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裸の民衆

作者: 森永 ロン

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします

 最初はただの出来心であった。


 私が詐欺師によって言葉巧みに操られ、自身が裸であるにも関わらず、あたかも極上の服を着ている風に振る舞えば、周囲はどのような反応を見せるのか。ただそれだけが知りたかっただけというのに、まさか我が国が誇る大臣ならびに民衆があのような反応を示すとは。このような現実が白日の元に晒されることがあってはならない。


 そのため、この事は私の心のうちに止めておこうと思う。ただ、これは私にとってあまりにも残酷な真実なので一人では抱えることが出来ない。せめてこの手記の中でのみ心の声を発散させてほしい。


 とにかく、あのような人間の暗く醜い性質をこの身で体験してしまった以上、私は少し前の純粋であった自分にはもう戻ることは出来そうもない。どんなに以前のように振る舞おうとしても、私の心がそれを拒絶し、顔に不快な表情を浮かべてしまう。


 そして、何よりの苦痛はあのような性質が私にも隠れている可能性があるということ。いつか私もあの者達と同じように、ひどく堕落した醜態を晒してしまうのではないかと思うと、夜も眠ることが出来ない。


 幸いなことに、私は気がつくことが出来た。そのおかげで、あのような性質が発芽しないように気を付けることは出来る。


 願わくは、私の中の悪魔の種子が発芽しないよう、日々我が君へと祝詞を捧げよう。




「なにっ?

 それでは愚か者には見えぬと申すのか?」


 執務で忙しい中、面白い商人が来ていると大臣に呼ばれてきてみれば、とんだ詐欺師だったらしい。何もない虚空に手を掲げ、あたかもそこに服があるかのように見せかけている。こんなことに私の執務の時間を割かないでほしいものだ。こんな下らないことよりも、私にとっては王国の民をいかに幸せにするか政策を練ることの方が比べ物にならないくらい重要事項であるというのに。


 一瞬そのような曲芸師かとも思ったが、その者の身なりを見る限り商人で間違いなさそうだ。


「いかがでしょうか王様。この見事な服がお似合いになるのは、世界広しといえど王様しかおりますまい。王様がこの服をお召しになれば、今以上にその名声が世界に轟きましょうぞ」


 商人の顔に浮かぶ下卑た笑みに思わず顔をしかめそうになるが、詐欺師といえど彼も我が王国の民であることに違いない。それに、もしかすると何かしらの精神的病が彼を蝕み、幻を見せているのかもしれない。そうであるならば、これを受け止めてやるのも王としての務めではないだろうか。


「なるほど、言われてみれば実に見事な服であるな。細やかな網目と輝かしい装飾が見るものを魅了する。どのような者もこの服を見れば、すぐさま振り向きこの服の魅力の虜になることだろう」


 私は商人をできるだけ傷つけないように、あたかもその服が見えているかのごとく振る舞った。


「さすがは王国始まって以来の賢王と名高い方でいらっしゃる。この服の魅力をこうも簡単にお気付きになられるとは」


 商人の御世辞を聞き流しながら、脇に控える大臣達に視線を向けると、皆クスクスと笑っているではないか。もしや私が本当に服が見えているとでも思っているのだろうか。


 しかしながら、ここで彼らに真実を伝えることは躊躇われる。満足げに頷く商人が視線の端に映り、結局は私が商人の口車に乗せられた愚か者だと笑われるだけなのであれば、快く引き受けようと決心した。


 それに、そのとき私は面白いことを思い付いてしまったのだ。


 このまま私が愚か者を演じた時、周囲の者がどのような反応をするのか。そして、私が真実を明るみにした時、どのような面白い表情を浮かべてくれるのか。


 幼少の頃より執務に没頭してきた私に演技の才能は少しもないかもしれないが、貴族との付き合いで演劇なども観覧したりしているので、多少は騙すことが出来るであろう。万が一、途中で私の演技に気が付いた者がいれば、他の者を騙すために私の策に協力してもらおう。


