7-2「ただしいラップの使い方」
それは、よく晴れた9月のある日。
どこまでも広がる平原の木陰で、簡易魔導書を片手に目を見開くエリックに、魔法使いミリアはにこやかに指を立ててこう言った。
「フィルラップとはですね〜。簡単に言っちゃうと『魔力防壁』です」
「……魔力防壁?」
簡易的な回答に、首をかしげるのは相棒のエリック・マーティン。魔力を宿していない男だ。
魔道の力を宿すのは魔道国家マジェラの民だけ。他国の人間は通常、魔具を介さずに魔道の力に触れることはできないのだが────
ひょんなことから隣国の王子『リチャード・フォン・フィリッツ』に押し付けられた『魔法教材エレメンツカード』をきっかけに、エリックはその垣根を超えたのである。
そんな彼に異国の教養を教えるのは『マジェラ出身の魔法使い・ミリア』だ。彼女は”基礎の基礎”。film wrapという術について、ゆっくりと口を開いた。
「そう。魔力の膜を体に纏うの。しゅぱん! って。 ぱりっ! って。」
「…………”しゅぱん”に、”ぱりん”……」
ミリアから出た『音のような言葉』に、じわっと眉間にしわを寄せるエリック。
この前からそうなのだが、時折、ミリアの口から出る『音のような言葉』は、彼にとって馴染みがないものであった。
幼き頃の教育係も周りの貴族もそのような言葉は使わないし、そもそも『音のような言葉』の概念がない。
エリックにとっては『聞きなれない言葉の羅列で動きを想像する』という、やや困難な授業展開なのだが、ミリアはお構いなしだ。
エリックが懸命に『音』と『魔力の膜』という単語を頼りに想像する傍ら、彼女は小刻みに首を振ると、
「あ、だからって他の人が触れても別になんともないんだけど。魔法由来の攻撃には反応するよ」
あくまでも『わかっているもの』として話を進める彼女。エリックがひそかに脳をフル回転させていることを知らず、記憶と解釈を頼りに口を開く。
「構築式はカードに聞いてね。その方が確実だと思う。フィルラップは『型』であって『エレメンツ』じゃなくて、要素は定義しないことが多いの」
(…………要素は定義しない……、うん、なるほど?)
「ふっふー♡ かの有名な『ジップ・フィル導師さま』が考案した生活術で、今やマジェラではなくてはならない暮らしの友……!
基本的には”包んで守る”便利魔法……!
掛け合わせるならウィンドが多いのです……!」
「────なら、別のエレメンツを纏うこともできる……ってこと?」
「頭の回転が早くてムカつくな?? できますけどね??」
瞬間的に飲み込み、追いつき、質問を投げたエリックに、ミリアは複雑な表情で答えた。
ご機嫌に合わせた指先もぎゅむっと握り、浮足立っていた足も停止状態である。
エリックが優秀なのは十分にわかっているが、こうも良すぎると複雑だ。
────しかし、ここで意地を張っても仕方ない。
ミリアは、ふんわりとした足取りをきりりと変えて、ふさふさと柔らかい草をしっかりと踏みしめながら、エリックに真面目な視線を送ると
「────そう。ウィンドを基本として、ウォルタもファイアもライトも纏える。
でも、ライトは全身発光して意味なさないし、自分も眩しくて堪らないからおすすめできない」
「…………ノームは?」
「相当上手くやらないと全身に砂が当たってめちゃくちゃ痛いよ。おすすめしない〜」
「……なるほど……」
ミリアの説明に、エリックは小難しそうに頷いた。
『音のような言葉』は理解しがたいが、全体を聞けば大したことはない。
────要は、『ノームは砂埃を纏うようなものだ』『相性を間違えると痛い目を見る』と言いたいのだろう。
フィルラップという魔法については定かではないが、軽く扱ってきたものでも『魔力流動』というものが存在する。それらの流れに従って砂が動くのなら、それは……目も開けられぬ状態になるのは、想像に容易かった。
そこまでを飲みこんで、エリックはミリアに、青く深いまなざしを向けると
「──つまり、魔力元素を停滞させるのではなく、魔力とともに流し続けながら膜として形を成し続ける……ってことだよな?」
「まあそっかな? とにかく、マジェラでは最初に習うの」
ど真剣な推察に、返るのは軽すぎる同意。
あまりにも軽すぎるそれに、彼が内心で(……軽いな)とボソる中、魔法使いミリアは祈るように手を合わせ、キラキラとしたまなざしを明後日の方向に向けると
妙に演技かかったスマイルで目を細め、
「とにかく何でも フィルラップ。
あなたを守る フィルラップ。
汚れを防ぐ フィルラップ。
犬も猫も フィルラップ。
これ、常識ね? OK?」
「……マジェラの犬猫は魔法が使えるのか……!?」
「真面目にボケるの止めてくれる?
