悪妻と噂の彼女は、前世を思い出したら吹っ切れた
セゴレーヌ・アベラール。アベラール公爵家の当主、オーバンの妻である彼女は悪妻として有名だった。
「あの悪妻、まだオーバン様と離婚してあげないのかしら」
「なんて浅ましいの」
「最低だわ」
ヒステリックで散財ばかりする愚かな妻から逃げた可哀想な夫であるオーバン。終いには平民の愛人を作り、子供まで愛人のお腹に授かっていた。性別はわかっていないが、あと半年で生まれるらしい。だが、世間はセゴレーヌを責め、オーバンを擁護した。悪妻であるセゴレーヌが全て悪いと。
「せっかくお子さんが出来たのに、あの悪妻が居ては家に上げることも出来ないだろう」
「お子さんが可哀想だわ」
「ヒステリックな女はこれだから嫌だよな」
だが、実態は全く違う。セゴレーヌが嫁ぐ前からオーバンは相手の女性とそういう関係だったし、セゴレーヌには「愛する人がいるから貴女を愛せない」と最低な言葉を投げつけたのだ。それに泣いて怒ったセゴレーヌを〝ヒステリックな女〟だと遠ざけた最低なパートナーなのはオーバンの方。彼女のための資金も全部愛人のための資金として横流ししていた。
しかもセゴレーヌの悪評を広めることで世間の同情を集め、セゴレーヌ有責で離婚しようと画策している。後釜には愛人を据えるつもりだ。平民とはいえ、散々な評判のセゴレーヌと離婚した後なら問題ないだろうと甘い考えを持っていた。もちろん公爵家も愛人との子に継がせるつもりである。
「はやく結婚したいね、ミレイユ」
「オーバン様。私、この子と待ってます」
「もうすぐだからね」
「はい!」
そんな中で、セゴレーヌは両親にも舅と姑にも責められ、使用人達からは舐められている。そんな状況にセゴレーヌはとうとう倒れた。心労である。
そしてセゴレーヌは実に半年もの間目覚めることはなかった。その間に長い長い夢を見た。
その夢ではセゴレーヌは別の世界の日本という国に生きていた。彼女は家族や恋人、友達はいなかったが、その分仕事に生きていた。仕事を頑張って、その分たくさん贅沢をして、仕事仲間と毎日飲み歩く。女性として云々と言ってくる者もいたが、彼女は平然と聞き流していた。最期は孤独死だったが、彼女は後悔はなかった。好きなように生きる楽しさは、最期の最期まで忘れられないものだった。
目を覚ますと、セゴレーヌは〝いつもの〟自室のベッドだった。世話をしていた使用人の一人が、奥様が目覚めたと大騒ぎして出て行った。
それからしばらくして、医者と両親と舅と姑、そして夫が現れた。そこで初めて自分が半年も眠っていたと知った。実感はないが確かに身体の節々が痛い。
医者の診察を受け、これから少しずつ点滴ではなく食事と水分に移行していこうという話になった。マッサージとリハビリも始まることが決まった。
どうせ捨てる妻に何故舅と姑がそこまでするのかわからないが、少なくとも夫の意思ではないのはわかっている。不満そうな顔をしているから。
医者が帰ると嫌な空気が流れる。そんな中で舅が口を開いた。
「何から話すべきか…セゴレーヌさん、愚息がすまなかった」
「今更なんですか?」
「その…貴女が心労で起きなくなって半年が経った最近、使用人の一人が教えてくれたの。貴女が愚息に〝愛する人がいるから貴女を愛せない〟と最低な言葉を投げつけられて、それを怒っただけなのに愚息にヒステリックな女呼ばわりされるようになったって。貴女は何も悪くなかったって。眠ったままの奥様を見て罪悪感が今更湧いたと言っていたわ。貴女は使用人達からすら冷遇されていたのね。本当にごめんなさい」
「お気遣いなく」
感情の籠らないセゴレーヌの言葉に何故か傷ついた表情の舅と姑に、セゴレーヌは興味を示さない。
「ごめんね、セゴレーヌ。お母様が分かってあげるべきだったのに、オーバン様の言葉ばかりを信じてしまって」
「お父様のところに帰ってくるか?」
「お断りします」
そのセゴレーヌの声の冷たさにセゴレーヌの両親は凍りついた。
