6−17「貴族じゃないんだってば!」
信じられない言葉は、信じられない人間の口から飛び出した。
「ミリア~! あたし~!
サヤン・トランテにいきたいのぉ!」
「さ、サヤン・トランテ!? サヤン・トランテって言った!?」
高級オートクチュール・アビーネの店内。
エリックが女性店員と貴族モードで接するのを視界の隅に、ミリアは動揺で言葉を繰り返した。
ミリアが動揺するのも無理はない。
『サヤン・トランテ』。
恋人同士・または男女二人のペアでしか入店を許されない高級レストランだ。
『ドレスコードはお二人で』が原則であり、例えいくら金を詰もうが『おひとり様』では入れない。三人でもNG。四人組なら、二手に分かれるのがルールだ。
貴族が会食や祝い事で使う、さらに上流の『エーデル・レストランテ』とはまた違い、カップル専門に突出しているレストランをそう呼び、根強い人気を誇っている。
近年、婚姻率並びにカップル率も降下の一途を辿っているが、『そこに入りたいがために相手を捕まえる者たち』のおかげで経営が成り立っているようである。
──そんな
『カップル専用ペアレストラン』に。
『男嫌いのカリーナが』『入りたい!』とは
(──こ、子ども用のコルセットに男のひとが入るぐらい無理じゃない……!?)
と、決して口には出せない失言を飲み込むミリアの前で、カリーナはその瞳に輝きを乗せて言うのである。
「────そ~の『チョコヴェル・プレッツェル』! サヤン・トランテでしか食べられないのよ~……!」
「……あ、ああ、えーと?」
「サヤン・トランテでしか! 食べられないの!」
「そ、それはわかったんだけど!
でもあの、『サヤン・トランテ』って、カップル専門のところでしょ?」
「そ~う!」
「………………」
(…………それ言われても困るし……)
形だけは頷きながらぎゅっと黙った。
ミリア・リリ・マキシマム。
恋人いない歴24年。
生粋の『シルクメイル産の服オタク』のミリアに、そんなことを言われてもどうしようもない。
(……遠い異次元の話をされても困るんだけど……?)
と、ぐったりげっそり力を抜くミリアに、しかしカリーナは止まらない。ミリアの両肘を掴み、わっさわっさと上半身を揺らしながら訴えるのだ。
「ミリアぁ〜、あたし、食べに行きたいの〜」
「……え、あ、ちょっとまって。
……『恋人が欲しい』ってこと? 男のひときらいだよね?」
「嫌いよぉ~! でもチョコヴェル・プレッツェルは食べてみたいの〜……!」
「でも、食べるのには恋人必須……なんだよね?」
「そうなのぉ~!」
「…………んー…………」
言われ。
考える。
(……これは、今……
『行きたいよねー!』を言うべき?
それとも、解決策を提示するべき……??)
と、虚空に選択を浮かべたミリアは、
『思いつく可能な解決策』を提示すべく
すっ……と指さし、
「………………エリックさん、使う?
たぶんそういうの得意だと思う……
貸そっか?」
道具感覚で言い放った。
仮にも彼はこの国の盟主でありトップモデルなのだが、知らぬというのは恐ろしい。
オリオン家のものが聞いていたら、顔面を紅に染めて斬りかかってきてもおかしくない提案が飛び出したが、しかしカリーナの表情は芳しくない。
「────あのね? ミリアぁ~」
カリーナは、『わかってないわね』を醸し出し、がしっと肩を持ち、ハニーブラウンの瞳を覗き込むと、
「──外見のいい男は~ぁ。
遠くで見てこそ
価・値・が・あ・る・のぉ~。
近くに行くのは
イ・ヤ・な・のぉ~!」
「…………な、なるほど〜……」
力強く堂々と言われ、ミリアは表層だけで相槌を打った。ぶっちゃけ『いい加減にしろ』である。
(カリーナ……それは……
ワガママというやつでは……
せっかく提案したのに……
…………な、なんだかなぁ、もぉ~……)
自分以上にマイワールドを繰り広げるカリーナに、ぐったりとした疲労感を抱えつつ呟いた。
ああ、今にでも壁に寄りかかりたい。
地味に疲れる。
みるみる気力が減っていくのがわかる。
カリーナという人間が苦手というわけでは無い。『接客以外で、ノースブルクの民を偽りながら、それらしく交流を続ける』のは、普段の倍以上、気も頭も使うのだ。
そもそもここには、ボアとショールの値段の件と、エリックという新人スタッフの紹介としてやってきたのである。
それが終わった現在、もうここに用はない。
(────はやくかえりたい)
────しかし。
「ねえねえ! なんとか考えてぇっ!?
