6-16「国には国の 問題点」
「──リチャード。付き人はどうした」
「んあ? 撒いた」
「撒いた?」
「だって、自由になりたかったの」
「……”の”じゃないだろう。今頃大騒ぎだ」
「わはははは! かもしれないな! でも、うちのお付きは慣れたもんだと思うぜ? なんせオレは、逃げるのだけはガキの頃から得意だったからな~!」
「…………君の乳母はさぞ大変だっただろうな……」
ノースブルク諸侯同盟・オリオン領。
アルタモーダ地区の『サン・タレア通り』
王室貴族階級レストラン『エーデル・レストランテ シュパリエ』の中。
からりと笑うリチャードに、エリック──いや、エルヴィスは呆れをまぶした息をこぼした。
ノースブルク諸侯同盟 盟主『エルヴィス・ディン・オリオン』は、アルツェン・ビルド公国王子『リチャード・フォン・フィリッツ』と、突発会食の最中にあった。
頭上に光るシャンデリア。
彫刻細工の施された内装。
二人にとっては『慣れた雰囲気』の中、囲むテーブルの上に並ぶはフルコース。
シルク・ラビットのミートパイ
タヴ・ポークのソーセージ
丸ごとオニオンのコンソメ・スープ
エルズモック産の紅茶に
ヘイムナッツと高原レタスのサラダ────
──と、この辺りの『一級コース』を眼下に、エルヴィスは金色のスープにスプーンを沈めると、目だけでリチャードの様子を伺う。
ロイヤルスクールの学友・リチャード・フォン・フィリッツは昔から『活発で知恵のある男』だ。そして、飄々からりとしている男でもあった。
実際、ミリアと別れてからここまで、『何の用だ』とジャブを投げたがのらりくらり。全く答える様子がない。
その様子に疑念も苛立ちも湧くが、相手は同盟国の王子である。邪険にするわけにも、袖に振るわけにもいかず、とりあえず用意できる店を用意した。
しかし、食事を始めても、リチャードは機嫌良く飯を食らうだけ。中身のない世話ばなしを続ける王子に、まさか『道端で見かけたから声をかけただけ──なんてことはないだろうな』と疑いつつも
エルヴィスは、コンソメオニオンスープをひとくち。
口の中に広がる繊細な野菜の旨みを喉の奥に、じろりと目を向けた。
「…………で。なんだ」
「きっげん悪いな~……そんなに怒ることないだろ〜?」
「────『仮にも』。
『王子の立場の人間が』。
『こんなところで護衛もない』なんて『ありえない』だろう」
「そりゃおまえさんもだね、エルヴィス。おまえさんもフリーだ」
「国内だ」
「知ってるかぁ、エルヴィスぅ。
オリオン様の統括するこの国は、うちの王子が治めている国より、ずーっと安全なんだぞぉ?」
ゆるゆるたらーんと言いながら、リチャードはダヴ・ポークのソーセージをぱくり。むしゃむしゃ口を動かしつつ、憂いを纏わせフォークを下げて肩をすくめる。
「──『自国を歩き回るより他国の方が安全』って、皮肉だねぇ。なあエルヴィスぅ」
「…………」
ため息混じりの言葉に、エルヴィスは口を閉ざした。
────エルヴィスは、こういった場合の対処が得意ではなかった。
『できている側が』
『できていない側に』
『こぼされた時』
なんとも言葉を返しにくい。
下手をすれば怒りを買うこともあるのだ。
瞬間的な対応に困り、陶器の表情の下、返答に迷うエルヴィスの視界の中
リチャードはおもむろにナイフを摘み上げ、質を確かめるように見つめながら、口を開く。
「────食事も飲食店も、ノースブルクは質が良い。さりげなく用意されているが~、これ、『ヌイヴィレ刻印のカトラリー』だろ?
で、こっちは『エイバリー産の皿にカップ』。
このグラスは『リ・リー地方のリンヴェルグラス』ときたモンだ」
『はぁ〜っ』と、息をこぼしながら、ひとつひとつ。
ぱりっと滑らかな真っ白なテーブルクロスを撫で、もうひとつ。
「────それに、シルクメイルのテーブルクロス。
どれをとっても一級品。
…………まーったくもって羨ましいね」
「……支配人に伝えておこう」
「これを客に用意できる治安が羨ましいんだよ、わかってるだろ? アルツェン・ビルドじゃあこんなの、あっという間に盗られちまう」
「…………アルツェン・ビルドは相変わらずか」
食事にため息を振りかけるリチャードに、エルヴィスは神妙な面持ちで問いかけた。
アルツェン・ビルドの治安が芳しくないのは周知の上だ。
北がラカゴ海域に面しているアルツェン・ビルドは、昔から海賊や北方隣国の脅威に脅かされてきた。
当然、漁師も国民も、それに対抗すべく屈強になっていく。
それらは兵力増強にも繋がるが、同時に気性の荒い者たちが集う結果になり、乱闘や盗難騒ぎなど日常茶飯事らしい。
国の特性として、悩みはどこも抱えているものだが
治安の良さは三国連盟一を誇るノースブルクの盟主は、アルツェン・ビルドを慮りつつ問いを返すのが精一杯だった。
そんなエルヴィス盟主の内心を感じ取ったのか、リチャードは新緑の瞳を丸め、ひょいっと肩をすくめると、高原サラダにフォークを刺して言う。
「──…………気候か国民性か、変わらないね。
海賊上がりは言うことなんか聞きやしない。
親父はどーやってまとめ上げてたんだか」
「バルド様の手腕は、父から聞いていたよ」
「…………親父の代からそっちの騎士魂入れてくれりゃあよかったのに。
ノースブルクの騎士の統率力が羨ましい、あれぐらい実直になってくれりゃあ苦労せんのだがなあ~」
「……その代わり、屈強な兵を有しているだろう」
「まーなあ。ナガルガルドが『西からの盾』になってくれてるとは言え、兵力を疎かにするわけにはいかんからなあ~……」
宙を仰ぎ、ため息を空に散らすリチャードに対し
悩ましげに息を落とすのはエルヴィスである。
右手のナイフもぴたりと止めて、奈落の瞳に悩みを宿してぼっそりと、
「……その点、うちは攻めに弱いのが悩みだ」
「守りは屈強だろ? ダルファム要塞なんて、落〜とせる気がしない。なんだよ『この前の演習』。鼠一匹入り込む隙もなかったぞ?」
「……落とさせはしないさ。うちが落ちたら、ネミリアの聖地も取られてしまう。
……それより、早く食べたらどうなんだ。
せっかくの食事が冷めてしまうぞ」
ふと、我に返り一言。
全く食事が進んでいないリチャードに、物申した。
さっきからこの男、口は回るが手が止まったままである。
まちなかで捕まえてきた割には、肝になるような会話をしてこないリチャードに、内心。
(まさか本当に声をかけただけか?)
