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7-10「たすけて!」

 ──────時は、ほんの少しばかり遡る。




 





 彼は息をついた。

 綴られた文字を見下ろし、肺の中から。


 

 ─────「オリビア様ぁ〜!」

 通路から聞こえる侍女の声も、右から左へ。

 着せられた衣装・馴染まぬ革靴を鳴らし、足を組んで──もう一度。



 

 ────「ああ、これではダメ!」

 本日何度目かの『NGコール』に、うんざりと息をつき──目だけを向けるのは『控え室』。




 ノースブルク諸侯同盟国・オリオン領・”聖地 クレセリッチ”。

 


 ウエストエッジの隣に位置し、ネミリア大聖堂とその広場をもつサンクチュアリ『女神の広場(ミリアル・ラパンガン)』。聖なる広場を囲むように建つ、建物の一室は、ため息に包まれていた。




「………………」

 スケジュール表に無遠慮な息を吐きこぼしているのは、エルヴィス・ディン・オリオン。今の名を『リック・ドイル』。この街の広告塔の一人であり、駆け出しモデルの盟主である。


 


 彼は、忙しかった。


 

 今日は『成人の儀 カルミア祭』だ。

 国中の新成人とその家族の幸せに乗じて、国全体が祭りモードになる1日である。

 このカルミア祭を皮切りに、国は各地で賑わうようになる。


 

 そんな『国祭典』。

 盟主が無関係でいられるわけがない。


 連日、午前は打ち合わせ・午後は『スパイのエリック』として、総合服飾工房(オール・ドレッサー)のミリアと周辺店舗の聞き取り調査。

 


 それらがあるからと言って魔術の勉強も疎かにはしない。

 帰宅後山積みになった雑務を片付け、食事もそこそこに、祭典準備の進捗を確認しつつ、就寝ギリギリまで魔導書を読み込みながら眠りにつく毎日を続けて数週間。


 

 文字通り”忙殺”である。



 屋敷の人間や、執事のヴァルターには、散々『休め』と言われているのだが、彼は『雑務もこなすが他も手を抜かないし、少しでも時間があれば魔道の勉強も』と、詰めに詰め込む性格だ。


 

 

 それをこなして、今日は当日。

 朝から漆黒の公服をまとい『盟主エルヴィス』として。


 新成人に祝福の言葉と女神への祈りを捧げ、大衆への形式的な儀式を済ませた後、成人を迎える子どもを持つ貴族たちに挨拶して回った。

 


 煌びやかに煌びやかを重ね、祝福を醸し出した貴族の仮面を装備し、延々と祝辞を述べて回り、文字通り『息つく暇も無く』。今度は『モデル』として早着替え。殺風景な控え室に詰め込まれ、早一時間以上。



 辟易である。



 (────この時間が無駄だな……)



 彼・エルヴィス──いや、リックは、『毎年この時間』にげんなりとしていた。


 追われ・こなしている時間はなんとも思わないのだが、やることもなくただ待っているこの時間は極めて苦痛だ。



「…………はあ…………」



 手持ち無沙汰な時間に、一人、石造りの待機室・安物のテーブルに頬杖を突きながら、雑に散らばるチケットを一枚。

 

 『オリビア&リック カルミアショー』と書かれたそれを、黒い手袋ごしの指でつまみ上げ、生気のない目で見つめる。



(────……時間を捨てている気分だ)

 

 

 愚痴りながら、指の先。

 ぺらーん……と垂れるチケットを意味もなく胸ポケットにねじ込んだ。見上げる天井も代り映えしない。聞こえてくるのはオリビアと侍女の攻防だけ。


 二つ隣の部屋から聞こえてくる『違う!』の声が気力を奪う。

 その声でわかる『待機時間の延長』に心が疲弊する。



 げっそりである。

 げんなりであった。


 


(────……オリビアはどうしてこうも時間がかかるんだ。

 衣装合わせもしただろう。

 なのにどうして直前で揉めるんだよ。これでは打ち合わせの意味がない)

 