そんなわけないじゃん、言葉のあやだし。
その場のノリだし」
彫刻顔で問うエリックに、ミリアは早口で言い返した。
瞬間的に巻き起こるのは(本気で言ってる?)という疑念だが、ミリアがジト目で観察しても『彫刻か』というほど顔が崩れない。
(────冗談かまじかマジでわからん)
エリックの、その『慎ましやかな待機モード』に、ちらり。
まなざしを送ってみるが、彼から返ってきたのは穏やかな相槌だった。
「うん? どうした」
「…………ううん、なんでも」
(…………おにーさん、わからん)
彼女の胸の内(もしかしたらわざと?)という疑念も浮かぶが、しかし、ミリアの目に、彼は『その表面に僅かな余裕が滲んでいるように感じる』ぐらいにしかわからなかった。
「────」
そんなエリックに、一瞬ちらりと目を向けて。
(────ま、いーや)
──ぱんっ!
さっと切り替えた。
そこにこだわっても仕方ないと判断したのだ。
強制的に変わった空気を加速させるようにミリアは息を張ると、
「とぉにかく! フィルラップは『とっても便利な生活術』で、『魔力防壁』で、この前みたいな遊び程度のやりとりなら守ってくれる便利術!
ちょっと熱かったり冷たかったりはあるけど、大体属性切り替えて消滅させたり弾いちゃったりするから、ぶつけても大丈夫。
ただし、殴られたり蹴られたりしたら普通に痛いし、剣とか槍とかをガードできるわけじゃないからね。普通にぐさーっとくるからね」
「……『物理攻撃には意味をなさない』……と?」
「基本的にはそだね。小さく『びちびち!』って当たってくるぐらいなら厚みと相性でこっちが勝つ。けど、それを超えるぐらいの力でやられたら無理。布一枚被せてるモンだと思ってくれたらわかりやすいと思う」
言いつつ、身振り手振りで話す彼女。
その脳内に浮かぶのは『普段フィルラップする時』だ。
洋服のすそ・汚れそうな場面・洗濯瓶のふた替わり、食べ残した料理の虫よけ。
ざーっと思い描くミリアは、それをそのまま言葉に出した。
「────あと『飛び散らないように包む』・『圧縮する』。
料理とかでも使えるよ」
「……料理?? ──えっ?」
至極当たり前の意見に返ってきたのは、エリックの驚いた声と顔である。
思わず顔を見合わせるミリアの目線の先で、まったく予想できないといった様子だ。
完全に戸惑っている彼に、ミリアは眉をくねらせ、中指と薬指のそろった『魔道の形』で手を広げると、
「鍋とか蓋の代わりにするじゃん?
卵と牛乳攪拌するときとか、飛び散らないように上にぺろって」
「────…………?」
「ねえ。料理作らない? 作るでしょ? 作るよね??」
「…………」
立て続け。
訝し気・信じられないと言わんばかりの顔をされ、エリックは────黙った。
言う彼女から感じる『え、しないの? 信じられない』な空気に口を噤む。
言うまでもないが、彼『エリック・マーティン』──
本名『エルヴィス・ディン・オリオン』は貴族であり盟主である。
料理などするわけがない。
当たり前だ。
しかし。
(────”料理”……!)
エリックは喉を詰めた。
いくらそれが『エリックのあたりまえ』でも、この空気。
『したことがない』などと言おうものなら
(…………軽蔑されそうだ……!)
と、ひとつ。
『自活力のない男だ』と認めるようなことを言うなど、彼のプライドが許さなかった。
瞬時に固めた頬、つぅ……と流れる一筋の汗を感じながら、ぐるりと考える。
彼は、エリック・マーティン。
真の名をエルヴィス・ディン・オリオン。
貴族の|矜持『プライド』と誇りをもって、女神の名のもとに。
自らの道を選んだ彼は、
ゆっくりと腕を組み、
右の手のひらで悩まし気に口元を覆うと、
────神妙な面持ちで
口を、開く。
「…………料理で食材が飛び散るのは、『物理攻撃』にならないのか……?」
「物理だけどぉ~~~!!
物理未満でしょっ! 物理! 未満っ!」
全力真剣の『焦点反らし』に、それは思いっきり跳ね返ってきた。
あっという間にすっ飛んでいった話題とミリアの反応に、緩む口元を隠す彼の前、
ミリアはブンブンと腕を振ると、半ばヤケクソ・キレ気味に言い放つ!
「かぜを! うまくつかうの!
かぜ! ウィンド!
フィルラップして! 内側で! こう、『しゅるるるるるぱぱぱぱぱぱびちちちちち!』って出来るの! そーいうものなの!」
「…………。なるほど、ね……」
怒り半分で述べる彼女に、エリックは神妙な面持ちを保ちつつ頷いた。
『神妙』を醸し出してはいるが、その口元は若干緩んでいる。
自分の『焦点反らし』に引っかかったのも面白かったが、彼女の言い分・態度がさらに笑いを誘って仕方なかった。
不思議と
ほろりほころぶ胸の内
彼は笑いを隠しながら
ミリアのハニーブラウンの瞳をちらりと盗み見たる。
その瞳には、いまだささやかな怒りが宿っているが
それすらもほころびの材料に、彼はすまし顔を貫きながら神妙に、
「──……ごくまれに君の口から出る『音のような言葉を用いた説明』は要領を得ないけど」
「なんだと」
「……マジェラの民々が我々の想像よりはるかに便利な暮らしをしているのは、解った。今まで、魔術というものを、道具を介してしか掴めていなかったが、やはり、『元』となっている術を知り、学ぶのは大きいよな……」
「…………」
(たまに言い方クッソ固いな、この人。旦那さまの口調が移ってるとか?)
