6-14「突撃 高級クローゼット」
──それから、表面上平穏な日々が続いた。
毛皮の高騰・女性の死亡事件・黒衣の悪魔によるヤヤの奇襲・ミリアとの大ゲンカ──前代未聞のトラブルが続いたが、一応は日常を取り戻していた。
ヤヤの件は先遣隊を送り報告も得た。
『あれから被害が続いていないこと』『不明者の捜索を続けていること』などの報告を受け、ひとまず『打てる手段は打った』。エルヴィスはヤヤへの訪問を考えたのだが、それは実現に至らなかった。
時は9月初頭。
日に日に近づきつつある『成人の儀・カルミア祭』。
どこをどうしても、『ヤヤ往復』の時間を捻出することは不可能だったのだ。
──あらゆることを天秤にかけ、こうして選んだ『カルミア祭』と『エリック業』。ビスティーでの時間は、祭り前だというのに、意外にものんきなものであった。
エリックは『ビスティーもカルミア祭に向けて忙しくなっていくもの』だと思ったが、ビスティーでは『成人衣装』の取り扱いはないのだという。
ミリア曰く『やれって言われたら出来るけど、あれは昔からずーっとやってる専門店の方が仕上がりも綺麗だし確実なものができる』『というか、変に手出しすると後が怖い』とのことだった。
服飾は、思った以上に閑散期と繁忙期が明確な業界だ。
舞踏会・パーティー・季節の変わり目でもない限り、ぼちぼちゆっくり。
クリーニング店の補修作業。
新規仕立てや衣装の組み合わせに悩む客へのカウンセリングとスタイルアップ。新規ドレスの立案やデザインなどの受注。
あんなに修羅場だったのが嘘のように、ゆったりのんびりと過ぎゆく時間。
それは、エリックにとっては味わったことのない穏やかな時間であり──
同時に、好都合な時間でもあった。
『ビスティーならびに、服飾業界の基本を学ぶ』のに。
まずは『現状の服飾業界』の物流把握だ。
ビスティーの取引歴や売買履歴から、その道具の種類から製造販売までの、全体の流れを掴む。それと並行して、顧客情報も頭に叩き込み、組合内部の『一般人は知らないような業種』までを洗い出す。
もとよりそれらも大まかには理解していたが
『外からの想像』と『中の実態』はまるで違うもので、エリックは自身の”知識のなさ”を痛感していた。
その最たる例としては、喧嘩の原因になった『ボーン職人』の一件である。
ボーン自体も知らなかったが、職人たちの隠語──『職人たちの道具箱』を知っていたのなら、あの日ミリアとそこまでの言い合いにもならなかっただろうし、焦燥と苛立ちを募らせ怒鳴ることもなかった。
全くもっての失態である。
まあ、それが『怪我の功名』として。
ミリアとの間は、以前よりも良くなったような気がするが、エリックにとって『あの一件』は反省しかなかった。
とにかく知らねばならない。関わること全て。
服の中に芯が入っていたことや、それらが普通に身近にあることなども、普通に暮らしているだけではわからなかった。
『ボーンが直接毛皮の高騰に直結する』とは思わないが、なんにせよ知識を吸う必要があると再認識したのだ。
ただの『服』。
『布さえあれば出来上がる』と軽く考えがちだが
一着仕上がるまでには驚くほど多く道具が使われており──
その分だけ、数多くの人々が関わっていて
物流があり、市場が開かれている。
──それらを、頭に入れながら。
ミリアに着いて回り、まずは縫製業界有数の店へ、ご挨拶────へと、繰り出した。
──のだが。
「────ミリア……、本当にここに入るのか……?」
ウエストエッジ・中枢。
アルタモーダ地区・サン・タレア通り。
佇む店を前に、気圧され気味に呟いたのは──ミリアではなく、エリックの方だった。
荘厳と佇むショップを前に、眉をひそめ顔を強張らせる彼。
明らかに『女性向け高級店』に引き腰のエリックだが
しかし、それに間髪入れず頷くのは総合服飾工房店員・ミリアである。
「もちろん!」
その口調は”意気揚々”で、彼女はそのまま高級感漂う店舗を見上げると、
「──『オートクチュール アビーネ』。
ウエストエッジでも憧れの高級店……!
マントコートにボアショール、高級シルクにベルベットのドレス各種……!
うちでは無理なやつまで、全部お客様のために一点ものを仕上げる店だよ?