 不機嫌な息をテーブルの上に転がす。

 自分はもう、上から下まで文句も言わずにリック(ドール)化し、目出しの覆面までつけているというのに。

 オリビアの着替えが終わり次第、最終的な確認作業が残っているというのに。



 ────進まない。




(──そもそも……本番までまだ時間があるのに、俺まで同じ時間に入る意味はあるのか? 毎年これ(・・)なら、時間の無駄でしかないんだけど)


 

 愚痴りながらスケジュールの書かれた羊皮紙をばっさりと放った。



 力のない瞳が見下ろしたそこには

『・お二人、三階バルコニーで挨拶

 ・楽団の登場

 ・演奏が終わり次第一階へ

 ・ステージ』

 と、流れが記されており──それからも目を背ける。



 飽きたのだ。

 それらは頭に入っている。

 時間つぶしにもならない。

 

 ────はぁ……っ……!

(……迂闊に魔導書も開けないし、雑務を持ち込むわけにもいかないしな)


 

 胸の内で呟いて、退屈な頬杖をつき、読みつくした手元のスケジュール表を裏返す。


 

(……ああ、もう。せめて適当な資料が欲しい。

 こんなことならミリアに服飾カタログでも借りてくるんだった。

 手持無沙汰で仕方ない)


 

 暇つぶしを求めて、右手はペントレイへ。

 綺麗に並べられているガラスペンを握り、意味もなく紙の上を走らせてみる。

 


(────……炎エレメンツの構築式は……、いや、ここに書いては駄目だよな。こういう時、周りはどうやって時間を潰しているのだろう? 衣装の事が無ければ、軽く鍛錬でもするのだが……)

 

 ────「ファリダ~! ねえ、ファリダ!」

「………………」



 走り出した思考をせき止めるかのように響いた、オリビアの声にペンを置いた。


 彼女の着付け師『ファリダ』にかける言葉も無いが、だからといって『早くしろ』『もういいだろ』と割り込むわけにもいかない。



 体中のゲンナリを凝縮させて瞼を落とし、『面倒だ』を滲ませながら、ひとり。殺風景な控室で肩を落とし────



(はあ、女って言うのはどうしてこうも────)

────《わあああああああああああああああ……》


「────? なんだ?」


 


 うんざりも退屈も切り裂くように、微かに響いた高い声に顔を上げる。 

 特別大きな声ではなかったが、確実に聞こえてきたそれに、意識を向けて背を伸ばす。



 女の声なのは間違いない。

 聞こえてきた方角に神経を向けながら、リックはかたんと腰を浮かせて立ち上がり、 興味と警戒を含ませ呟いた。


 

(……裏通りの方だ)



 自然と足が向かうのは、部屋の外。

 廊下を横切って向かいのほうへ。


 黒の覆面に開けた穴から見える『周辺視野の狭まった世界』を目の当たりにしながらも、耳を澄ませて位置確認。



(…………北側)

 響き方から目星をつけて、声のするほうへ。

 日の差さない暗めの部屋をつっきって窓を押し開け覗き込み────


 

 

 眼下に捉えたのは、一組の男女。

 ちょうど真下あたりで対峙し、なにやら揉めているようである。


 一瞬、エリックの脳に走り抜けたのは『またナンパか?』という懸念だが、しかしどうも様子が違う。



 何事かと思いつつ、様子見と言わんばかりに頬杖を突く彼の視界の中

 ────「チケットだしてよ!」


 女が勇ましく声を張る。

 男はへらへらと、しかし威嚇するように左右に体を動かしている。


  

 なんとなく読めた。

 自分たちのショーを見に来た客の喧嘩だろう。


 しかしその様子を目にしても、エルヴィスの気持ちは冷めたままだった。


 

(…………チケット?

 男に預けていて無くした──とか?

 こんな日に喧嘩なんてするなよ、縁起でもない。

 そんな大事なものを預けた女の方にも原因が────)



「────ん?」


 

 目を丸めた。

 応戦している女のほう。

 よく知った声に聞こえる。

 髪は見覚えのあるダークブラウン。


 やる気のなかった瞳に士気が宿り、呆れを乗せていた頬杖から顎が浮く。 

 脳が見せる像と擦り合わせるように身を乗り出し、改めてまじまじと見てみれば


 濃く深い茶色の髪は珍しいわけではないが、その『声が』

 フォルムが

 雰囲気が


 

(────似てる……! ミリアにそっくりだ……!)


