あざらし男の失せ物探し
僕の住む島には「セルキー」という隣人がいる。
海の中ではあざらしの姿で過ごし、陸では美しい人間となる。そんな精霊のような存在だ。陸に上がる時にアザラシの皮を脱いでくるらしく、その皮を隠されたり燃やされてしまうと海に帰れなくなってしまうとか。
なお、その美貌は専ら一夜限りの火遊びに使われ、時折生まれてきた子には立派な水かきが手足にあるそうだ。どうやらセルキーにとってはうまく泳げることが子孫に受け継ぐべき特質のようで、美貌はおまけらしい。
僕の手足にも立派な水かきがあり、職業柄ありがたく使わせてもらっている。が、その特徴故に、僕がセルキーと人間の間に生まれた子供だということは暗黙の了解となっている。
幸いなことに、僕の住む島では数年に一度はそんな子供が生まれるので、迫害されるようなことはない。たまに潜って魚を探せないのか、なんて言われることはあるけれど。
父を7年前に肺の病で亡くしてからは1人暮らしだ。
母は物心がつく前に、夫も子供も置いて、海に帰ってしまった。海に焦がれた母を不憫に思った父は、母に皮を返したのだろう。
父は母を愛していた。だからあざらしを狩るのをやめて魚を獲るようになった。
ただ、自分を置いて行ってしまった女性をそこまで愛せるものなのか、と幼心に思うことはあった。
父が残した家に独りで暮らしていたが、つい先ごろ同居人ができた。
まばゆい金の髪と、海の色をした瞳。白いが、太くたくましい腕と厚い筋肉に覆われた体躯を持つ美丈夫で、名をディランという。
彼に初めて会ったのは父を亡くして2ヶ月経った時のことだった。「フッディー」と名乗っていた彼は、彼の皮を拾い逃亡した僕を全裸で追いかけたあと、一緒に夕食をとってから幼い僕を寝かしつけて帰っていった。
改めて思い返してみると、人に話すのを躊躇する程度にはひどい出会い方だ。
再会した後、彼から本名はディランということを教えられた。食いしん坊をもじったのだそうだ。
幼い頃に彼が話した「スナックを食べるために来た」という話が、まさか本当だったとは思っていなかったので、それを聞いた時は正気を疑うような視線をディランに向けた。
僕たち島の人間が知る雄のセルキーは「その美貌で女達を誘惑して、一夜を楽しんだ後はさっさと海に帰ってしまい、その後は子供が生まれようと放ったらかし」というのが共通認識だった。
つまるところ、外面のいいクズ男で、ディランもそうだろうと思っていたのだ。
そんなことを考えながら漁から戻った僕を迎えたのは、主人を待ち侘びた犬のように駆け寄って来たディランだった。
「ライル、『バー・アルバ』に行こう!」
「嫌だ」
僕の住んでいる家は街中にあるが、かなり外れの方にある。
外食ができるのは街の中でも中心部で、市場や庶民向けの食堂があるのもそちらだ。
食堂だけでなく、パイやフィッシュアンドチップス、ハギスやブラック・プディングを出している店もある。
その1つがディランの言う「バー・アルバ」だ。
この店は全体的に低価格でメニューが提供されていることと、若者が好むような内装になっていることから、客層の8割が未婚の男女となっている。成人したばかりの頃、僕も漁師仲間と行ったことがあった。
男たちは酒精で少しの不満を慰めながら、街の娘たちとの出会いを求めて集まる。そして、その中から娘達は家族になれる相手を選び出す。それがこの街における一般的な婚活で、その場に足を踏み入れた僕はそのスタートラインに立たせてもらえないことを知った。
酒場で知り合った娘達は、僕の指の間にある水かきを見ると、僕からすっと視線を逸らすのだ。それまでどれだけ会話が弾んでいようとも。
セルキーと人間の間に生まれた。ただ、その一点で僕と結婚したがる娘はいない。
その現実が街から僕の足を遠のかせていた。
「失せ物探しもしないで、女漁りでもするつもり? 」
「ち、違うって! 『バー・アルバ』の女給に、あざらしの皮を持ってるやつがいるって聞いたから、確かめたくて」
「あのな、ディラン。あそこの女給であざらしの皮持ってない人はほとんどいない」
「街で噂を聞いたんだ。嵐が来た日の夜に、毛皮みたいなのを持った女が閉店後の『バー・アルバ』に入って行ったってやつ。閉店後の店の中に入れる女ってのは、住み込みの女給くらいだろ?」
ディランが言うには、彼が僕の元へやってきた日の夜半に人目を避けるように毛皮を持った女が件の酒場に入っていくのをみた者が複数いるらしい。その時の様子から、セルキーと関係を持ったのではないかと噂されているのだとか。
