6-13「あっちもこっちも(1)」
「スネーク。
ヤヤはどうなっている?」
──緊張と、威圧のこもったその声は、暗がりのアジトを駆け抜けた。
調査機関・ラジアルのアジト。
古びたバーを居抜いて構えたその場所の、拵えのいい机に腕を突き、奈落色の瞳に覚悟を宿したエリックは、糸目のスネークを前に問いただす。
瞳で射貫く先、スネークの口元に”じりっ”と浮かび上がる焦りの色。
優秀な天敵が醸し出す雰囲気に、エリックはひときわ深く息を吸い込み、鋭き眼光を向け、
「……お前がわざわざ探しに来たのだから、あの程度では済まないのだろう」
照明魔具ラタンも見下ろす中。
エリックが思い浮かべるのは、ミントペール街道とヤヤの村の位置関係だ。
あの場ではそこまで掘り下げることが出来なかったが、方向・地形・いずれを考えても──導き出される答えは一つ。
「──ミントぺールの街道沿いということは……
少なくとも、ヤヤも被害を受けているはずだ」
「…………」
喉の奥・腹の底。
硬い岩を転がしながら推測を述べるエリックに
スネークはコホンとひとつ、躊躇いがちに喉を鳴らすと
恐れを抑えた剣呑を宿して──言う。
「……人が、何人か、攫われています」
「攫われた?」
「……ええ。彼らには大きな翼がありますから。
肩のあたりを鷲掴みにされ、空高く連れ去られたそうで」
「────行方は」
「…………いえ」
「…………」
静かに首を振るスネークを前に、ただ口を閉ざした。
瞬時に思い浮かべるのは、『悲劇の一連』だ。
ミントペール街道並びに、ヤヤの村を襲った悲劇を予想して言葉がない。
平穏な村に響き渡ったであろう悲鳴
たちまち人々を支配した混乱
泣き・喚いたものも居るだろう
今も、身内の失踪に失望している者もいるに違いない。
混乱をもたらした黒衣の悪魔の生態には詳しくないが、聞きかじった話によると、個体によっては人の倍ほどの背丈があるモノも居るという。
────長年、女神の加護にあったこの国は
人外による被害や襲撃など、想定もしていないのに。
「────~……っ!」
机を囲み、思考は『ヤヤで起こった悲劇』へ。
無言の視線を送るスネークの前、エリックは──腹の中・ふつふつと沸き立つ焦りと怒りを抑え、
(────くそっ……!)
奈落色の瞳に悔しさを宿し、ぎりりと奥歯を噛みしめた。
自分の生い立ちも・家柄も・立場すらも、好き好んでいるわけでは無いが、無辜の民が犠牲になるのは腹立たしくて仕方ない。
(──民になんてことを……っ!)
ぐっ……!
憤りを拳に込め、力を入れる盟主の視界の隅で、
スネークは糸目をするりと動かし小さなメモに目を落とすと、平坦な声で述べる。
「性別に偏りはありませんが、体重が軽く力の弱い老人や子ども、それと若い女性が被害を受けました。……彼らの生死は、わかっていません」
「────それは、
…………流石に、あの場では言えないよな」
「……ええ。事がことですし、何より、怖がらせてしまうかと思いましてね」
「賢明だ。礼を言う。お前が優秀で助かった」
スネークの淡々とした言い回しを受けて、焦燥を散らすように溢した。まぎれもない本音であった。
ミリアが魔道の使い手だということは重々承知しているが、それでも相手は人外である。
『黒衣の悪魔が出た』と聞いたときの、あの不安そうな顔・心細さの走る顔。
男であるエリックも、未知の脅威に警戒と畏怖が募るというのに、力の弱い女性なら──なおさらだろう。
スネークも、それらを想定して空気を読んだのだ。
普段非常にムカつく男ではあるが、そこは信を置いていた。
エリックは述べる。
机の上、広げられた地図を読み指さしながら、肚に力を入れて。
「────とにかく、ミントペール並びにヤヤの村周辺にはオリオンから兵を回す。
小型竜兵は先ほど向かわせた。
後援隊には、十分な食糧を持たせたい。
そこは商工会の協力が欲しい」
「ええ。こちらで手配しておきましょう」
「────しかし……!
……一体なんだって言うんだ……!