ここ、入らないでどーするの。」
「…………~……!」
憧れから一瞬で、きりりとした顔つきに切り替えたミリアの言葉に戸惑った。
彼女のハニーブラウン瞳に返すのは、迷いを込めた暗く青い瞳だ。
「………………まあ。そうだけど」
「乗り気じゃないなあ〜。
女性向けだから入りにくい?
今日は”ビスティー”として来てるんだから良くない? まあ、抵抗あるかもしれないけどさあ」
歯切れの悪いエリックに、ミリアは小首をかしげて物申す。
ミリアは、『彼女の中で 思い当たる理由へのフォロー』は行ったつもりだが、どうもそこではないようである。
こういう場所にはむしろ乗り気で行きそうな印象だっただけに、ミリアは若干”不思議”を込めた視線を向け──
(────あ、そっか)
ひとつ。
彼の”ためらいの理由”に気づいた彼女は──羨望の眼差しで建物を眺め、口を開くと
「『オートクチュール アビーネ』
『ショール・ボア アールテミス』
『ドレスショップ ビハイヴ』
『クチュールサロン コロニス』
『オールクローゼット イクリル』
ウエストエッジを誇る五大服飾店だもんね……!
……こんなとこ、絶っっっっっっ対入れないもんね……
足を入れるのすら躊躇うのはわかるよ、うんうん。
庶民の我々には無理だよね、うんうん……!」
「…………まあ……」
憧れの声を、なだらかに同意に変えて。
うんうんこくこく頷くミリアに、返りゆくのは微妙な相槌。
「────でも、今日は”ビスティー”です! 接客されないからだいじょーぶ!
おねだりしたりするわけでもないし!」
「…………いや…………」
ぱちん! と両手を合わせられ、ぼそっと相槌。
「だいじょぶ だいじょぶ!
わたしと一緒なら大丈夫!
縫製組合の会員証だって首から下げてるし!
これなら高いもの売りつけようとしないはずだから!」
「…………うん…………」
ミリアの励ましに、エリックは
ただひたすらに、茶を濁しまくった。
────逆だ。逆である。
アルタモーダは、むしろ御用達区域だ。
ミリアは懸命に『客として見られないから平気!』とフォローしているが、むしろバッチリ『客』。
あの店も、この店も。
社名として馴染みがある物ばかり。
店舗に入るのではない。屋敷にくるのだ。
真の金持ちは店舗に出向いたりなどしない。
盟主とあればなおさらだ。
とはいえ、現在。
ここいらの宝飾店や古物商などが来ても、それらに全く興味もないエルヴィスは──いくら営業をかけられても『いずれ頼む』と追い返すことしかできなかった。
──そんな、袖に振りまくっている『御用達区域』。
万が一『正体がばれるのではないか』という懸念も浮き上がると思いがちだが、ここを直接歩かないエルヴィスにとっては問題はそこではなく。
彼が珍しく気後れしている理由は、『アビーネ』にあった。
実はここ。
ミリアが選んだ『アビーネ』は、彼女と相棒契約を結ぶ前、手頃な縫製師またはバイヤーを捕まえるために訪れた場所なのである。
あの頃の彼は『縫製ギルドの女どもは殺気猛々しい』と聴いてはいたが、訪れるまで『自分の容姿・身のこなしなら行けるだろう』と思っていた。
────が、実際に彼を出迎えたのは強烈な”拒否”と”殺気”。
扉を開け、跨いだ瞬間
突き刺さる視線・無骨な表情。
まるで一気に敵国のど真ん中に放り込まれたような居心地の悪さに、早々と店を出たのが記憶に新しい。
(────負け戦でしっぽを巻いて逃げた場所に、もう一度入れというのか……)
エリックの脳内、まざまざと蘇る”敗戦記録とその感情”。
今日は、隣にミリアが居るとはいえ。
『男一人の客』として入るのではないとはいえ。
やる気満々で「ほら、行くよ!」と意気込むミリアの隣、エリックは──
こっそりと息を吐き溶かしたのであった。
────わっ……!
足を踏み入れた瞬間、変わる空気。
色めき立つ女性たちの顔、柔らかくなる頬。
この前とはまるで違う空気に、エリックは即座に微笑み、ミリアもにこやかに笑いながらも肩に力を入れる。
『オートクチュール・アビーネ』。
広い店内・大理石の床。
高級感漂うドレスの数々。
そんな中、ひそひそと声がする。
『あれ、ビスティの子?』
『今日は恋人と一緒……!?』
『婚姻のドレスを選びに来たんじゃない……!?』
(────しまったあああああ!