しみじみと頷くエリックを前にして
ミリアは密かに首を捻る。
彼女は、少し前から『エリックの口調』がたまに引っかかっていた。
普段は滑らかに、砕けた口調で話すが、この前の『セタギャガ出現突発会議』の時といい、今といい、たまに『お堅い言い回し』が見え隠れする。
だからどうというわけではないが
ミリアの主観で『エリック』は
『自分のように気分に引っ張られ口調まで変わるタイプじゃない』と認識しているだけに、それらの口調は──
やや違和感として、彼女の中に残っていた。
────しかし。
「まあ、とにかくね?」
右手で口元を覆い、まるで探偵のような顔つきで沈黙するエリックの意識を、引き付けるように。
ミリアはスパッとした声を出すと、こちらを向いた彼に述べる。
「『本を読む』のはおうちでもできますが、『実際に使う』のはわたしが居ないところじゃダメだからね? 今やっておいた方が良いのではないでしょうか?」
「……それは、確かにそうだけど。
しかし俺としては、しっかり理解しておきたいんだ」
「それはおうちでやってください」
彼の意見をスパンと却下する。
困りトーンで言っても無駄である。
言い分はわかるが、家でやってほしかった。
そっけなく、わざと固い口調で言うミリアに
しかし、エリックは困った様子で眉を下げると、
「読んですべてを理解しろっていうのか?
さすがの俺でもそれは厳しいよ。ついてくれる師が欲しい。
今の俺にとって、それは君だ。
……ダメだろうか」
「家でやってください」
「……いいじゃないか。
なあミリア? 考えてもみてくれないか?
俺は、勉学はできるが魔道のことに関しては素人だ。
魔術を文章から嚙み砕き、理解するのにも時間がかかる。
しかし、君がいてくれる時ならどうだろう。
多少解らないところがあっても聞けば解決できるだろう? それは、俺の勉強の」
「わたしが。」
エリックの口から
滑らかに出てくるそれを、強めの一言でせき止め
ミリアは、じっ。とエリックを見つめ────言った。
「簡易魔導参考書をすべて理解していると思っているのか」
どーん。
「………………」
「────思っているのか。」
堂々かつ大胆に言い放ち、黙りこくる彼の問う気力さえ砕く。
────そう、これである。
ミリアは『簡易教科書』の内容をろくに理解していないのだ。
なのに『困ったら聞けばいい』とあてにされても困るのである。
それを内包していた『家でやれ』が通じない今。
彼女には、きっぱりはっきりと現実を述べるしか
道は残されて居なかった。
「──いいですか?
それわかってたら、わたしは今頃マジェラのエリート魔導師です」
「…………」
「導師様の元にお仕えしているか、王宮魔道士として働いてるかのどっちかです」
「…………」
「マジェラ導師・魔導士協会に仕え、キャリア・ソーサラとして日々──」
「────ああ、時間が足りないな。分裂したい気分だ」
「さらっと流さないでくれる? 無視しないでくれる?」
「自分の甘えに嫌気がさしただけだよ。気にしなくていい」
渾身のボケをさらりと流され、ミリアはぐりん! と顔を向け抗議の声を上げたが、そこにあったのは『心底『俺が愚かだった』』と言いたげなエリックの姿だった。
目の前で、若干疲れた顔で教科書に目を落とす彼に、ミリアは”ふぅ”と短い溜息を一つ。
そして、するっと彼の教科書を引き抜き、ぴしぴしと指を振りながら述べるのだ。
「『習うより慣れろ』だよ~。
別に読むなとは言わないから、読みながら操る練習したらいいと思う。
はい、カード構えて! まずは炎を『タイプ・”ボール”』で安定させるところから!」
特訓とは、地味の積み重ねだ。
華やかな成果の裏には、見えぬ『地味な努力』が存在する。
指輪とカードで呼び・具現化させた『力』を
暴発させぬよう・かつ意のままに操れるよう。
エリックは、揃えた指の先で
小さくぱちぱちと音を立てる火の玉に神経を集中させていた。
はじめは『なんとなく』ではあったが
指輪とカードが教え込む『構築式』と『感覚』に、
魔道の子ではない彼も徐々に慣れていく。
フィルラップで包んだ指の先
くるくるパチパチと回る火の玉に、圧縮の念を送りながら
ふと。何気なく口を開いた。
「────なあ、そういえば」
「?」
オリオン草原の樹の下で
目くばせをした先、水の玉を操り遊ぶミリアに、エリックは、思い出した問いを投げる。
「この指輪の宝珠って、色違いがあるのか?」
「色違い?」
──それは、リチャードの言葉から生まれた疑問。
彼の前では曖昧にした事柄は
マジェラの魔法使いミリアを ピタリと止めたのであった。




