8-6「始まりの”ピチューボ”で」(2P)
”しおらしく眉を下げ、少々落ち込んだ空気を滲ませて。はちみつ色の瞳が……ちらりと見上げ、しゅんとする”。
そこに居たのは、いつもの「悪ふざけのミリア」ではなく、声をかけたくなるような愁いを帯びたミリアだ。
途端。
エリックの中に走り抜ける、気まずさのような、恥ずかしさのような感覚に、さっと視線を反らし、複雑に眉を寄せうなじを掻くと、
「……その顔、ずるいだろ」
「……じゃあやってくれる!?」
「…………!」
ぱぁ! と花開き、明るくなった彼女に更に唸り顔をそむけた。
憂いから喜びへ。
明暗の切り替わりについて行けない。
期待した笑顔がそこにあるのがわかっていながら、どうしてもミリアの方に顔が向かない。
むず痒い。
見たい。
──しかし、見たくない。
(いや、そもそも”ずるい”ってなんだ)
相反する感情に、小難しく眉を寄せ目を閉じて。
彼の思考は、居心地の悪さから逃げ出すように走っていく。
(と、いうか。
『じゃあ』もなにもないだろ。
そもそも女装苦肉の策だったじゃないか。
……もう、期待に満ちた目で見るんじゃない。
……そして俺もなぜ直ぐに言い返せない……!)
──ぐるぐると暴れる思いを口の中で飼い殺し、精一杯の疲れを滲ませ、彼は静かに首を振ると、
「……いや。二度とあんな格好は御免だ。君の命が脅かされるような状況に陥ったのなら話は別だが、そうでもない限り女装は『無い』」
「ちぇ~~、可愛かったのにぃ」
「むくれても無駄だぞ、譲らないからな?」
”……むう。”
(……そんなテに引っかからない)
子どものようにむくれるミリアに、エリックはジト目で返してまたも目を反らした。
何とも居心地が悪い。
彼女の意見を反故にしてしまう罪悪感が、どうにも胸をそわそわとさせる。
しかし、そんなエリックの傍らで、ミリアというと、もう気分が変わった様子なのだ。眼前に小さく見え始めた『鶏焼き・ピチューボ』の軒先を指さして、足取りも軽く歩いていくのである。
『鶏焼き・ピチューボ』。
先ほどから『お腹空いた』と繰り返していたミリアが真っ先に指定した店だ。
以前、軒先で一人食事を楽しむミリアをたぶらかすつもりで声をかけ、『いまたべてる』攻撃を喰らい、その上密かに貧乏認定された店でもある。
ちなみに、ミリアの『このおにーさん、お金持ってなさそう疑惑』は今もまだ続いているし、なんなら最近は『おりおんさん、もっとお給料あげたらいいのに』と、雇い主への不満に進化していた。
──かくして。
始まりの店に再訪した二人は、まだ開店して間もない店内に足を踏み入れたのであった。