「誓って言うが、人間と2人きりになったのはお前だけだから。女を誑かしたりしていないからな!?」
「そこは疑ってないよ。なんで、そんなに身の潔白を訴えるのかは不思議だけど」
「ライルに軽蔑されたくないからだよ。俺のこと未だ変態だと思ってるじゃないか!」
「変態なんて思ってない」
ただし、変人だと思っていることは黙っておくことにした。
本来、セルキーは陸上に留まらない。
人間の住む島に上陸する場合は、何かしら目的があり、その目的が達成されればすぐに海に帰ってしまう。
ディランが言うには、個人的な理由で上陸するのは少数派で、大抵は人間の動向を確認するためらしい。
海中ではあざらしの姿になっている彼らは、人間に狩られてしまうことがあるらしい。あざらし漁が盛んになれば、その分、種族として危険に晒されるので、漁場に近づかないように注意することもあるらしい。
少数派のディランも、嵐の前日にやってきて早々に海に帰るはずだった。しかし、彼のあざらしの皮がなくなってしまっていた。僕と会った時よりも慎重に隠してあった場所には、人の足跡がついており、見つけた誰かに回収されてしまったようだった。
「皮を隠されちゃうと、隠した人に対して従順になるって聞いたけど、ディランは平気なの?」
「従順になるのは雌だけ。雌は番った雄に自分の皮を預けて、婚姻を了承するんだ」
「皮脱いだら、人間の姿になるんだよね。海中で生活できないんじゃ?」
「生活拠点が陸にあった頃の慣習からきた特性じゃないかと思うが、俺も詳しくは知らない。今はそういうことやる番いないしな」
セルキーの皮を持ち去った疑惑のある女給について探るため、僕とディランは「バー・アルバ」に向かった。
ギィギィと耳障りな音をさせる扉を開き、店の中に入ると、食器のぶつかる音や客の会話がぶつかり合っていた。今日も盛況なようで、あちこちのテーブルで若い男女が食事をしながら笑い合っているのが目に入る。
カウンター席は比較的すいていた。ディランがフィッシュアンドチップスとハンターズチキン、それから麦酒を頼む。
「よぉ、ライル。お前がバー・アルバに来るなんて珍しいじゃないか」
「こいつが良い店紹介してくれって言うから連れてきたんだ」
僕の漁師仲間が声をかけてきたので、父の遠縁として軽くディランを紹介する。こう言っておけば、出自に関して詮索されないだろうし、ディランも探りやすいだろう。
運ばれてきた料理と酒を受け取ると、ディランは彼らのテーブルに連れて行かれてしまった。ディランの容姿を利用して、お嬢さんたちとお近づきになろうという下心が見え見えで、必死だな、と他人事のように思う。ディランが連れて行かれた席は、かろうじて彼らの会話が聞こえる位置だった。
チップスを口の中に放り込みながら、周囲の会話に耳を傾ける。
どこそこの娘が、街の大工に嫁ぐことになった。隣町の町長の息子がこの店の女給に入れ込んでいるらしい。
街の人間の婚活事情は、街内の力関係に関わることから政治情報のように扱われている。もちろん、そこに絡む醜聞でもあれば、娯楽としても好まれる。
スタート地点に立てない僕にとっては苦痛でしかない話題だが、把握しておかなければ万が一のことがあった時に孤立しかねない。
「ディランって行商なの? 色々な街を巡ってるって素敵だわ」
「そんなことない。巡ったことがあるのは3つくらいだから」
「この街の男なんて、ほとんど他の街のことなんて知らないわよ! それに比べたら、ねぇ?」
甲高く媚びた響きのある声が、耳に入ってくる。視線を向ければ、いつの間にかディランの両隣に若い娘たちが陣取っていた。ディランの腕に体を押し付けながら、ねっとりとした視線を向けている。
露骨なアプローチにディランの笑顔が微妙に引き攣っていた。流石にないと思っているが、どこぞに連れ出されてしまう前に引き離した方がいいかもしれない。
「顔も頭もいい旦那様には、可愛くて若いお嫁さんはお似合いでしょ」
「それなら、ライルだって負けてないだろー! あいつは頭いいし、顔だっていい。金持ちじゃないけど、働き者だ」
「いつ働けなくなるかわからないじゃない! 介護の時間が長くなるのはいやよ」
「そうそう、それに半獣だものね。獣みたいなこどもが生まれるかも」
「へぇ。じゃあ、なんでセルキーと関係を持とうとするんだ? 海獣だろ、ほとんど」
ヒヤリとした声に、それまで小馬鹿にした調子だった甲高い声がピタリと止まった。
