7-11「無理①」
焦りも怒りも厄介だ。
平静を望む感情を瞬く間に支配し、突き動かす。
その衝動に駆られながらも、適切にコントロールしてきた彼は、この日。
建屋の中から目撃した相棒のピンチに
我も忘れて飛び出していた。
強烈な蹴りと共に。
────ガ! ヅっ!
「っっがああああああああ!?」
醜い声が通りに響く。
怒りと痛みで歪んだ男が、ドンっ! と音を立てて石畳に転がった。
それを眼下に、わずかに乱れた息を整えるのは
『エルヴィス』────
『リック・ドイル』である。
脇を押さえながら『ぐああああ』と悶え、のたうち回る偽物を前に、罪悪感などない。
怯まず一気に距離を詰め、瞬く間に取るマウント。
跨る腿で腕を潰し、両手を封じながら、その胸ぐら目掛けて手を伸ばし────!
「…………だ、誰……!?」
「────!」
耳に届いたミリアの声にハッとした。
ぐっと襟元は掴みながら、彼はさっと彼女に目を向ける。
黒の覆面から覗いた相棒は、ハニーブラウンの瞳を丸めている。
その反応に、一瞬。
(────俺だとわからないのか……!?)
と動揺が走るが、
(──覆面のせいか!)
すぐさま気がつき、彼は『好都合だ』と頭の中で切り替えた。
そう、今は《リック・ドイル》だ。
格好も髪型も普段と違うし、顔の半分はマスクで隠れている。
現場を見た瞬間、頭に血が上り忘れていたが、『リック・ドイルとして飛び出してしまったのは紛れもない悪手』だった。
しかし、ミリアが気づいていないのなら問題はない。
こちらに気づかれ、『おにーさん!?』と混乱し、最悪ヤツに人質として盗られてしまう危険はなくなったのだ。
────『ならば、今』。
相手にしなければならない相手は、自分の下。
両腕を足で潰され、蠢きながらも首を振る、この────ニセモノ野郎に
解らせてやらねばならない。
(────間に合ったから良いものの。
…………何をしようとしていた?)
声に出さず、瞳に怒りを込める。
先ほどまでは、ぐらぐらと煮えたぎるような怒りが腹の底で蠢いていたが
今、あるのは冷静な憤怒。
それらを奈落の青に込め
ぐんっ! と胸ぐらを締め上げる彼に────
偽の男は、みるみるうちに眉を下げ目に涙をため、ぶるぶると首を振る!
「──ちちちちちち、違うんだぁ、待ってくれ誤解だって!
ぼ、ボクはリック・ドイルだ! ボクは何もしていない!」
(────なにが『何もしていない』だ)
喚く男に殺気を放つ。
『言わぬ圧力』は馬鹿に効く。
恐怖に染まった時・命の危険を感じた時。
馬鹿は、非がある者はべらべらと喋るのだ。
それはもう饒舌に。
「あ、ああああ、あいつ! あいつだ! あの女が騙してきたんだ!」
(────は?)
ありもしないことを。
さも、事実のように。
「あの女がボクを誘惑してきたんだ! 色目つかって近寄ってきた! ボクは被害者だ! 財布を盗みやがったんだ! !あいつがスリなんだよ!!」
(────へえ)
「ボクはリック! リック・ドイルだ! モデルだ! あんなコブリン女に引っ掛かるわけがないだろ!?」
(────それで?)
「──なあ、なあ! あんたもわかるだろぉ!? そのカッコ、ボクにそっくりじゃないか、つまりあんた、ボクのファンだ! ファンならわかってくれるはずだ! 殴ろうとしたんじゃない! あいつがボクのサッ……んぐっ!?」
(────黙れ。)
頬ごと握るように口を塞ぐ。
べらべらと五月蝿い。
冷たい怒りが、腹の奥。
熱く熱く、ぐらぐらと揺れ始める。
(────その舌。相当油が乗っているな。
切り落として小型竜の餌にでもしてやろうか)
────ぐんっ……!
「んぐうううっ!」
有無を言わせず、掴む腕に力を込めて押しつけた。
石畳の上、男の髪がぢりぢり擦れる音がする。
────さあ、どうしてくれようか。
このまま髪を掴みガツンと後頭部を叩きつけてやろうか。
牢にぶち込み去勢してやろうか。
──暴力は好きではないが
『リック』を騙ったこと。
ミリアのチケットを破り、あまつさえ殴ろうとしたこと。
この期に及んでも、嘘をついたこと。
(────身を以って味わ)
「────痛う!」