あたしチョコヴェル・プレッツェルは食べたいの!」
「そ、そー言われても……!」
「じゃ~あミリア♡
あのエリックとかいう男と一緒に行って、テイクアウトしてきてぇ~♡」
「いやいや、だって貴族さま御用達並みの金額取るところじゃん……!
そんなの無理に決まってる……! あのひと、貴族でもなければ恋人でもないんだよ……!?」
無理難題に首を振る。
ちらちら気を配りながら首を振る。
『聞こえたらどうしよう』を抑えつつ首を振る。
しっかしカリーナはしつこいのだ。
両手を口元に当てて、ミリアに詰め寄り口を開く。
「うぅんっ! だってさっき『得意そう』って言ったじゃな~い?」
「…………それは『カリーナが行くならたぶんやってくれるよ』って話で……! わたしが行くのは違うじゃん……!」
「あたし、男嫌いなの。いいじゃなぁ~い。顔はいいんだしぃ~」
「顔はいいけど貴族じゃないんだってば……!
わたしもお金ないし……!」
「奢って貰えばいいでしょぉ~?」
「そーじゃない、そーじゃなくて!」
ひそひそアセアセ。
切羽詰まったミリアは、次の瞬間、
”すぅっ”と息を吸い込むと──
「────だから」
────ぴしぴしぴしぃっ!
「あの人、お金持ってないから無理だよっ!」
「…………ん?」
精一杯潜めた声に力を入れて。
叫ぶように言ったそれに、遠くから声がした。
視界の隅で動いた黒い髪。向けられた視線に気がついて、ミリアとカリーナが”ばっ!”と目を向けた先。
「──ミリア? 何? 呼んだ?」
「ううううん、呼んでない呼んでない!
お話中ですので! お話をお楽しみください!」
貴族モードのまま、にこやかな笑顔で首を傾げるエリックに、ミリアは高速で首と手を振り、カリーナは勢いよくミリアの後ろに入り込む。
エリックから見れば明らかに挙動不審だろうが、彼は気に留めなかったようだ。ミリアの返答に小首を傾げた彼は、すぐさま目の前の女性店員に視線を戻し話し始める。
そんな様子に、ミリアが”ほっ”と胸を撫でおろした時────……
「────くっ……、くぅ……!
きゅう~~~~~~~~~~っ……!」
(────”く、きゅう”?)
何かを。
我慢したような声に 一瞬。
脳みそが止まる。
理解の追いつかないミリアの背中に『服をぎゅっと引っ張る力』を感じつつ
彼女はおそるおそると振り向いて────
「…………え。あの……
かり──……な……?」
「────ひ、ひきょうよっ!
あのおとこ、あたしを、あたしを落すつもりよっ! なによあいつ! いくらあたしが可愛いからって、きゅう……っ! きゅうんっ……!」
(───”きゅ、うん”?)
耳まで真っ赤にしながら怒るカリーナに、脳が追い付かない。
視線の先
肩越しに飛び込んできたカリーナは
眉も釣りあがっているし、
服は皺になるほど握っているし、
思いっきりこちらを盾にしているが、
その顔は──どう見ても『気持ち悪いと嫌悪している顔』ではない。
(────か、かり────な……?)
思わず目を点にして呆けるミリアを置いてけぼりに、当のカリーナはというと大興奮(乱)である。
ミリアの肩をぎゅうぎゅう握りながら、耳元で、鼻息も荒く、
「確かにあたしは特別な女だけど! そうはいかないんだから!! なによ、あの流し目ずるいわよっ!? ねえ、エリックさんって言ったかしら!? ねえミリア!?」
「……えりっく・まーてぃん……サン」
「ヤダヤダ汚れる、もう! 見ないでよっ! しっしっ! 見ないでって伝えておいてくれる!?」
「……えりっくさん……、もうこっちみてないけど……」
「ああっ! おぞましいっ! おぞましいったら、もう! エリックってばズルい! ずるいわ! ずるいぃ!
…………もぉん! キュウっ~~~!!」
「──────………………ウン…………」
『まったく』
『これっぽっちも』
『ミリ単位も』
整合性の取れていないカリーナに
ミリアは
顔のパーツすべてを殺した。
そして、思考停止の脳ががっくりと呟くのだ。
『今までの愚痴はなんだったのか……?』と。
(───カリーナ────
ねえ、男嫌いって嘘だよね……?
ほんとは大好きだよね……?
こじらせてる系……?
こじらせてる系だよね……?)