 いつも激務で忙しいのだ。このぐらいの遊び心ぐらい許してもらえるだろう。私も時には子供のような悪戯を働きたい。


「良かろう。その服を買おうではないか。

 そして、今日よりその服で生活を始めてみることにしよう。家臣たちもびっくりするのではないか? 彼らといえど、これほどの美しい服を見たことは無いだろうからな」


「必ずや皆さま驚きになることでしょう」


「うむ、大儀であった。

 誰か、この者に褒美を与えよ」


 金貨入りの袋を持った財務官が、必死に笑いをこらえながら頭を垂れている商人に袋を渡す。


 袋を受け取った商人は礼を述べると、いそいそと王宮から出て行く。


「へ、陛下、誠にその服を身に付けられるのですか?」


 古くから私を支えてくれている忠臣の一人が、おずおずと尋ねてきた。どうやら、彼は私の気が狂ってしまったのではないかと心配しているようだ。


「当たり前だ。

 このような言葉では表せないほど美しい服なのだ。さぞや着心地も格別だろう」


 私は全く言いよどむことなく、まるで子供が親から玩具を買い与えられたときのように、いかにも嬉しそうな声色で答えた。


「……陛下の御心のままに」


 もはや手遅れだと感じたのか、その者は目前の真実を述べることなく口を閉ざした。


「それでは部屋で着替えてくるか。

 皆、今日はとても有意義な時間であった」


 私は笑いをこらえている姿を見られないように、服をいかにも大事そうに抱えながら御機嫌に部屋を後にする。


 その日から、私は裸で生活するようになった。


 いついかなる時も上半身を空気に晒し、あたかも上等な服に身を包んでいるかのように振る舞う。時折肌寒く感じられたが、周囲を欺くためには我慢するしかない。冷えた身体をさすりながら私の姿を見た者たちの様子を想像する。皆がどのような表情を浮かべるのか楽しみで仕方がない。


「陛下、市政に関しましてご確認を」


 文官の一人が私の机へと書類を置く。どうやら文官は私をその瞳になるべく映すことがない様にとしているようだ。気の使える真面目で優秀な文官である。愚か者には見えないと信じ切っている私を慮っての行動であろうが、私がいま求めているのはその様な気遣いではない。


「ふむ、ここが少しばかり理解に苦しむのだが説明をしてくれるか?」


「――っ!?」


 どうにか私を直視させようと少しだけ意地悪な提案をすると文官は驚きの表情を浮かべた。


 そう、私はその表情が見たかったのだ。


 私は心の中で満足げに頷くと、わざと文官の視界に入る様に身体を動かす。


 文官はどうにかして私の姿を捕らえないようにとするが、そこは私の方が一枚も二枚も上手だったようだ。最終的に文官の口からふっと笑いが漏れたところで堪忍してやることにする。それに、文官から受け取った書類には民をより幸せにするための重要なことが書かれていたのだから、おふざけはここまでにして頭を働かせることにしよう。


 説明を終えた文官が急いで部屋から出て行く後ろ姿を見送ると、私は市政の事についてしばらく頭を悩ませ、民がより良い暮らしを送ることが出来るようにと私の決断を書類へと記載した。


 数時間ほど書類と格闘した私は、疲弊した頭を休ませるために皆の反応を見に行くことに決めた。


「いつもご苦労」


 部屋の外に出た私は廊下にいる者たちへと話しかける。すると、示し合わせているかのように皆は視線を背けて臣下の礼をとる。


「どうだ、誠に見事な装飾であろう?」


 私はわざと彼らの前で立ち止まると、裸の上半身を指し示す。


「……はい、陛下には誠にお似合いかと」


「ふむ、さすがは私の臣下たちだ。優秀な者が集まっているようだな」


 居心地の悪そうに応えた彼らの様子に満足げに頷くと、更なる者たちを求めてその場を後にする。


 私の後ろ姿が見えなくなる寸前、彼らの方から大きく息を噴き出すような音が聞こえたのだが振り返ることはしないでおこう。


 その後も、王宮内で出会った全ての者に対して、あたかも最高の服を着ているかのように振る舞い、感想を尋ねてみる。


 そうすると全ての者たちが皆同じように笑いをこらえ、私の方を直視しないようにする。そして、私の姿が彼らの瞳に映らなくなると、抑えていた感情を一気に解放し、仲間と共に明るく笑い始める。


 季節がら温かくはあるのだが、朝方と夜はさすがに肌寒く、服を着たいという欲求が頭に浮かぶ。しかしながら、皆の反応が面白いのに加え、王宮内が以前よりも明るくなったように思われるので、もう少しの間はこのままでいようと思う。