それがあったああああああ……!)
店員のひそひそトーンを耳にして、ミリアは唇の裏で思いっきり叫んでいた。
すっかりきっぱり忘れていたが、ここは婚礼のドレスも扱う店である。
年頃の男女が揃って店を訪れるなど『婚姻のドレス』の相談だと思われるのは当然のことだ。
(ち、違うんですうううう、そうじゃないんですううう……!)
と、固まる顔が探すのは、知り合いの女性店員。
ホームどころかアウェーの雰囲気に肩が縮み、にこやか笑顔にも硬さが混じる。
(──え。これ、どうしよう……!?
は、入るたび顔見知りに『結婚するの?』って言われるの……!? 流石にめんどいんですけど……!?)
と、喉を絞ってポーカーフェイスを貫くミリアのその隣で──エリックは、完全に平常モードを取り戻していた。
店員の女性たちから 向けられるのは『好色の笑み』。
微笑むだけで頬を赤らめる女性たち。
完全お出迎えムードのそれに、気持ちも柔らかくなる。
(……隣にミリアがいるだけで、こうも雰囲気が違うとは……)
と、品のある笑顔でスタッフたちを目線でぐるり。
照れくさそうに返ってくる微笑みや、上目遣いのあいさつに、さらにもう一度。
くすりと微笑み、とどめを刺した。
(──ああ、懐かしいな。この感じ……)
もとより彼は、別に女嫌いではないのである。
貴族の女に擦り寄られるのは好きではないし、透ける魂胆には吐き気さえ覚えるが、純粋に自分の容姿に機嫌が良くなる女性たちに『愛想』を振りまくのは得意中の得意。
表面上の笑顔だけで、耳障りのいい言葉だけでころりといくのだから、任務をこなすのには必要不可欠。
そして、純粋に、照れる様を見るのは気分が良かった。
──笑顔で・容姿で・上辺の柔らかさで操る・手篭めにする。
”好印象”を植え付け、手札にする。
夢中にさせて──情報を得る。
スパイエリックの真骨頂だ。
────それも、最近はめっきりカタナシだったが。
エリックがひそかに、『ミリアと共に過ごして狂いまくりカタナシになった感覚や自信』をみるみる取り戻している、その向こう側で。
(違います、違うんです。
早く知り合い探さなきゃ……!)
周りのヒソヒソに息を詰まらせるミリアは、店の奥。
見知った『知人』の姿を探し──……
「あ~らま~あまあ? ミリアじゃな〜い?
やぁだぁ♡ いらっしゃぁ~い♡
ちょうどよかったわあ〜!」
「久しぶり、カリーナ!」
飾られたトルソーの奥から現れた、カリーナに微笑み駆け寄った。
──カリーナ・マクベル。
アビーネ勤務のアドバイザーで、ミリアとは店舗スタッフ同士でやり取りのある人間だ。
長い金色の髪をきちんと夜会巻きでまとめ上げ、爪の先まで『ハイクラス』を演出している、キャリアウーマンである。年は29、結婚はしておらず、なぜかその語尾をのばしまくる『ぶりっ子気質』の女性だ。
名を呼ばれたカリーナは、ミリアにそわそわと近寄ると、
「ね~えねえ? あれ誰? ミリアの恋人〜?」
「違う違う、うちで働くことになったバイトさん。エリックさん」
「あ~らヤダ~? 総合服飾工房に男のひ~と〜?」
────うっ……!?
「……まあ……、
そう、
思うよね、うん……」
カリーナ特有のテンポで繰り出される苦言に引きつった。
いきなり痛いところを突いてくるやつである。
────が、カリーナの言うことも一理あるのだ。
そこにいるエリックという男性は、成り行きで店を手伝うことになったが、正直。
女性客ばかりの総合服飾工房に、男が居るなんて『お客様が警戒するのではないか』と、考えなかったわけではない。
ビスティは『女性専門』と謳っては居ないものの、客の9割が女性だ。
ぶっちゃけ、そこに男がいても『力仕事以外出来ることなんて何もないのではないか』・『むしろ、マイナスなのでは?』と思ったこともあった──のだが。
オーナーの『いいじゃない〜』な『のほほーん』と。
エリックの働き方に、ミリアの懸念は見事に抜かれてしまったのだ。
困惑のミリアを置き去りに、オーナーはエリックを拒否する雰囲気はないし、当のエリックは、不慣れながらも楽しんでいる様子。
そしてなにより、エリックは役に立っていた。
試着した客を褒めまくるのだ。
客が『どうしようかしら』と迷う最中、横から来て褒めちぎる。
ミリアがにこやかに発する言葉と同じものを口にしても、客の頬の綻び方がまるで違う。
彼の容姿・口調で褒めちぎられた女性客は、気分上々になり──全てを買い上げていく。
その働きに、ミリアがこっそり『こいつ使える!』とガッツポーズを取ったのは言うまでもない。
──それらをダイジェストで思い出しながら。
店舗スタッフに囲まれるエリックを遠目で見ていたミリアは、”接客待機姿勢”のまま
カリーナに”すぅ──っ”と横から距離を詰めると
「……でも、カレ良い働きするんだよ?
