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子孫への置手紙『三河物語』で書けなかった話-2-

 鳥居強右衛門が長篠城の使者として岡崎に向かった1年前。似た状況に追い込まれた城がありました。

 それは高天神城であります。

 遠江東部の要衝高天神城は、今川滅亡後。徳川と武田の間で幾度となく争奪戦が繰り広げられ、当時は徳川方の小笠原氏助が城主を務めていました。要衝でありますので、武田勝頼は高天神を狙います。城に居る兵だけでは到底追い払う事は出来ません。籠城します。勝頼は当然城を囲みます。ただこの城は難攻不落。力攻めは難しい。戦況は膠着状態に陥ります。膠着状態とは言え、城の蓄えには限りがあります。しかし包囲を打ち破るだけの兵を持ってはいません。ならば選択肢はただ1つ。

『援軍の要請』

であります。


 城主の小笠原氏助は再三再四。浜松に居る徳川家康に助けを求めます。その任に当たったのが匂坂牛之助でありました。浜松に赴いた匂坂に対し、家康は

『援軍は出す。』

と彼が訪れるたびに発言していました。

 しかし家康は動きませんでした。


 何故か?

 更に遡る事2年前の三方ヶ原の戦いにおいて、武田信玄に惨敗を喫したトラウマが家康の脳裏を支配していたからであります。

『織田信長が到着するまでは動く事が出来ない。それまでは耐えてくれ。そうすれば、匂坂に言った事を実現に移す事が出来る。』

と……。


 しかしその間にも武田勝頼の圧力は強まります。それは武だけではありません。勧誘活動も同様であります。その時、武田勝頼が小笠原氏助に提示した年俸は幾らだったと思います。

 その額実に1万貫。石高に直すと20万石。そんな年俸。家康が家臣に出すわけ無いじゃないですか。天下人になってからだってそんな人居ません……。途中からやって来て寵愛された奴(井伊直政)は別ですが……。


 そりゃぁ靡くよね。仕方無いよね。更に勝頼は、

『徳川に残りたい者は、その考えを尊重する。』

とも言ってくれたんだよ。その時、徳川に残る選択をしたのが3人居たんだよ。その中の1人が匂坂牛之助。あんな酷い目に遭ってだよ。それでも家康に忠節を尽くす決断を下したんだよ。そんな匂坂を含む3名に対し、家康はどうしたと思います?それは……。


 切腹。口封じであります。


 罪名は異なります。

『武田に通じた事により。』

であります。しかし実際、どのような事があったのかは皆。わかっています。その話は当然長篠にも伝わっています。

『あいつ本当に来るのかな?』

『もし生き残っても、嘘をついた事がバレないように亡き者にするんだろ?あいつは。』

の世論が形成される中。危険を顧みず行動した鳥居強右衛門。彼の活躍により、30年後。私は左遷されたのでありました。


               -この項了-

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