と抱いていた疑念が確信に変わり始めた頃、
リチャードは、ふと、思い出したかのように目を見開くと、
「──で、だーれだよ? さっきのあの娘は〜?」
「…………」
問われ、眉間に皺。
前のめりのそれに、一拍。
すぐさま適切な言葉を返す。
「…………関係ない」
「愉快そうなお嬢さんだ」
「興味を持つな。忘れろ」
「どんな関係だ?」
「興味を持つな。何度目だ?」
「覚えてないね」
「しつこい男は嫌われるぞ」
…………ふん〜…………
隙も見せずに切り捨てるエルヴィスの耳に、リチャードの心底つまらなそうな音が届いた。
しかしそんな彼に、エルヴィスは呆れ色を載せて、じろりと一瞥。 リチャードは変わらず、顔・態度・全てで『なーんだつまんねぇ』を訴えかけているが────
エルヴィスはそれを黙殺し、眉根を寄せて高原サラダにフォークを刺す。
────正直。
最近『この手の話題』が多い気がするのだが、気のせいだろうか。
(…………スネークといいオリビアといいコイツといい……なんで他人の人間関係に興味があるんだ、迷惑なのがわからないのか?)
呟きながら表情を研ぐ。
思い出しながら不服を滲ませる。
噴き出す嫌気に、人相が悪くなる。
(…………任務で必要だというのなら、わかるけど。
まったく意味がわからない。
俺のことなど聞いてどうする)
と、今度はミートパイをひとくち。
シルクラビットのしっとりとした肉を噛み締めて、わずかな苛立ちと共に飲み込む彼は────忘れている。
彼も彼とて、『『他人の人間関係』に言葉を挟んだことがある』ということを。
ほんの少し前。
『ビスティーに現れたコルト』に不信感を抱き、相棒のミリアに対して『誰だ』『なんのために』『どうして君が食事を作った?』と捲し立て詰問しているのだが────
今現在彼の中、それとこれは結びつかなかった。
『とにかく自分が詮索される不快』を感じながらも、
『ここで苛立つな』と感情を飼い潰す彼は、次の瞬間。
自身の左手・黒い手袋の下の『マジェラの指輪』を透かして見──その話題を振った。
「……時にリチャード」
「んあ? なに?」
「……この間貰い受けた『カード』についてだが。
付属品があったはずだ。それはどうした?」
言葉を選びながら、問いを投げる彼。
──そう。もとより『マジェラのカード』は、リチャード・フォン・フィリッツがマジェラの商人に貰い受けたものである。本当ならば『指輪とセット』のカードは、あの日、カードだけを渡され、指輪はその存在さえ伝えられなかった。
ミリア曰く『あれだけあっても使い道ない』とのことだったが、行方知れずは気持ちが悪い。
────マジェラの商人が抜いて献上したのか。
それとも、リチャードがどこかにくれてやったのか。
疑問はずっと、エルヴィスの中に残っていた。
(…………もし、あれが有識者のものに渡って、その使い方を間違えれば……危険なものになる)
と、胸の内。
静かな目配せで答えを待つエルヴィスに、答えは軽く返ってきた。
「商人に聞いたのか?
あれなら、ディオナにくれてやったよ」
「……ディオナ……、妹君か」
聞いて、ふわっと漂う小さな安堵。
数年前あいさつを交わした、幼い姫を思い浮かべるエルヴィスに、リチャードは表情を明るく綻ばせて頷くと、
「そう! 大層喜んでなあ! 『あにうえ~、ありがと~!』って。宝石が白かったのも良かったみたいでなあ、喜んでるよ!」
「────”白”?」
────瞬間。
おうむ返しに問い返す。
思い描くのは、左の手袋・黒き布の下。
毎日見ているその宝玉は、白ではなく
触るのさえ躊躇われる
『鮮やかな橙』だ。
(…………白?)
意外な場所から飛んできた、色の違いに。
エリックは、ぴたりと動きを止めたのであった。