 そのようなことを、私は数日ほど楽しんだ。


 ところが、だ。


 私が裸姿に慣れてきて、いつも通り政務に取り組んでいた時、良そうにもしていなかったことに気が付いた。


「――これは、まさか不正か!?」


 私の手元にあるのは、先ほど文官が持ってきた王国の税収に関する報告書。そこには、巧妙に偽造されてはいるが、不自然な記載が多数あった。


 おそらく、普通はその様な不自然さに気が付くことは出来ないだろうが、常日頃から民の事を考え、税に関して頭を働かせている私の目は誤魔化すことが出来ない。明らかな違和感がそこにはあり、詳しく調べたところ、記載された項目に関わる者の誰かが税の一部を懐に入れているのだろうという結論に至った。


「すまんが、先ほどの者を呼び戻してくれ」


 私は事情を説明させるために先ほどの文官へと愉快を送る。


 これまで、このような不正は私の認識している中では起きたことがない。それは、常日頃から私が臣下に対して何よりも公共の利になる様に行動するように律し、臣下の皆も私のこの考えに賛同してくれていたからであろう。


 それなのにこのような下卑たことが起きようとは。もしかしたら、記載に誤りがあっただけかもしれない。


 様々な可能性を考えていた私の下に先ほどの文官が戻ってきた。


「すまないがこの書類を見てくれ。

 何かおかしい点はないかね?」


 私はあえて冷淡な口調で書類を差し出す。


「特にないように思われますが」


 一瞬、文官は顔を曇らせたが、直ぐに表情を元に戻すと、不正に気が付いているにもかかわらず書類を戻してきた。


 この行動に対して少しの間呆気に取られてしまったが、直ぐに怒りが込み上げてくる。


「では、ここはどういうことだ? 明らかに偽りがあるではないか」


 己の怒りの全てをぶつけてしまわないように努めながら書類の一部を指し示すと、文官は微笑しながら耳を疑うようなことをのたまった。


「陛下、ここに愚か者には見えないインクで書かれた項目がございます。

 稀代の賢王である陛下であれば、もちろんご覧いただけるかと」


 私が呆然としている間に文官はそそくさと部屋を出て行ってしまった。


「……何たることだ。よもや、あのようなしらじらしい嘘を口に出すとは」


 私は何度も書類を確認したが、そこには文字など存在していなかった。


 これは明らかに公共の利に反した非道な行為であり、私が最も嫌悪している行為である。まさか私の臣下にそのような不届き者がいるとは。


 私が臣下の堕落を憂いていた時、他の文官が部屋を訪れ、書類の束を私の机へと置いた。


 私は礼を言ってその書類を一瞥したのだが、それらにも明らかに誤りがある。


「ここはどういうことだ?」


 私の当然の問いにその文官もあの言い訳を口に出す。


 ――愚か者には見えないインクで書いているので。


 そう言って、笑いながら部屋の外へと出ていく。


 私はすぐさま信頼のおける臣下を呼び寄せると、書類を机に広げ、明らかなる不正が行われている事、文官たちが「愚か者には見えないインク」などとのたまっていることを告げた。


「はは、何をおっしゃっているのですか。ここに文字が書かれているではありませんか」


 この臣下は長年私を支えてきてくれた。仕事に対して大変厳粛であり、とても信頼できる者であった。


 それにもかかわらず、私が望んでいたこたえを返すことなく、とても愚かな言葉で私の耳を汚す。


 私の目がおかしくなったのかと疑いたくもなったが、そのような珍妙なインクがこの世にあるはずもない。


「……分かった、もう下ってよいぞ」


 私は頭を押さえながら、今の己に訪れている受け入れがたい状況を振り返る。


 文官の二人はまだ良い。あの者たちはまだ採用されて日が経っていないので「公共の利」という私の目的を理解していなかったのだろう。


 しかしながら、だ。


 先ほどの臣下は十分に私の事を理解してくれていたはずであり、賛同してくれていたはずだ。己を律し、数百年後の王国の繁栄も考えていたはずなのに。そのような高潔な人物が一体なぜこのような低俗な嘘を平気で述べるようになってしまったのか。


 いくら考えても納得のいく理由を導き出すことが出来ない。


 結局、その日は政務に集中することが出来ず、食事すらも喉を通らなかった。そんな私に唯一出来たのはこの状況が夢であり、起きた時にはこの悪夢が覚めていることを願う事だけであった。




