7-11「無理③」
────裏路地で一悶着。
偽物リックに騙されて
ツボ扱いされチケットを破られ
殴られそうになったところ
現れたのは二人目のリック
蹴りと共に現れたその人が本物だと知った時
ミリアの中に駆け巡ったのは
混乱と、混乱だった
今日いちにち。
僅かな時間で着いてしまった『リックは最低な男』というイメージが、ガラガラと崩れ払拭されていく。
本物のリックは瞳が深い藍だということや
危険を省みずに助けに入る人だという事実が
動かぬ脳で組み立てられて行き────
リフレインする、リック・ドイルの言葉。
『──待ってる』。
…………ずっ。
ずるるるるるる……ぺたんっ……
本物のリックが消えた、大通りの雑踏をぽかんと見つめたまま、ミリアは壁をこすりながら座り込んだ。
(──────…………、)
戻ってきた兵士が何やら言っているのはわかる。
何かを言っているのはわかるが、入ってこない。
本物のリックに──握られた手はそのまま。
あたまがぼんやりして動かない。
黒の手袋。暖かな大きな手。
自分よりはるかに高い身長。
いつも静止画で見ていた彼が目の前で、
────『待ってる』。
「…………む、むり…………」
呟く声が震えていた。
どきんどきんと波打つ心臓はうるさいし、手は固まったままだし、目の前で起こった一連の出来事も飲み込めない。
(なにが、オコッタ?
え?
今の、ナンダッタ?
リックが? リックで?
ぽかぁ────ん……と、置いてけぼりの路地の真ん中。
蘇る先ほどのこと。
本物のリックが掬い上げるように手を取ってくれた。
導かれるようにあがった手を、それごと握られた。
そのまま、いまだ固まっている手のひらの中。
確かな『紙の感触』に、震える指をそぉっと開き────
(────チケット。)
ある。
紙。
固まる。
見る。
もう一度。
(────本人から。
渡された。
ちけっと。)
破られた。
だけどある。
本人から。
(…………ちけっ…………)
脳死のミリアに、もう一度。
リフレインする 上から握られた手と その感触。
初めて聞いた声が響く。
『────待ってる』
やや緊張しながらも、柔らかで落ち着いたその声に。
「──────む……、
無理……!
むり! 無理! むりむり無理!
…………むりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい〜〜〜〜〜〜!!!」
兵士の声掛けも聞き取れず。
女神の広場裏手の道に、完全にキャパオーバーしたミリアの絶叫は、思いっきりこだましたのであった。
「────ね〜え? ファリダ?
せっかくオリビアの準備が整いましたのに……りっくん盟主サマは一体どうされたというの?」
カルミア祭・控室。
女神の広場を抱きかかえるように建つ神殿の一室で、ココ・オリビアは頬を膨らまし腰に手を当てた。
訝し気に視線を送る先は、エルヴィス・ディン・オリオン──今の役割『リック・ドイル』である。
テーブルで頬杖を突き、ひたすらに難しい顔で黙り込み、陰鬱な空気を放っているビジネスパートナーに、オリビアは呆れた息をつくと、
「まぁるで世界が終わったようなお顔をされて。
外でなにかあったのは存じ上げておりますけれど、なぁぁぁぁぁんでりっくん盟主サマがそんな顔をされるのか、オリビア、解りませんの」
くんっ! と鼻を鳴らして
くるん! と首をかしげる。
────だが。
リック──いや、
エルヴィス、いや、
彼はオリビアどころではなかった。
「………………………………”無理”………………………………」
重い首を支え、テーブルの木目を見つめながらぼっそりと呟く。
頭の中に響いて仕方ないのは、先ほど裏路地から響き聞こえてきた、ミリアの『無理!』という絶叫だ。
その時は何のことかと慌てたものだが、聴取を取った兵士によれば『あれは、リックさんへ宛てたものだと思います』とのこと。
ミリアがああなった経緯も大まかには聞いたのだが、それよりなにより『無理』のひとことが────
ずどんと身体に利いていて、どうにもこうにも切り替えられずにいた。
(……『無理』、は……無理ってことだよな……、それ以外に意味はないよな……『理を反すること』『理由が立たないこと』……それと、受け入れられない出来事にも、……使う……よな……)
「めいしゅサマぁ〜?」
頭の上。
覗き込み声をかけるオリビアのそれも、耳には入らない。
(…………”無理”…………、むり…………、
……蹴ったのはまずかったか? 『暴力は良くない』と確かにいつも言ってたが、いや、しかしあの場合は仕方なかったよな? ミリアが殴られるのを見逃すわけにはいかないし、なにより守ると誓ったんだ。多少の武力行使は……、ううん。いや、しかし、
…………”無理”…………)
ぐるぐる、ぐるぐる。
深みにはまっていく。
『無理』は無理だが、『その無理』ではなく、別の意味をもつ『無理』だということを、彼はまだ知らなかった。
「めいしゅサマぁ? りっくん・盟主・サマぁ〜?」
(いや、落ち着け。俺が気分を下げる事ではないだろう? 理由がないじゃないか。たかが言葉だ。何をこんな。なんでこうなる?)
「もう! りっくんサマ!」
(……そうだ、整理しよう。状況を鑑みるに、ミリアの『無理』という言葉に気持ちが落ちているのだ。その原因は? 暴力男だと思われたくない……はあるが、しかしあれは『リック・ドイル』としてであり、『エリック』だとは気づいて無……
────俺は、彼女のリック・ドイル像を壊したのか……!?
それで『無理』と……!?)
「──さあ、出番ですのよ? オリビアの手をお取りになって?」
愕然と閃く盟主に、オリビアが手を差し伸べる。
そんな彼女の手のひらを見ることもせず、
「…………”無理”…………」
「────まあっ……!!」
ミリアの『無理』を完全にとらえ間違えて
テーブルの木目を見つめたまま零れたその一言が
オリビアとの間に、さらなる火種を生んだことは言うまでもない。