まるで何かと交信するかのように虚空を見つめ、虚無を放つ。
(…………”きゅうん”なんて
口に出してる人初めて見た……
あれって
恋愛小説や
娯楽の擬音だけだと思った……)
心の中に広がる、表現しがたい疲労感と悟りを開いたような感覚に、表情からなにから全てを────
のっぺりとまっさらにする。
(────よのなかって ひろいよね、うん。
ひとって、いろいろだよね、うん)
完全なる現実逃避の中。
明後日の方向──アビーネの豪華な天井を見上げながら。
悟りを開くミリアの脳に、ふと
『我に返る話題』が舞い降りて、
ミリアは素早く目を見開き────
「……そういえばカリーナ。
さっき『ちょうど良かった』って言ってたけど……、あれってなんだったの?」
さらりと問いかける。
必殺『すりかえ流してしまえ作戦』である。
すっかり忘れてしまっていたが、カリーナは開口一番『調度良かった』と駆け寄ってきたのだ。ここで舞い降りた『話題』を使わずして、いつ使うというのだろうか。
ミリアの問いかけに、カリーナは”ぴたん”と両手の指の先を合わせると、
「そうそう! 忘れるところだったわ♡
『あれ』手に入ったわよ♡」
「『あれ』って?」
「んもう~♡ あれはあれよぉ♡
ミリア、行きたがってたじゃなぁ~い♡」
「………………………………」
『ふふっ♡』と笑うカリーナの顔を見つめながら、ミリアは思考をめぐらせて────
(──────あっ。)
思いついたそれに、瞳が輝いた。
────瞬間。
心が躍る。
全身の血が巡り、心臓が早まるのを感じる。
(────え……)
小さく小さく呟いて、
彼女は食い気味に距離を詰めると、
「…………マジで!? ほんとに!?」
「ん♡」
躊躇いのない肯定に、ミリアの中。
興奮が駆け巡り────……!
(…………うそ……! 信じられない……!)
「カリーナ……! ありがとう愛してるっ!」
「きゃ!
……もう、ミリア、抱きついちゃダメよ〜♡
ここ、フロントよ〜?」
「ごめんごめん、だって……!」
言われ、ミリアは細やかにフルフルと首を振った。
両掌は自然と口元を抑え、肩に、全身に力が入り、言葉にならない。
そんな彼女に、カリーナは
胸元から『ぺらり』とそれを出して、囁くのである。
「──楽しんできてね♡
『カルミア祭 オリビア&リック』のパレード♡」
「────…………はあ~……疲れたあ……」
九月の初頭。
ウエストエッジ・高級店街。
アルタモーダ地区『サン・タレア通り』。
オートクチュール・アビーネを後にして、しばらく。
軒を並べる高級店を通り過ぎながら、ミリアは大きく息を付いた。
げっそりとくたびれた様子の彼女に、不思議な顔をするのはエリックだ。
彼はアビーネでの様子を思い浮かべつつ首をかしげると、
「疲れた? ずいぶん楽しそうに話していたと感じたけど?」
「イイデスカ、おにーさん。いろいろね? あるの。
気もね? 使うの。
同業他社じゃん? いろいろあるの」
間髪入れずに戻ってくる返事。
『あのね? 聞いてくれる?』と言わんばかりに小首をかしげ、綺麗に手のひらを空に向ける彼女は、きちんと中指と薬指を着けて述べる。
そのしぐさに、しみじみ(染みついているんだな)と『マジェラの教育』を実感するエリックは、そのまま、素直な疑問を口に出した。
「カノジョは友達じゃないのか?」
「……カリーナ? ……うーん……”友達”……?
『仕事関係の知り合い』……かな?」
ミリアは唸りながら首を捻った。
どうやら『友達』というには懐疑的なようだ。
「ん~。
変わってる人。嫌いじゃないよ。
でも、仕事関係だから。
あくまでも『ビスティー』として話してるよ〜
疲れたよ〜……」
「へえ。それは意外だな。仲が良さそうに見えたけど」
「うん。仲悪くないと思う。
悪くはないと思うけど『友達』と言われるとどうなのかな……?」
言いながら、宙を仰ぐ彼女の横顔は少々困っている。
「──社会人になるとさ、そういうの難しくない?
ほら、わたしマジェラからきてるし。
わからない話も多いから、距離感うまく掴めなくて」
「……うん」
「友達っていうより”同業者の知り合い”……? になるのかな。プライベートのことはあんまり知らないんだよね、お互い。
でもお互い『言ったこと』はよく覚えてて、次の時に『そういえばアレあったよ』とか言ってこう……そうする、みたいな?」
「……ふうん?」
「大切な人脈です。
あっちがどう思ってるかはわからないけど、人脈は大切じゃん?」
「まあそうだな?
