7-3「宝珠の色は同じ色?
「この指輪の宝珠って、色違いがあるのか?」
「────色違い?」
どこまでも広がる青い雲。
そよ風になびく草。
大きな樹の下、木漏れ日を浴びながら
魔法の訓練を続けるエリックに、ミリアはおうむ返しで目を見開いた。
エリックがなぜ、そのようなことを聞いたのかわからないが
その問いに、一瞬。
動きを止め、思い出すように空を仰ぐと
ミリアは瞳に不可思議を宿し、首を捻った。
「……え? うん────~……?
ううん、知らない」
「……知らない?」
こくんと頷くミリアは、『なんでそんなことを聞くの?』と言いたげだ。
注がれるエリックの青く黒い眼差しに目を合わせ、指先の水球を”しゅるるるる”と高速で回しながら肩をすくめると、気のない声で言う。
「だって、それもう物心ついた時からその色だったもん」
「……そうか。周りは?」
「……覚えてないよそんなの~……、それ使ってたの10年以上前だよ?
もう記憶にない~」
「…………そう」
聞いて、小さく視線を下げるエリック。
左小指で光るラウリングを見つめつつ、意識は思考の中へと落ちていく。
────先日のリチャード王子との会食で
『リチャードの元にあった指輪』と
『ミリアからもらい受けた指輪』の宝珠は、色が違うと知った。
リチャード王子(正確に言えば妹君)のもとにあるのは『乳白色の石』らしいが、ミリアからもらい受けた指輪についているのは『夕映えを抱いた橙』である。
────それが『単なる色違い』なのか、それとも他のものなのか。
わからぬエリックは、こうして
さりげなく聞いてみたのだが────
「どうして?」
「──いや、別になんでも。今、見てふと思っただけ」
ミリアに小首をかしげられ、短くそっけなく答える。
それ以上の答えようがなかった。
(──ミリアの様子や言動から鑑みるに、おそらく、これはずっと夕映えの橙なのだろう。リチャードに聞いたときは色の違いに違和感を覚えたが、そもそも宝石その物にも、質の差は存在するわけで……)
と考え並べ立てる。
色の違いは気になるが、石でも野菜でも、万物には個体差が存在するのだ。
綺麗なものもあれば醜いものもあり、すべてが同じ形、同じ形容をしているわけではない。
極端な話、ヒトもそうだ。
(……あまり、気に掛けることでもないか)
頭の中で片付けて、エリックの目が求めたのは相棒の姿だった。
彼女は『人』であるが性別も瞳の色も髪の色も違う。
性格も考えも生まれた国も違う。
それは『個』である証明であり、エリックの些細な疑問を流すには十分だった。
「……なに、どしたの?」
「────いや、気にしなくていい。
…………それにしても。
炎を『球』に安定させるのって、結構神経を使うな……」
「でっしょう~??」
疑問をごまかすために発した話題に、返ってきた食い気味の反応に空気が変わる。
エリックとしては『今の素直な感想』をぼやいただけだったのだが、ミリアにとっては抜群の話題だったらしく、ころりと声色を変えて話し出す。
「そうなの大変なの。これをね? 小さいころからやらせるんだから、体力と気力が保たないと思わない? もう自分のことは全然覚えてないけど、小さい子たち学校行き始めたら最初はぐったり。ほんと無茶やらせるよね、子どもに火だよ? マジェラ何考えてるんだかわからなくない?」
と一方的にしゃべり倒す彼女の隣で、エリックは炎の玉に神経を注ぎ続けた。
指の先で、ちちちちパチパチと爆ぜる音を出す、少々歪な炎の玉は、術者の集中力に対しとても敏感だった。
どうも、感情や感覚に作用されやすいらしい。
気を抜くとすぐに形が歪む。
激しい音を立てて飛散したり、油を注いだランタンのように高く伸びやかに燃え盛ったりする。
それを奇麗な球状に保つのはなかなか難しいもので、魔道初心者のエリックは、カードと指輪という補助道具を使っても、小さな火の玉すら奇麗に保てなかった。
(…………まあ、最初から上手くやろうなんて、思ってないけど)
と、言い訳しながらも歪な火の玉に呟きつつ口の端をゆがめる。
正直、もどかしく悔しい。
何事も初手は上手くできないものだが、やればそれなりにできてしまっていた彼にとっては、ここまで歪なのは気に入らない。
ど素人という現実を噛みしめるエリックの視界の隅で、ミリアはというと、奇麗な水の球をくるくると遊ばせている。
────そんな
優雅な技術を小手先で披露している彼女に、エリックの中
浮かんだのは、一つのお願いだった。
「────なあミリア。君の手本を見てみたいんだけど。見せてくれないか?」
「…………やだ」
にこやかに。
小首をかしげて言うエリックに
しっかりと間をとり、ぼっそりと答えたミリア。
瞬時、
ハニーブラウンの瞳に”じとっ”とした感情を乗せ
ちらりと様子を伺うと、
彼の待機顔から逃げるようにそっぽを向く彼女は、むすっと顔を作り首を振る。
「『火の』ってことだよね?