俺に恨みでもあるのか……!」
堰を切ったような恨み言は、構いもせずにその場に響いた。
その『感情的な物言い』に、瞬間的。
スネークが眉を上げるが、エリックの視界には入っていない。
苛立ちのまま掻き上げた前髪の根元で、皮膚がガリっと音を立てる。
”────ああ、煩わしい”
(────くっそ……!)
「────おや。珍しいですねえ、愚痴ですか?」
「──ハッ! こうも立て続けに事が起これば、愚痴もこぼしたくなるだろう……!」
やけ気味に声を張り、一蹴。
”──やっていられない”・”いい加減にしろ”が本心である。
こんなことをスネークの前でこぼすなど、本来ならばあり得ないことだが、今の彼にそこまでの余裕は無い。
もとよりナンパや民間同士のいざこざは多かった。
貴族の不正もあった。
しかしそれぐらいなら、どうとでもなった。
が、こんなにも『一度に起こる』のは──初めてである。
「──毛皮の価格高騰、ジョルジャとマデリンの死亡事故に加えて、黒衣の悪魔による略奪と人攫い……なんなんだ一体……!」
「偶然でしょうか?
それとも、誰かの差金でしょうか?」
「──さあな。それをここで考えても答えは出ない」
勢いで吐き捨てた言葉は視界の隅。
地図と共に視界のそとへと追いやって、エリックは──腕を組み、顔も険しく言い放つ。
「だから突き止めるのだろう。それが我々の役目だ」
「────そうですね。
────毛皮の方はどうですか?」
「────……
────ああ」
隙を突くように問われ、エリックはぶっきらぼうに声をやった。
内心で『どうもなにも、見てきただろう』という怨嗟の文言も浮かぶが、それはそれとして出てくるのは『ミリアとのトラブル』である。
瞬間的に蘇る『一連の騒動』。
巡り巡るめく『感情の記憶』。
焦り・怒り・冷や汗・安堵までが一気に彼の中を駆け抜け、思わず────口からこぼれ出す。
「…………危うく、
…………振り出しに戻るところだった。
…………ハァ…………」
「…………」
ぽそり、ぽつりと口の中。
スネークの密やかな視線が降り注ぐ中、落ち着けるように口元を隠す彼。
その奥──胸の中に広がるのは、安堵や気恥ずかしさである。
一連のことが高速で蘇り、頭も心もゴチャついていた。
(……我ながら、感情が忙しいな)
密やかに舌を巻く。
ラジアルにいるというのに、スネークが居るというのに、『らしくないにもほどがある』。
頭の片隅、冷静な自分が『自分を取り戻せ』と囁くが
その違和感が嫌ではないのが──自分でも説明がつかない。
しかし、今はそこに気を割いている場合ではない。
エリックは『それら』を外に出さぬよう
覆った手のひらの中で握りつぶすようにコホンとひとつ咳で払うと
スネークに、落ち着いた顔を向けて
「スネーク。止めてくれたことは感謝する。
……が、あの手段は感心しないな。極力彼女を巻き込むな」
表面彫刻を保ちつつも放つのは、困惑と警告だ。
『あの場であれを出す理由もわかるが』
『あの場が収まったから良いが』
『ミリアの動きを抑制するのにはいいが』
(────それでも、彼女は一般の民だ)
暗がりを照らす魔具ラタンも静まり返る中、エリックはひとつ──奈落の瞳を瞼の中で迷わせると、
「あの場であんな話題」
「────バレたでしょうか?」
「……どうかな。彼女は特別、勘の鋭いほうではないと思うけど」
難しい顔で呟いて、思い返すのはミリアの人となり。
『すっ飛んでは居るし』
『時折会話にも追いつけない』し
『滑らかに話の腰もおる』が
『油断ならない鋭さ』を感じたことは──無かった。
「────不思議だとは、思っていたかもしれないな。
現に彼女がおずおずと発言した時の表情は、こちらに圧倒されているような様子だった。
咄嗟に話を流したが────どうだろう」
「──いっそ、告げたらどうでしょう?
下手に隠しておくよりそのほうが潤滑に事も進むでしょう?」
「──────」
さらりと。
しかし、待っていたかのように、
スネークが放ったそれに
────刹那
凍れる沈黙が その場を支配した。