人脈はあって損する物じゃない」
「でも、『色々』がバレない程度に。
深入りしない程度に、ね?」
「──フ! 解ってるじゃないか」
言いながら肩をすくめるミリアに、エリックは吹き出した。
二人、肩を並べて行くサン・タレア通りは、外歩き用のドレスに身を包んだ婦人や、高級スーツに身を包んだ紳士が行き交っている。
慣れない人間なら、場所に萎縮していたかもしれないが────二人はあまり気にならなかった。
背景の『高級』を背負いながら、ミリアはいつもの調子ではちみつ色の目を向けると、
「おにーさんもあんまり『深入り』好きじゃないよね〜。この前の結婚の話といい、なんかそう思った」
「……まあな? あまり詮索されたりするのは好きじゃないよ。
わかっているかもしれないけど」
「────ふふ、”ドライ”って言われない?」
「ああ、よく言われる」
「一緒であります」
「……そう?
そうは感じないけど。
でもまあ、それなら相性はいいのかな。俺たち」
「かもしれない〜」
目配せしながらクスッと笑いあった。
穏やかな雰囲気が作り出すのは、次の話題だ。
ミリアは歩きながら問いかける。
「そっちは何聞いてたの? 楽しそうだったじゃん」
「──うん? ……楽しそうに見えたのか。
まあ、別に嫌ではなかったよ」
少しばかり覗き込むように目を向けるミリアに、アイコンタクトと共に応えるエリック。
彼としては、あそこでのやりとりは別にそれほど『楽しい』わけではなかったが、『単騎特攻のアビーネ』に比べたら段違いだったのは言うまでもない。
それを思い出しながら、穏やかに頷くと、
「……君が一緒だと、こうも反応が違うのかと実感していただけ。空気がまるで違うから、驚いた」
「そんなに違った?」
「ああ、段違いだ。君の効果は絶大だと思った」
「そっか。盛り上がってたもんね。楽しそうだった」
「……店員とのこと? いや、別に。
情報収集をしていただけだよ」
「連絡先とか? 好きなものとか?」
「……まあ、聞いたけど。
……うん?
人をなんだと思っているんだ?
別に、口説こうと思って聞いたわけじゃないからな?」
「……いやあのそんなこと言ってないけど……」
流れるように困り顔でそう言われ、ミリアも困惑のトーンで返した。
ミリアはただの『話の相槌として聞いた』のだが
エリックはそれを穿って捉えたのだ。
若干食い気味の相槌は、『まるでミリアがそこに対して興味津々』だと取られても不思議は無かった。
────しかし。そんな取り違えは、時に、妙な沈黙を作るのである。
(…………うん?
ナンパ野郎だと思われているのか……?)
ミリアの食い気味の質問に、悪い方向で困惑しざわつくエリックと
(なんで今口説くとかそういう話になったん……? どうしてそうなったん?)
ただ、疑問符を飛ばすミリア。
(女性を見たら口説く男だと思われている……!?)
(……あれ? 今わたし『手が早い』とか言いましたっけ……??)
(ヘンリーじゃあるまいし、いや、でもな……)
(あるぇ……? 言ってなくない……?
あれ……? 言ったっけ……??
まあ、女慣れしてるな~とは思うけど……??)
『………………』
『………………』
『ただの情報収集をしている自分』を俯瞰的に想像し
訝しげに沈黙するエリックと
『相槌代わりの質問』が
あらぬ誤解を招いていることに気づかないミリアの
微妙に気まずい沈黙が 歩く二人を支配して────……
「……繰り返すけど。
口説いていたわけじゃないからな? 情報収集だ」
「────うん。わかっている」
念を押すエリックに、ミリアは二つ返事で頷いた。
ミリアとしてみれば、『どうして念を押されたのかさっぱりわからない』が────
(力強く言うんだから、まあそーなんでしょう。)
「まあ『とにかく』。『ですから』ね~?」
びっみょうな沈黙を、素早く散らすように。
ミリアは、指先を綺麗に伸ばすと、”はぁ〜〜”と困ったように肩を落として話を振るのである。
「わたしは疲れたのでございます。
疲れた~、疲れたヨ~……」
「…………なら、軽く茶でも飲もうか。
──……サン・タレアはなかなかいい店が揃って」
「あ……!」
エリックの言葉を遮って、ミリアは、思わず小さく声を漏らして足を止めた。
壁に貼られた『モデル・マスケッタ オリビア&リックの、新作ポスター』を目にして。
#エルミリ
来週定期休み