やだ。
ほのおはヤだ。
あいつ嫌い。
水と風ならいくらでも見せてあげるけど、炎はイヤ」
矢継ぎ早に言って眉を寄せる。
指先で遊ばせていた水の球を跡形もなく消滅させ、両ひざを抱えるように座り、不機嫌な頬杖を突く彼女。
────完全に拒否だ。
基本的にオールカモンな印象だっただけに意外である。
そんな様子に、エリックは小さく目を見開くと、軽く受け止め空を仰ぐ。
思い返すのは、初めて彼女に魔道の教えを願ったあの日だ。
「…………『炎と雷は苦手』……なんだっけ?」
「そう~~。
上手く出てくれないし、言うこと聞いてくれないからきらい」
むすっと言う彼女。
そう言われると、逆に見たくなる。
エリックは、指先の火の玉を小さく絞りながら、お伺いを立てるように──いや、『できないのか?』と笑みを浮かべて目をやると、
「……けれど、君もこれぐらいはできるだろ? 初心者の訓練だ」
「ヤなもんはヤだ。
『炎エレメンツ認定試験』、全落したから絶対ヤダ」
肩をすくめ、試す口ぶりの彼に、ミリアの拒否は変わらなかった。
彼女の中、高速で思い出される『ほのおとの思い出』に嫌なモヤが噴き出す中、エリックは口元を緩め、好意的なまなざしで述べるのである。
「────残念だなあ。
君の炎の魔術を、見てみたいんだけど」
「煽ったって駄目です~、イヤです~。その手にはかかりません~」
「君ならできるだろ?」
「や────だ。
ヤダったらヤダ。やらない。やりません~」
「…………そうか。悪かった。
だからミリア、……その、機嫌を直してくれないか?」
「怒ってないです~。むくれてるだけです~」
「…………ごめん。本当に悪かったよ」
「あ、え、……う、うん」
瞬間。
『本当に悪かった』を醸し出し、自信なさげに眉を下げたエリックに、ミリアは戸惑い顎を浮かせて相槌を打っていた。
悪戯に煽ってくるエリックに、いじわる半分・意地半分で断り続けたが、すぐさま謝られて驚いたのだ。今までの彼なら、もう少し嫌がらせを続けてきていた印象だったのに。
予想より早い方向転換にどぎまぎする。
不機嫌な頬杖から思わず顎を浮かせたまま彼を見つめる。
ミリアが驚きの視線を向ける今も、エリックは────心底申し訳なさそうで、ミリアは肩をすくめていた。
「────なんか、…………ちょーし狂うじゃん」
居心地の悪さを感じながら、こりこりと頬を掻く。
ミリアの印象の中、『エリック』という男は基本的に意地悪だ。
先ほどのように煽ったりするときは自分を押し通すし、小言も苦言も多い。『言いたいことを言う』印象で、このようにアッサリと翻されると──違和感しかない。
そしてその違和感は、ミリアに『コルト・クロック皿事件』の時の彼を思い出させた。
──見事な優等生の・機嫌のよさを見せた彼である。
心底気に入らなさそうな態度から、一変。
恐怖さえ感じる切り替え方で、ご機嫌な優等生に切り替わった、あの時。
言いようのない闇を垣間見た、あの時。
あの時のエリックの感情と、今の彼の感情は全然違うのだろうが──翻し方に違和感を覚え目を向ける。
(────この変わり方、あの時と、おなじ……?)
『切り替えた』『翻した』のくくりでいえば同じだ。
あの時も綺麗に翻した。
空気がガラリと変わったし、触れることも触ることも躊躇う緊張を放っていた。
『優等生の笑顔』は何よりも怖かった。
その時とは違うのはわかってはいるが──まだ違いのわからぬミリアに今できるのは、『観察』。
『翻したエリック』に静かに目を向けるミリアに、しかしエリックは真摯に──降参の笑みで述べるのである。
「──君を怒らせると怖いからな?
それに、今のは俺が悪いだろ?
『嫌がっているのが分かっていながら、煽った』。
……弁解の余地もない」
「…………」
「……悪かったよ。許してくれる?」
「…………あ、うん。怒ってない、から。だいじょぶ」
「────そう? なら良かった」
(────これ、は……
あの時と、同じ……?
違う……?)