 ――それから数日。


 私の願いが叶うことは無く、むしろ悪化していた。


 書類には数多くの不正が見受けられ、王宮で働く者すべてが何かしらの不正に関与している。


 そのことを問いただしてみても、皆決まって「愚か者には見えないインクで書いているので」と戯言を述べる。


 王宮内は嘘つきで溢れかえり、もはや政務を正常に進めることが出来なくなってしまった。


 このようなことを私は望んでいたのではない。私はただ、裸にもかかわらず、服を着ていると思い込んでいる愚かな私の姿を見せて皆の反応を見たかっただけなのだ。


 それなのに、このようなことになろうとは。誰も私の奇行を指摘することなく、あまつさえ自身の不正に利用しようとは。


「これでは民に申し訳が立たん」


 このようなことで民の暮らしに支障をきたしては決してならない。私は寝る間も惜しんで政務に取り組み、何とか正常に王国を運営しようと励んだ。


 しかしながら、私の身にも限界があり、全ての政務を滞りなく進行することは出来なかった。徐々に綻びが大きくなり、取り返しのつかない裂け目へと変化していく。


 その裂け目は確実に民へも影響しているようで様であり、以前よりも王都の治安がかなり悪くなってしまったらしい。詐欺や窃盗、殺人など、多種多様な犯罪が毎日発生しており、かつてこの世で最も治安のよい国家であると謳われた王国は、もはや歴史となってしまった。


 そして、最も耳を疑ったことは、それらの罪を犯した者たちはそろって「愚か者には見えない――」と自身の犯罪を認めなかったことである。


 なんと、なんと恐ろしい事か。自身の犯した非を認めることなく、王宮内の者と同じ下劣な理由を述べる。


 これが私が護ろうと日々政務に明け暮れていた民たちなのか。


 私は民の現状をこの目で確認するためにパレードを開催することにした。


 果たして、民は私の今の姿を見てちゃんと指摘してくれるのであろうか。それとも、王宮内の者たちのように陰で笑いながら、己のために利用するのか。


 私は冷静を装いつつ王都を練り歩き、民の様子を観察する。


 民は私を見ると驚きつつも、すぐにその顔に酷く醜い笑みを浮かべる。


「……何と言う事だ。これでは我が王国の民も皆同じだというのか」


 私はあまりの衝撃で今にも気を失ってしまいそうになるが、一縷の望みをかけて歩き続ける。


 しかしながら、何十分、何時間と王都内を歩き続けるが、私が裸であると指摘する者はいない。


 私が絶望に打ちひしがれていると、遠くから無邪気な子供の声が聞こえた。


「王様が裸で歩いているよ!」


 声の主はおそらく三歳ほどの子供。私を指さして笑っている。


 この時、私は羞恥で顔が真っ赤になってしまった。


 子供に笑われたからではない――あのような子供しか私が裸であると指摘することが出来なかったからだ。


 その後の事はほとんど記憶がなく、ただ足早に王宮へと戻り、ベッドの上に横たわってしまったという事だけを覚えている。




 これまでの内容で理解できたであろう。私の王国に起きた惨状を。


 私はこれまで何のために政務に取り組み、誰のために頭を悩ませてきたのか。


 全ては「公共の利」のためであり、民のためだというのに。


 しかしながら、もう私はそれらの目的を掲げることは出来ない。私のこれまでの全てがあのような酷く醜い生き物に費やされてきたのだと思うと吐き気を催してしまうからだ。


 それに、私がどんなに頑張ろうとも、もはやこの王国が立ち戻ることは無いだろう。なぜなら、この先の未来においても、民があのような堕落した生物であることには変わりないのだから。


 それであるならば、私は公共の利ではなく、私自身の事に集中するべきだ。


 大変残念なことに私も民と同じ生き物である。私だけはあの酷く堕落した性質を発芽させないようにしなくてはならない。それが私にできるせめてもの抵抗だろう。


 私は日課となった礼拝堂での参拝に向かう途中、ふっとあの子供の顔が浮かんだが、礼拝堂に到着すると綺麗さっぱり洗い流される。


 そして、今日も我が君へと祝詞を捧げるのであった。

読んでいただき、ありがとうございました。

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