petit「祭りのあと」前
「────あれ。手、どしたの? 怪我?」
「……あ、まあ。ちょっとな」
騒動のカルミア祭から、数日。
昼下がりの総合服飾工房ビスティーで。
いつものように現れたエリックめがけて、ミリアは開口一番目を丸くした。
現れたエリックの右手には、見慣れぬ乳白色の包帯が巻かれていたのである。血が滲んでいないところを見ると大けがではなさそうだが、明らかな変化に声が飛び出た。
そんなミリアに、しかし、気まずそうに目を逸らして答えたのはエリックだ。
──言わずもがな、この包帯の下には、今もしっかりと歯の跡が残っているのだ。
偽リック──いや、女狩りのオースティンに噛みつき攻撃は、しびれや動作の違和感などの後遺症を残すことはなかったが、跡だけはすぐに消えなかった。
むしろ、紫色に変貌し、ありありと『嚙まれた跡』を物語っている状態で、人様に見せられたものじゃない。
(────そんなものを見せたら、リックだと気づかれる)
と胸の内で呟きながら、すまし顔に若干・力を籠め、人知れず喉を絞る。
正直。
カルミア祭の一件は、エリックの中で大きい出来事であった。
相棒の危機に鉢合わせたこと。
ミリアの予定が、男性との逢瀬ではなく自分たちのショーだったこと。
──それと、ミリアの『無理発言』。
どれも大きな出来事であったが、特に『無理』と言われたダメージは尾を引いていた。
彼の中でぐるぐると、『助けたのに無理はないだろう』と『目の前で人が吹っ飛んだら『無理』だと感じてしまうのも無理はない』が錯誤する。
もとより彼女は暴力を好んでいない。
最初に出会った時も、カルミア祭でも、危機的状況だったのにも関わらず、魔力も使わなければ相手をど突くことさえしなかった。(靴は投げられたが)
普段の性格や勢いから度胸のあるように見えるが、エリックから見えるミリアは、普通の女性なのである。
(────……蹴りはまずかったよな……)
あの時のミリアの顔や、『無理』を思い出しながら、包帯の巻かれた部分をさすりつつ渋い顔。『リックに充てた無理』だとわかっていながら、平然に問いかけてくるミリアに対して気後れしそうだ。
────しかし。
『あの場にいなかった自分』が動揺を見せるのも、ヘンな話である。
右手を意識しつつ、しかし平常を決め込むエリックに、『怪我の理由を知らぬミリア』は、けろりとした目を向けると、
「結構大きいケガ? 大丈夫?」
「──いや、その。大したことは無いんだけど」
「指切ったんでしょ~」
「『指』って位置じゃないだろ?」
「じゃあ、旦那さま応援しようとして、腕降って角にぶつけたんだ?」
「まさか。君じゃないんだから」
「ちょっとぉ。」
ぽんぽん質問をぶつけてくるミリアに、さらりと返すエリック。
細かいことを言うのなら『応援ってなんだ』と話を広げたい気持ちもあったが、それは蛇足だろうと処理をする。
いつも通りのテンポ。
いつも通りの相棒。
いつも通りの平和な総合服飾工房のカウンター内、糸や布の敷き詰められた壁を背負いながら
エリックは『これから』に考えを巡らせた。
とりあえず、『今』。
ミリアに『モデルのリックである』と明かすことは、ミリアの『無理』で白紙になった。
ミリアとは、任務完了まで良好な関係を保たねばならないのだ。
ことあるごとに『暴力は良くない』と述べている彼女の前で飛び蹴りを食らわせておきながら、『あの時、飛び蹴りで君を助けたモデルです』とは口が裂けても言えない。
軽口をたたき済ませ、軽やかにトルソーのドレスを整えるミリアに、ひとつ。
(──”バレている”……とは考えにくいけれど)
口の裏で呟いて、即座に『悩まし気』を醸し出し目を向けると、気にしている様子のそれを押さえて彼女に言う。