邪魔するようなことしないし、手先器用だし、着替えは試着室で安全だし。
最初は驚かれるけど、あの人……ああだから。
にっこり微笑むだけでお客様に効くというか、売上アップというか……」
「で〜も男じゃない? 男はどうかと思うわね〜? だって男よぉ~??」
「……相変わらず、見事な男性アレルギーだよね……カリーナ……」
声からにじみ出た『男性嫌悪』に、ミリアはやや疲れ気味に呟いた。
実はこのカリーナ、筋金入りの男嫌いなのだ。
男が近寄ったあとは、その空間に女神の聖水(香水)を噴射するような女性で、ミリアの『ウエストエッジ女性の男嫌い』イメージの元になっている。
もちろんミリア自身が見てきた光景もそれらの材料になってはいるのだが、たまに会うこの”カリーナ”はその中でもダントツに『男性アンチ』であった。
ミリアがこっそり(……またはじまった)思うその隣で、カリーナは軽蔑と侮蔑を交えた表情を向けると、
「だ〜ってぇ汚らしいじゃない~?
一緒に仕事なんてできないわよ〜。
男って『ここは女だけ』って知ってるから〜ぁ。
へこへこニヤニヤしながら入ってくるの~。
信じられなぁ~い~。
この前も汚らしいごろつきみたいなのが神聖な店内に入ってきて、カウンターの子に絡みついて困ったのよぉ~……?
あたしたちを〜娼婦か何かと勘違いしているんだわ~!」
「そ、そんなのばっかりくるの?」
「──く〜る〜の〜よ~!
あと、奥様がフィッティング中にスタッフを口説く貴族も~! あぁぁ〜! おぞましい~!」
「…………」
「とぉ~っても綺麗な奥さまがいて、綺麗な服を着ていても、男なんて信じるものじゃないわ~~!」
「…………」
(……見てる世界がだいぶ違うんだなぁ……高級店ってもっと上品な客層だとおもってたけど……)
──と、さらにこっそり息をつきつつ、
(はなし、エリックさんから離れたラッキー)
とすまし顔で思いつつ、心の右手を”ぐー”にする。
正直あのままエリックの話をされても困るのである。
『なったもんはなったんだから、しょーがないじゃん』としか言えない話題で、質問の皮をかぶせた男性批判を喰らうのは勘弁してほしかった。
カリーナが隣でああだこうだと言っているのを材料に、ミリアがこっそり思い描くのは『カリーナが見ているだろう世界』と、『自分の見えている世界』の違いだ。
高級店と庶民店。
もちろん、来る客層も違うのだろうが────
(…………うーん……)
と、天井を見ながら思い出す。
が、やはり『そういう類の男』はあまり記憶にない。
この前のナンパか、道すがらのナンパか。
それぐらいなもので、接客で『それら』に当たった記憶が無かった。
──まあ。
どちらかと言えば庶民向けで、ネームバリューでは売っていないビスティーと、ブランド名とハイクラスで勝負のアビーネ。
客層が違うのはもちろんだが、見えてくるごたごたの質も違うのだろう。
「…………ん────」
ミリアが、一瞬。
高級感あふれるアビーネの店内で、スタッフに囲まれながら愛想を振り撒きまくるエリックを視界の一部に
ぼ〜んやりと『自分がハイクラス貴族様の接客をしている様』を妄想して黙り込む、その隣から。
カリーナが突然ミリアの目の前に顔を出した。
「ね~え、ミリア?
やっぱりおかしいんじゃない?
ビスティーさんは、なぁんで男なんか雇ったの~?」
(────うっ……!!)
蒸し返されたその問いに。
ミリアはぴたりと動きを止めたのであった。
#エルミリ