ディランの笑顔は崩れていないが、明らかに不機嫌なのは雰囲気からわかった。腕に絡みついていた娘達を引き剥がして席をたったディランが戻ってきて、僕の腕をつかむ。
料金をテーブルにおいて、ディランに半ばひかれて店の外に出た。
「まだ女給の話聞けてないのに、よかったの?」
「目星はついてる。……なぜ、ライルは怒らないんだ。馬鹿にされる謂れはないはずだ」
「働けなくなるかもしれない男を結婚相手には選べないだろ」
この街には「セルキーの子供」がそれなりにいる。年上も、年下も数人はいる。だが、成人している「セルキーの子供」で健常なのは僕だけだ。年下にも足や手が動かなくなってしまった者がいる。
「セルキーの子供」にはよくあることなのだ。動けなくなり、誰かに介助されなければ生きていけなくなることは。ただ、特別裕福な街ではないし、その街に住む者も余裕がある訳ではない。
だから「セルキーの子供」は男女関係なく独身が多い。仮に結婚しても、子を持つ余裕はない。だから、街の者にも「セルキーの子供」の血を引く子供にどんな性質が現れるのかはわからない。先祖返りを起こして、獣のような姿で生まれてくるかもしれないし、普通の人間と変わらない姿で生まれてくるかもしれない。
それを承知で、子供を産んでくれと言えるのか。
「言ってることは事実で、僕にはどうにもできないことだ」
「だからって、馬鹿にしていいことにはならない!」
「あんなことを、誰が聞いてるかもわからない場所で臆面もなく言えるような人間の評判がいいはずないだろ?」
「……それは、そうだが……」
元々苛立っていたにしてはディランの怒りは強すぎる。彼自身が侮辱された訳ではない。
それとも、僕が知らないだけでセルキーであるディランを侮辱していたことになっているのだろうか。
それをディランに率直に聞いてみると、彼にとっては怒り狂うほどの侮辱ではないとのことだ。余計に謎が深まる。
僕が理解できずにいるのに気付いたのだろうディランがため息をついた。
彼が言うには、生まれてくる子供の容姿をあげつらったことが逆鱗に触れることだったらしい。
雌のセルキーが皮を隠された末に人間の男と結婚し子供を産むのと違い、人間の女がセルキーとの間に子供を持つことは、全く事情が違うのだという。前者は習慣が元になっているが精霊としての性質なので、強制力があるらしい。だが、後者はたとえ誘惑があったのだとしても自分から望んで関係を持った結果のこと、とのこと。「生まれてくる子供が獣だと思ったら怖い」と言うのであれば、関係を持つな、と言いたいらしい。
「大体、そういう恐怖があるならそもそもセルキーの皮を盗んで俺に近づくのも怖いってことになるだろう? 単純に見目がいい男を自分の横においておいて、周りの女を悔しがらせて優越感を得たいんだろ。ライルのことだって、立場が弱いと思っていた相手から断られたから逆恨みしてるだけじゃないか」
「バー・アルバ」でディランの右隣にいた娘には、数年前に「交際をしてもいい」と言われたのを断った記憶がある。
すっかり忘れていたことなので、きっとテーブルにいた漁師仲間の誰かが話したのだろう。
それよりも、彼女がセルキー狙い、とディランが断じた理由の方が気になった。
「ディランがセルキーだってわかってて近づいてる、って? 見分けなんてつかないだろ」
「見分けたんじゃなくて見たんだろ、俺が上陸して皮脱いでたとこ。……お前の漁師仲間が言ってたが、俺が皮隠してたところからちょっと手前のところに、『秘密の逢瀬』に使われてる横穴があるんだと」
ちゃっかりと欲しい情報を得ているディランに関心した。僕は正確な場所は知らないが、確かにディランの皮を探している時に近いと思ったことを思い出す。ついでに、少し不可解だったことと不愉快な噂を聞いたことも思い出した。
皮を持ち去った相手に目星がついているなら、次はどう取り戻すかの算段をつけるべきなのだがディランに脳裏によぎった情報をどう伝えるかに悩む。
今は点の状態だがこれが線で繋がっていた場合、ディランの皮を取り戻す際の危険度が上がる。下手をすれば、ディランが無事に海に帰れなくなってしまう。
「ともかく、一度帰るか。どう取り戻すか、作戦を立てないとな」
僕の腕を掴んだまま、ディランが歩き出す。それに従って、僕も足を動かした。
頭の中では色々と考えが巡っていたけれど、あるタイミングで考えが落ち着いた。
ディランが無事に海に帰れるなら、あとはどうなっても問題ない、と。
※2023/07/28 誤記があったため修正