「────……祭りの騒ぎに乗じて、旦那様に襲い掛かった輩が居たんだ。それを抑えるときに、ちょっとな」
「そっか。危なかったんだね」
「────まあ、うん」
平然と頷く。
嘘はついてない。
本当のことも言っていないわけだが『こう言っておけばそれ以上突っ込まれることもない』と踏んだのである。
エリックがその内心で、今後の展望や計略・またはあの時のミリアの顔と今の様子などを鑑みて、思考を巡らせながら、無意識のうちに右手の噛み跡を握るのを──
”じっ”と観察するのは、ミリアだ。
エリックの様子・若干緊張した面持ちと、その右手。
何があったか知る由もないが、エリックの性格上、旦那さまに降りかかる危険を身を挺して守ったのだろう。
それは大変褒められる事柄だが、ミリアにしてみれば、『見知らぬ旦那さま』より、『おにーさん本人』の身の安全のほうが気がかりだった。
「…………。そこ、痛い?」
「え? ……まあ、」
「…………」
どこか、気まずそうに。
素っ気なく、ぎこちなく頷く彼に眼差しを送る。
まさか包帯の原因が自分だとはつゆ知らず、黙りこくる彼に手を出すと、
「て。」
「──”て”?」
オウム返しに聞くエリック。
そんな彼に考える余裕を与えず、彼女は、おもむろにその手を掴み上げ──
────ぴたり。
かざす右の手 穏やかに
綺麗に揃えるは
神の指と弱き指
すぅ……となめらかに瞼を閉ざし、ひとつ。
結びし印に呼応して、淡く柔らかな光が集まり一呼吸。
徐々に収まる光を感じながら、手を預けたまま動かぬ彼に目を向けて、彼女は小さく微笑むと、
「治した。痛くないでしょ?」
「………………」
『どう?』と見つめるミリアの前、エリックはとても不思議そうだ。
ぽかんとする彼に、ミリアはテレを隠すように肩をすくめると、
「魔法、『体に効く』のもあるの。
軽い傷ぐらいならわたしでも治せるから。
包帯してるとお客様に気を遣わせるし、治させてもらいました~」
ゆるゆるとした口調でそう述べると、エリックは”一瞬”。
驚いた表情で右手を見、するするとその包帯を取り始め────
出てきたのは『いつもの手』。
傷ひとつなくなった手に、目を、丸める。
「…………女神の奇跡…………!」
「かいふくまほうです。奇跡ではないです。」
大げさに驚くエリックに、平たく低めの声で返した。
エリックがこれらに慣れていないのは重々わかっちゃいるのだが、毎回驚かれるのも微妙である。
ミリアからしてみれば、こんなもの初等教育ほどの『小手先技術』。エリックも、習えば即使えるようになるだろう。
(……もう~、自分で炎とか出してるのに、まだ驚く??)
自分で炎も操っておきながら、小さな子どものように目を丸くする彼に、小さく肩をすくめ短く息をつく──が。
(────ま、仕方ないのかも。育った環境ってあるもんね)
心の中で切り替えて、くるりと瞳を回して話題を変えることにした。
カウンターに鎮座している、重厚な緑色の『等間隔 魔動 縫製機 シャルメ』に手をかざし、手元の明かりをともしながら
ミリアは、何気なく口を開く。
「……にしても、大変だねぇ~。
そういう護衛もやるなんて。
最近物騒で困るよね~……」
言いながら、ペン立てからブラシを摘まみ上げ、針台の下──溜まり絡んだ糸くずや毛埃を払い始める。
そんな
彼女の
後ろから。
すぅ……と、小さく悩まし気な息遣いが零れ、
次いで、エリックの────
やや低めの・訝し気を含んだ声が、ビスティーに響いた。
「──〈物騒〉……本当にそうなんだよな。あの日、女神の広場裏手でも暴漢未遂があったって。」
────ぴくっ。
(────う゛……!?)