 

 胸の内で呟いて。

 窓枠を握り喉を詰め、前のめりで覗き込む。




 はきはきとした──いや、威勢よく、捲し立てるような声。

 対抗心と負けん気が込められたトーン。

 毎日聞いているそれ──いや、初めて彼女と出会ったあの日が重なり、訴えてくる(・・・・・)


 

 『あれは相棒(ミリア)だ』と言ってくる。


 

「────!」


 彼はさらに身を乗り出した。

 自分の『まさか』を確かめるように。

 確証を得られるように。


 

 3階のここから

 外で揉める彼女の、顔の細部を視認することなどできはしないが────

 


(────ミリアだ!)


 瞬間的に理解した。

 

 

 出かけた言葉を飲み込んで、素早く踵を返し走り出す。

 目指すは一階、彼らの元。

 足早に廊下を踏みつけながら階段を駆け下り、ぎりっと奥歯を噛みしめる彼。



 あの様子では(・・・・・・)

 穏便に(・・・)済むわけがない(・・・・・・・) 


 


(────くそっ……!

 今日はデートじゃなかったのか!?

 あんな男と、くそ……! 言葉にするのも腹立たしいが、ああ、もう! 何やってるんだ!)


 

 一気に駆け巡る焦燥と苛立ちに任せて走る。


 あれだけを見たエリックの脳が《この後》。

 『ミリアが男相手に説教をかまし・煽って逆上させたあげく、暴力沙汰・あるいはそれ以上』という『最悪の結果』を弾くまで、秒ほどの時間もかからなかった。



 

「────衛兵! 数名裏手へ! 女性が絡まれている! 救護に当たれ!」

(……どう見ても騙されているじゃないか! あれほど警戒しろと言ったのに……!!)


 

 弾かれたように動く兵士も置き去りに、

 踊り場を抜け、焦りに駆られる脳が見せるのは、彼女の顔。



 

 『隣町じゃん、危なくないもん』

 『ふふ、楽しみ~!』

 『お土産話きかせてあげる!』


 

 ──────なんて

(こっちの気持ちなんて構いもせずにはしゃいで居たのに!)


 

 

 気に食わなかったが、聞いていた。

 苛立ちながらも、聞いていた。

 『楽しみに水を差すのも……』と、理由のわからない苛立ちを覚えながら、聞いていたのに。



 

 

(────ああくそっ! 間に合えッ!) 




 焦る気持ちを抑えながら、一階の廊下に躍り出た瞬間。

 


 ────「たすけて!」


 

 

 耳み飛び込んできた悲痛な声に、ぐらりと煮えたぎる腹の奥。


 


 駆けだす。

 さらに早く。

 響く声に神経を尖らせながら、目指すは──”奥”。


 走りながら、首元のタイを緩める右手に力が籠る。




 ────「人権だぁ自由だぁほざきやがって! 気に食わねえんだよ!!」

(────は?)




 がらんどうの部屋から響き渡った

 耳障りな声に怒りを研いで

 覗き込んだ先


 大きく開いた窓の向こうから聞こえてくるのは、下衆のがなり声。

 

 はらりはらりと紙が舞い散り、ミリアの悲痛な声がする。




 その目が捕らえた

 悲しみで染まった横顔に



(────回り込んでなど居られるか)




 睨み据えるは窓の向こう。

 ────すうっ! と息を吸い込み地を駆けた。



 


 ──「今から『リックが』、『この僕が』!」

(────誰が『リック』だ)



 不愉快に(かた)るその姿めがけて

 がっつりと掴むは、窓枠の下。



(────俺の)


 

 勢いそのまま踏み切って

 がら空きの腹を目掛けて──一直線





(────相棒(おんな)に手を出すなッ!!)

 ────ガ! ヅっ!

「っっがああああああああ!?」



 捻りと怒りを宿した一撃を

 自称リックの脇腹に叩き込んだのであった。



 


 


 




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