615.1「でざいんがいい」
ウエストエッジ・高級店街『サン・タレア通り』。
名前も知らぬ高級店の壁、張り替えられたばかりのそれにミリアは『あ……!』と浮足立った声をあげた。
目に飛び込んできたのは、”貼られたポスター”。
モデル『オリビアとリック』の新作である。
釣られて止まるエリックを視界の外に、いそいそと近づくと
「──わ……!
オリビアとリック……! 新作出たんだ……!」
「…………ああ、まあ。そうみたいだな?」
ハニーブラウンの瞳を輝かせながら『推しの新作』に弾んだ声をあげるミリアの、その後ろ。
打って変わって微妙な返事をしたのは、エリックだ。
正直、彼としては立ち止まってほしくなかった。
────覆面モデル『ココ・オリビア』と『リック・ドイル』は、飾産業が要の街を支える広告塔で、この街のスターである。
年齢不明・本名不明・所在不明の『絵画スター』。
その姿は妖艶でいて華があり、どんな衣装でも彼らにかかれば一流に見える。
────と、
いうことになっているモデルの片割れは
彼本人だ。
エリック──いや『リック・ドイル』。
この街の盟主であり、モデルの彼は内心舌を巻いた。
『オリビア・デュ・グロスタ―ル伯爵令嬢──『ココ・オリビア』と共に撮った渾身の『恋人風ピク』を相棒に覗き込まれて』。
ぶっちゃけ、撮ったときは『どう映るんだこれ』と内心仏頂面だった。こんな仕上がりになるとは思わなかったし、それに初めて遭遇したのが『今』というのもそうだが、正直『よりによって』である。
(…………──う)
彼女の姿勢に、思わず『気まずさと恥ずかしさ』が吹き出し口元を覆う。
心の声すらなく、ミリアの少し後ろで黙り込み頬を固める。目の前でじぃっと見られるのは、むず痒くて仕方ない。
毎度のことではあるが、『新作が貼られ視界に馴染むまで』の僅かな期間は、エリックにとって居心地の悪い時期だ。
そこら中に張り巡らされた『新しい絵』。道ゆく人の視線。
他人の視線には慣れているが、ポスターという『自分のペルソナ』はまた別である。
それに慣れるまでが慣れないというのに。
(…………見過ぎだろ)
本人も慣れぬそのポスターを目の前で覗き込む彼女に、思わず小さく唸りながら目をふせる。
『ああ、早く立ち去りたい』
────だが。
「ねえねえ、このさあ」
無遠慮な声は、ミリアから飛んできた。
「覆面モデルさんたち、目も隠れてるじゃない? 撮ってるとき危なくないのかな? どう思う?」
「────え──と」
問われ、小さく煮え切らない声をあげる。
しかし彼女は容赦がない。
高級ショップの壁に貼られたポスターに近寄り目を皿のようにしながら、ぴしっと指をさして、述べるのである。
「直前まで顔出しして、ポーズ取ったら隠してるのかな?
ってかコレとか、ポーズギリギリっていうか、距離ヤバ……!
ドキドキしないのかな?」
「…………さあ。どうだろう」
「ひとりが目隠しで、もうひとりがリードするとか?
やっぱリックがやるのかな?
この距離やばくない? くちびる近……!」
「………………」
構わず観察するミリア。
エリックが喋ろうが黙ろうが関係ない。
なにしろミリアにとっては『推しの新作』である。
興奮こそ前面に出してはいないが、来季の着こなしや雰囲気・推しの姿はガン見したいに決まっていた。
「せくし〜……すごぉい……恥ずかしくなかったのかな〜……?」
「……………………」
「まあ、わたしモデルの裏側知らないんだけど〜。
わ。ねえねえ、これとか後ろ花畑ある……!
花畑まで行って撮ったのかな? 凄くない……!?」
「………………」
「この辺の花畑っていうと、オリオン邸の敷地内にあるとかないとか聞いたことあるけど、そこなの?」
「…………いや」
「許可とか必要だったのかな?」
「…………そこは、」
「あ。範囲外? そもそもオリオン邸じゃないかもしれないもんね〜」
「………………」
アルタモーダ地区・サンタドレア通り。
『推しをガン見したいファン』の『無惨な疑問攻撃』に
ただただ黙秘を貫く『モデル本人』(ついでに盟主本人)。
やりづらい。
やりづらくて仕方ない。
ああもう、黙る以外、どうしろと言うのだろう。
エリックは内情を知っているどころではなく、本人だ。
『どのように撮った』『これはこうした』などすべて説明できてしまう。
『恥ずかしくなかった?』にも答えられてしまう。
────が。
(────言えない)
胸の内で呟き、唇に力を入れた。
今何かを言えばボロが出そうで仕方なかった。
────別に
ここでミリアに『これは俺だよ』とカミングアウトしても、モデルの契約上・問題はない。
むしろ、内密にしておきたいのはモデルたち本人の方で、広告としては転写魔具に魂を吸われる危険さえなければ顔を出したいのである。
ただ。カミングアウトしたとして。
そのあと、なんになるのだろうか。
エリックから見て
ミリアの反応は『リックが好きで好きで仕方ない様子』には見えない。
今もしげしげとポスターを覗き込んでいるが、『うっとりして仕方ない』と言うより『疑問で溢れている』『興味本位』な様子。
『一番出にくい』パターンである。
(…………言ってみるか?
