神なんて務まらないもの。……こんな力、私にはいらないの。だから、ね?」
「まさか……?!」
「やりましょう、私達二人で。手伝ってくれる?バル」
「ああ、もちろんだ!」
そして、バルドルはフレイヤを強く抱きしめたまま、大穴から外へ出て満月の前へと飛んだ。輝く月光を全身に浴び、フレイヤは祈りを捧げる。すると、月の光に負けないほどの膨大な魔力がフレイヤの身体から溢れ出て、グラズヘイム王国全土を飲み込むほどに巨大化していった。
――それから一年と少し後。エッダ領、領都ビフレスト。そこにあるエッダ家の屋敷に、元気な赤ん坊の産声が上がった。
「よぉしよしよし!元気な女の子だ!よく頑張ってくれたな、フレイヤ!」
「はぁ、はぁ……と、当然よ。私と貴方の子供を産む為だもの。ああ、でも……こんなに大変なのね、お産って」
「そりゃあ、一つの命を体内で形にして放出するんだからね。大変に決まっているさ。……私も、一度は経験しておくべきかな」
赤ん坊を取り上げたスカディは、産湯で子をよく洗ってからおくるみに包んでフレイヤに見せた。魔女である彼女は、産婆としての知識や経験もあるらしい。しかし、その物言いにはフレイヤも渋い顔をしている。
「いやだわ、もう。放出だなんて……ね、抱かせて頂戴」
「ああ、ほら。お母さんだよ」
「初めまして、私の赤ちゃん。フフ、まだ生まれたてなのに、貴方にそっくりよ、バル」
「そうか?君に似て美人になると思うが……」
「いくらなんでも目も開いてない赤ん坊に言うのは気が早すぎるよ、二人共。嬉しいのは解るけどね」
三人は赤ん坊を中心にして笑っている。あの時、フレイヤは女神としての権能を全て使い切って、あの戦いで犠牲になった人々を全て蘇らせる事に成功した。その代償として、フレイヤはほぼ普通の人間になってしまったのだが、幽霊に戻らなかっただけいいだろう。
フレイヤは蘇ったものの、既にヴァナディース家は廃された一族であったので、当時はその処遇をどうするかで相当紛糾したらしい。結局、ヴァナディース公爵邸を始めとする家屋敷を、王家が相場より高く買い取ることで賠償金として一段落したようだ。そして、その金を持参金として、フレイヤはエッダ家へ嫁ぐことにしたのだ。
バルドルはフレイヤを受け入れ、二人は相談の上で、持参金を全てエッダ領の改善や発展に使う事とした。それによって、エッダ領は以前より更に好景気に沸き、領民達は皆幸せに暮らしている。
「そう言えば、バル。私、貴方に一つだけ怒っている事があるのよ」
「え!?な、なんだ藪から棒に……」
女性が過去の事を持ち出して起こるのはよくある事だが、例えバルドルに思い当たることがなくとも、下手な返答をすれば今後に禍根遺恨を残すことになる。幸せの絶頂にあったバルドルは一気に肝を冷やし、冷や汗を垂らしていた。
「あの時、貴方は私がバルを選ばなかったとしてもって言ったわよね?失礼よ!……私は何があっても、貴方とこの子から絶対に離れないんだから」
「ああ、その事か。そうだな、悪かったよ。あの時はまだ君の気持ちを聞いていなかったから、断言できなかったんだ」
「そんなこと言ったのかい?君は本当に女心が解らないやつだね、バルドル。そういう時は多少強引にするのがマナーだよ。全く、ウルといい君といい、うちの男共は優しすぎるのが玉に瑕だな」
「スカディにまでそう言われるとは……面目ない」
バルドルがシュンとしていると、屋敷の玄関の方から、元気な声が聞こえてきた。ナンナやフォルセティが任務から帰って来たのだろう。彼女達もバルドルとフレイヤの子が産まれるのを心待ちにしていたので、多少騒がしくなるのは仕方がない。
こうして、彼らの生活は続いていく。その陰で、フレイヤは領民達からこう囁かれているのだ。幸せを呼ぶ令嬢が、領主の元にやってきたと。
血塗れ悪霊令嬢は、幸運を呼ぶ座敷童令嬢? 完
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白い」「気に入った」などありましたら
下記の★マークから、評価並びに感想など頂けますと幸いです。
宜しくお願いします。