「慰謝料を貰って離婚も出来るし、このまま公爵夫人として生きる道ももちろんあります。どうしますか?」
姑はどうにか声を絞り出した。
「公爵夫人として生きます」
「そんな!それではミレイユとお腹の子はどうなる!」
「愛人さんには慰謝料を請求します」
「はあ!?ミレイユは平民だぞ!?」
「馬鹿者!セゴレーヌさんには当然の権利だ!」
二人のやり取りに冷たい視線を投げつけたセゴレーヌ。
「ただ、平民の愛人さんには払えないでしょう」
「そ、そうだ!だから大人しく身を引け!」
「この馬鹿息子!」
とうとう舅がオーバンを殴りつけたが、セゴレーヌは興味を示さない。
「ですから、慰謝料がわりにお子さんを貰います」
「…は?」
「愛人との子に公爵家を継がせるなら、そっちの方が都合が良いでしょう?」
「…な、何を言ってるんだ?」
「貴方の都合のいい夢物語はここで終わりにしましょう」
オーバンは呆然とする。セゴレーヌの言っていることはつまり、ミレイユとの子供をセゴレーヌに取られるということだ。
「ま、待て、そんなこと許されるわけが…」
「許される。私が許す」
「父上!」
そこからは話がとんとん拍子に進んだ。
セゴレーヌとオーバンは離婚しない。
オーバンとミレイユの子はセゴレーヌの養子になる。
この二つが決まり、ミレイユはオーバンに愛想を尽かして逃げるように身を隠した。オーバンは一応本気でミレイユを愛していたため、すっかり抜け殻のようになった。ミレイユを失った悲しみを紛らわせるために仕事だけは真面目にこなすので、まるでお人形さんのようだと使用人達からは噂になる。
舅と姑はなんとかセゴレーヌとの仲を改善しようとするが、セゴレーヌはきっぱりと拒否していた。両親に対しても同じ態度である。使用人達にも厳しい態度で接するので、使用人達はもうセゴレーヌを舐めたり逆らったりはしなくなった。
そんなセゴレーヌが唯一愛情を掛ける存在、それは。
「オードリック。ミルクの時間ですよー」
オーバンの息子、オードリックである。オードリックという名前もセゴレーヌが付けた。名前くらいは付けさせてくれというミレイユの嘆願を無視して。
「オードリック、貴方は幸せにしてあげますからね」
前世は前世で楽しかったが、今世の世界は結婚した貴族女性が働ける場は少ない。ならば、前世は出来なかった楽しみを見つけようと考えたセゴレーヌ。前世では家族のいなかった彼女だから、子供を育ててみたいと思った。
だから、全てがちょうど良かったのだ。むしろこうなると、有り難いくらいである。
「ふふ、可愛い」
彼女のオードリックへの愛情は本物である。家族として…息子として、可愛く思うし愛している。血の繋がりなど関係ない。お腹を痛めて産んだわけでなくとも、セゴレーヌにとっては可愛い可愛い我が子である。
「今日はオードリックの将来のために、通信事業に出資してきましたよー」
セゴレーヌは以前、公爵家から公爵夫人である自分のために与えられるお金を全て奪われてミレイユのためのお金に当てられていた。だが今はきちんと手元に入ってくる。そこでセゴレーヌはそれを、自分のためにではなくオードリックの将来のために当てることにした。
投資である。セゴレーヌの資金はどんどん増える。だが、増えた資金は全てオードリックのための貯金に回されていた。セゴレーヌはオードリックを立派な公爵に育てることしか頭になかった。自分が贅沢をするなどとんでもない。
そして、いつのまにかそんなセゴレーヌの悪評は聞こえなくなった。セゴレーヌは今、なんだかんだで幸せの絶頂である。
前世の記憶を思い出してよかったとセゴレーヌは思う。もし思い出していなくてあの状況にいたら、意思の弱い自分はオーバンを許してやり直そうとして、全てを失敗していただろうから。
「オードリック、貴方は幸せになるのよ。だって、私は貴方のおかげで幸せなんだもの」
直接関わった全員が喪失感や罪悪感に打ちのめされる中で、セゴレーヌとオードリックだけが幸せそうに笑っていた。