『俺だよ』って?
…………いや、してどうする)
自問自答で首を振る。
仮に、暴露したとして。
彼女がすぐに信じるとは思えないし、真顔でスルーされるのがオチかも知れない。下手を打てば嘘つき呼ばわりされるかも知れないし、冷めた眼差しを受けるかもしれない。それになにより、特別視されるのはごめんである。
(────いや、カミングアウト?
馬鹿か俺は……、してどうするつもりだったんだ?
恥ずかしさを処理したいのか? なぜ?
────耐えればいいだろ、見られるのはいつものことだ)
と、静かに結論付けるオリオン盟主だが、もはや思考は羞恥心の迷宮である。
見られたくないものは見られたくない。
しかし、不自然に気を引くわけにもいかない。
(『ほら、早く行こう』と言ってみるか? それとも『もういいだろ』? いや、怪しまれないか? ならば、俺も覗き込んでみるか? いや、自分なんて見てどうする……)
と、正体を隠しているが見られたくないエリックの傍、
「うーん、見事に隠れてる〜〜〜」
ミリアはガン見だ。
容赦がない。推しの新作にど真剣である。
「顔のデザインが整ってる以外何もわからない。
これじゃあその辺歩いててもわからなそうだね~……」
「……ああ。そうだな?」
「ううん、この辺に住んでるのかな……?」
「さあ、どうだろう」
「………………うーん…………」
…………じぃ〜────……っ。
「────な、
なあ、ミリア? もう行かないか?」
「ねえねえ。ほら見て?
リックの髪の色が暗いのはわかるけど、オリビアは淡い色としかわからないもんね。これ、その辺歩いてたらわかる? おにーさんはわかる?」
「…………あー~……、えーと」
「金髪? 淡い栗色? うーん……何色だろう?」
「────その」
「…………しっかしデザインがいい……かわいい……」
「…………〜〜〜…………」
エリックはうなじを掻いた。
限界だ。くすぐったい。
恥ずかしくて仕方ない。
彼は溜まらず口を開いた。
内心は読まれぬように、しかしぎこちなさの残る声で。
「あー…………その、ミリア?」
「……うーん、絵になるよね〜……はああ、デザインがいい」
「ほら、疲れてるだろ? そろそろ行こう?」
「リックはさ、暗めの髪色で”ピシっ!” とした感じなのはわかるんだけど、オリビアは……髪の色も微妙だね? 明るい色としかわからないね? 金? 薄ブラウン? シルバーかな? わからない、わかんない……!」
「────なあ、
その、だから、
えーと。
もうその辺にしないか?」
「覆面が邪魔〜!
でも、覆面ありきの『モデル・覆面……!」
「……まじまじ見るものでも無いだろう?」
「新作だよ? 見ないでどーするの」
「…………はい。」
スッパン! と言われ、力無く頷いた。
完全にノックアウトである。
言ってることは向こうの方が正しい。
ぐうの音も出ない。
そもそもモデルのくせに『見られて恥ずかしい』と思う気持ちが湧く方が変なのだ。
見られるのが仕事。
見せてなんぼなのに、吹き出してしまうものに負けてしまうとは。
(────あー、ポスター一枚になに惑わされてるんだ、俺は……!)
と、内部葛藤で頭を抑えるエリックをほったらかしに、ミリアは、
『ほうほう、着こなしはこんな感じ……、
色がわからないの痛いなあ~
しっかし、このポーズ凄っ……
こんなに接近して大丈夫なのかな?
……ううん、どこをどう見ても覆面が邪魔して顔がわからない……、そしてデザインが良い……』
夢中に『オリビアとリック』を見つめ呟くミリアに、ひとつ。
小さく、小さく、
諦めに似た息を吐いた。
(…………ミリアは、着付け師だ。
チェックするのは当たり前だろ?)
と、自身を窘める彼。
そうだ。
────自分が、『エルヴィス』が。
周辺諸国の情勢や内政を逐一把握しているように。
『エリック』が、まずは相手の情報をかき集め、あらかた把握するように。
場所に置いても、その間取り・構造・逃げ道・仕掛けまでを読み取るように。
ミリアは、変わりゆくトレンドや服の形をいち早く掴み、掴んでおく必要がある仕事に就いている。そして、それが好きな女性だ
(…………”見るな”と言う方が、無茶なことだよな)
自身にやや辟易としながら
眉をくねらせうなじをガリガリと掻き、腰に手を当て自答する。
────そもそも、『恥じらい』などという感情を
自分で処理せず、エゴを通すのは、身勝手というものだろう────
そう結論付けて
彼は、前かがみに覗き込む彼女の隣に立った。
気持ちはもう『恥じらい』ではない。
穏やかに『参った』を隠しながら、彼女と同じようにポスターを覗き込み、やさしさの帯びた声で言うのだ。
「────オリビアとリックは、好き?」
「うん、かっこいーよね。……これに……!」
レスポンスは素早くはっきりと。
問われ、大きく頷き、次の瞬間、ミリアはぴたりと停止した。
(…………これに……っ……!)
言って思い出す。
カリーナの顔とチケット。
吹き出す興奮。
握りしめるポシェット。
唇を内側に巻き込み、背を丸め、そして彼女は────
(────これに……こんど。
会えちゃうとか。
見れちゃうとか。
信じられないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!)
顔のパーツすべてを絞って絶叫したのであった。




