9-2「二の刻 東の空 光りたり」(1)
その日、やる気のない低い声がミリアを呼んだ。
「なあ~~~~、みっちゃぁあああん」
「んーーー? なに~~~?」
雨の総合服飾工房は暇である。
服飾産業が発達し、お洒落に気を遣う人間が多いこの街で、雨の日に自慢の衣装を引きずって歩き回る人間などいないに等しい。
現に今も、小雨の降りしきる外は、まるで夜中のように閑散としており、先ほどから人っ子一人通りやしない。
それでも賑わうのは労働者の集まる珈琲サロンや大衆飯屋ぐらいで、他業の店主は店を閉め、そこに繰り出すことも多い。
──そんな日に。
『シャルメ壊れた。』と呼びつけられたのは、コルト・クロック。
近所の皮革工房・クロックワークスの一人息子だ。
梳かしていない長めの金髪を、自由にさせまくっている青年は、無反応のシャルメを前に、ガタガタと準備をしている。
そんなコルトの横で、視線はそのまま相槌を打つのはミリア・リリ・マキシマム。
この物語の女主人公であり、ビスティーの着付師であり、マジェラから来た秘密の魔法使いだ。
補足であるが、コルトはミリアが魔法使いで有ることを知らない。エリック以外、本当に誰にも話していないのである。
──そんな、出生を隠した魔法使いと、革屋の息子は今。カウンターを挟んで、自身の作業に取り組んでいた。
ミリアの手元に広がるのは、線だらけの羊皮紙とカタログ資料。
コルトの元には、動かぬシャルメと道具の数々。
道具を並べ様子を伺い、手袋をはめながら。
コルトは視線を外さず言葉を投げた。
「さっき、ガチすげーの、見た」
「なに? どしたの?」
「なんかぁ、高そうな衣装着た男が、ぼろきれ男に『クツ舐めろ』って言ってた」
「……ああ~、屈辱の要求だね~。
そうやって屈服させるんだよね?
なーにが気持ちいいんだろうね~?」
言いながら、ガッコンと音を立ててシャルメ本体の外装を外すコルトを視界の隅に、ミリアは『わからない』を体現するように空を仰ぐ。
ミリアはその屈辱の強要行為を実際に見たことはないが、ここでの雑談や見てきた創作の中では度々出てくるので知っていた。
度々出てくるということは、『それなりに存在する』ということで。(まったくの作り話ではないんだろうな~)という推測が立つのである。
ぼんやりと見つめる先、窓を打つ雨粒に唇を立てて。
ミリアはうぅーんと背を伸ばし──
(他にも、この国特有の挑発行為あるよね。
えっと、なんだっけ?
左の握手と?
靴舐め欲求と?
手袋投げるのは決闘の申し込みだっけ?
……なんか、異文化だよねぇ~。
マジェラではそんなのないのに~)
……それらをくるんと脳でまとめて。
ミリアは丸椅子の上、姿勢を正して布巻の芯を握ると、静かに手を動かし続けるコルトに目くばせひとつ。
呆れを宿して口を開ける。
▶ コルト・クロック
皮革工房・クロックワークスの息子。16歳。
5-11~5-15あたり(薄氷の笑顔の仮面)を引き起こした少年。
ねみーだりーうぜー、なあみっちゃああああん
こんな喋り方をするヤツ。