観察する。ジィっと見つめる。
不思議そうな顔で眉を下げるエリックは変わらない。
その空気には覚えがあった。
(…………ううん、どっちかというと『アルトヴィンガのあと』の感じ。
割れそうじゃない……
……拒否じゃなくて、たぶん理解……和解のほう……)
「────? なに?」
「あ、や、なんでも?」
柔らかな声で首を傾げられ、ミリアは慌てて手を振った。
今の声色・纏う雰囲気で確定した。
エリックは拒否したのではない。
今目の前にあるのは笑顔の拒絶ではなく、理解とやさしさだ。
(……うん、これは、違うやつ。
割れそうじゃないやつ。
多分種類ちがう)
小さくこくこくと頷いて。結論付けた彼女が口にするのは、当たり障りのない場繋ぎの言葉だ。
「…………なんかー。『疲れてるな~』って思ってみてた」
「疲れてないよ。楽しいぐらいだ」
「…………そか」
機嫌良く答え火の玉を操り始めたエリックに小さく頷き、ミリアは一転。
おもむろに指を立てると、そこに風を集め始めた。
──なんてことはない、ただの気分転換である。
指の先で”ひゅるるる……”と小さく音を立てる風の玉を見ながら、
(……ちょっと警戒したけど、だいじょうぶだったっぽい)と胸の内で呟くミリアは、安堵していた。
『怒られなくてよかった』ではない。
『無理させたわけじゃなくてよかった』と。
エリック・マーティンという男の背景は、いまだに全然わからない。
ただ、『自分より苦労してる』のだけは十分に分かっていて、そんな彼に『薄氷の笑み』を発揮させるのは、極力避けたかった。
『なにせ自分は、『彼の相棒』なのだから』
『できることなら、気は負わないでほしい』
それは先日の大喧嘩で伝えたが、はっきりと伝わっているかはわからない。
(────『口論、したことなかった』、かあ……)
ぼんやりと思い出す。
『喧嘩するなら受けて立つ』と伝えたが、あの時彼は戸惑い気味だった。
(……まあ。女のわたしに怒鳴るとか、抵抗あるんだと思うんだけど)
と、ひとつ。
(……たぶん。ほんとに、大声上げるとかしたことなかったんだよね。
今みたく、柔らかに謝ったり…………
薄 氷 で押し殺してきたんだろうなあ……)
と、ひとつ。
(────うっ。ってことはわたし、おにーさんの地雷を踏みぬいたのでは……!?)
瞬時にひっくり返して顔を固める。
裏を返せば《めったに怒鳴らないエリックを怒鳴らせた》のが自分であると気づいたのだ。
彼を知る人物からすれば、『自分は相当な非常識女としてみられるのでは……!?』と懸念が沸き起こるが────それは
ちらりと盗み見た先にいる、穏やかな彼に濯がれて行く。
確かに、あの時は大激怒していた。
けれど、そのあとは理解が深まったように感じる。
それはミリアだけが思っているのかもしれないが、エリックの様子も、前より少し穏やかになったようにも感じ──、安らかな気持ちの後、ミリアの中に湧いたのは、彼に対する心配だった。
(────うーん……この人、本当に大丈夫?
我慢すること多いんだよね?
それって仕事のせいってこともない?
お屋敷の仕事に、毛皮調査に、魔法の勉強までやって、あきらかオーバーワークじゃない?)
眉を寄せて目を向ける。
余計なおせっかいかもしれない。
けれど、気になるものは気になる。
先ほどの『疲れていそう』も、決して適当に言ったものではなかった。
気遣いも・我慢も・仕事も勉強も、基本的には疲れる。
それらが常の彼は、相当なのではないか──と推測するのだが、ミリアの中のエリックは『できる。疲れてない』と平然に首を振るのである。聞くまでもなく、当然のように。
(まあ『訓練の量や体力が違う』って言われたらそうなんだけど~……
だって君、プラス貴族との付き合いもあるんでしょ?
旦那さまに付いて、えーと、よくわかんないけど色々するんでしょ?
……想像しただけで『うぁ〰〰〰──』って感じなんだ、け)
「あ。」
「────?」
今までぐるぐると渦巻いていた葛藤もどこへやら。
それを思い出し、ミリアは唐突に声を上げていた。
(──そうだった。お屋敷で思い出した。聞かなきゃいけないことあったんだった)
──そう。言わねばならぬことがあった。
確認したいことがあった。
ミリアは、パッと消え失せた風魔法とともにすっ飛んだそれらはさておき、虚空に「ぽん」と手を打って一拍。
隣から、不思議そうにこちらを見るエリックに目を向けると、そのままの勢いで問いかけたのであった。
「ね、ね。そういえば、シャルマンダさんってしってる?」
「シャルマンダ?」
来週休みです




