6-12「……納得(2)」
「────そう。
────仮にも、俺は男で、君は女だ。
言わないとは限らな」
「言わないと思った」
「…………────」
迷いのない声に
貫かれたように
エリックの暗く青い瞳が揺れた
しかしミリアは、それが合図だったかのように
さも当然と言わんばかりに話し出すのだ、
「……なーんにも考えてなかった。
そんなこと、思いもしなかったっていうか。
……おにーさん、そういう交換条件は出さないよ。
からかうことはあるけど、そういうことは言わないでしょ?
そこはわかってるつもりだよ」
「…………」
黙り、驚くエリックに、素直に述べる。
ミリアもミリアとて『考え、感じて動いている』。
彼女は、その
『エリックに対する感想』には、自分で自信を持っていた。
「────でしょ?
だから、『改めて』
よろしくね?」
「…………ああ、よろしく」
裏表なく。
素直に述べて、ゆっくりと出した手に
エリックの安心したような声と、大きな手が返ってきた。
相棒契約とはまた違う──優しさのこもった手つきと温度を感じながら、
ミリアは────
密かに、息を詰まらせる。
(………………なんか、納得)
ぎゅっと握られた手の向こう側。
しっかりと握るエリックの手を透かして思い出すのは、『優等生の笑顔』。
不機嫌で辛辣な顔から
瞬く間にきらめいた笑顔に切り替えた『あの一瞬』。
垣間見えた、『鋭利な盾』。
彼が纏った────『薄氷』。
(…………『口論、経験したことない』って、納得)
あのときはただ、動揺するしかできなかった。
『なに?』とは聞けなかった。
どうしてあんな行動をとるのかもわからなかった。
────けれど、”なんとなく”。
彼が見せた、薄氷のような笑顔に理由を感じて
ぎゅ……っと、握る手にもう一度、力を込める。
(……喧嘩になる前にきっと、
ああやって、閉じ込めてきたんだと思う。この人)
慣れていた。
当然のように潰した。
潰しきって、膜を張った。
(────どんな生い立ちだとか。
家族のこととか。
今の生活だとか。
全然知らないけど、──でも)
『目の前にいる男は、自分よりきっと、遥かに大変な思いをしてきたのだろう』と。
(……それは、わかる。
すごく努力してきたことも、わかる)
そう、胸の中で呟いて。
ゆっくりと目線をあげた先────『目の前にいる相棒』は。
どことなく──しかし確実に、疲れた顔に映った。
「──────ね。
”疲れた”でしょ? 裏からお菓子でも持ってくるよ」
ぱっと見上げてハキハキと口にした。
緩く握りっぱなしだった右手から、ふっと力を抜き離し、もう一度見上げる。
空気が変わるように強く述べた提案に戻ってきたのは、目を丸めた戸惑いだ。
「…………いや、別に、疲れてないよ」
「そう?
疲れた顔、してますよ~?
見たらわかるよ~、ふふふん~」
少し悪戯っぽく。
『お見通しだよ』と言わんばかりに、頬を緩め声を張り、
語尾を伸ばして、誤魔化すように笑って見せる。
──『どこまで突っ込んでいいのかわからない』。
──『どこまでしてもいいのかすらわからない』。
────が
『頑なに殺していた』。
『見せまいと必死』に見えた。
『その訓練を積んできたのだけは』解る。
そんな相棒に、ひとつだけ。
『今云えることを、ひとつだけ』
彼女は一歩、距離をとると
何事もないかのように話し出す。
「────遠慮はいらないからね、相棒だし。
…………割れちゃう。
…………割れちゃうよ」
「──ん? ”割れる”?」
「──喧嘩しようって言ってるの。
受けて立つ。
出すの、大事。
でもね?」
目を丸めた彼のそれを、強引に押しやった。
エリックの不思議そうな顔から目を──逸らして。
「……今はとにかく、お菓子、持ってくる。
甘いの好きだもんね?
コーヒーは飲めるんだっけ?」
「ああ、まあ────」
払い除けるような問いかけに、エリックから戻ってきたのは、戸惑いを含んだ歯切れの悪い音。
そんな声色に、わずかに構えるミリアに、エリックは問うのである。
「──なあ。ミリア?
……”割れる”って?」
「…………あのね? 心配してくれたようにね?
わたしは今、キミの疲れを取りたいの。
お菓子食べよう。リラックスしよ。
何か食べたいのある?」
「…………食べたい……もの……」
まくしたてるように言った。
とにかく今は力で押した。
カウンターの向こう側。
呟き悩むエリックに、ただただ意識を向けて言葉を待った。
それしか、できなかった。
(なんかしてあげたいとか。
支えてあげたいとか、烏滸がましいことじゃないけど。
……それぐらいは、出来ると思うし)
呟く思いは胸の中。
ほんの少しの苦しさを唇の裏に距離を測る。
彼女なりの、距離を測る。
──そして
「────なあ、ミリア」
「はあい?」
ふわりと上がった彼の顔に返すのは、柔らかい声と仕草。
『なんでもどうぞ?』と言わんばかりに微笑む彼女に
「────菓子のハナシなんだけど」
「うん」
「────『ぷりん』って……すぐ作れる?」
「────うん……!」
「────無理。」
商工会議所・奥。
潰れた酒屋を改装した、調査機関・ラジアルのアジト。
重い扉をごろりとあけて、薄暗がりの部屋を一望するエリックに、声はすぐさま飛び込んできた。
「──いやあ、すみませんでした」
「……なにがだ」
全然これっぽっちも『悪かった』がこもっていない、スネークの声に顔をしかめる。
暗がりから”すぅー”と現れ、近寄るスネークは、愉悦を浮かべた顔つきで首を振るのだ。
「ボスを探していて、……まさかあんな場面に出くわすとは」
「ふうん?」
肩をすくめ手を広げ、細やかに首降るスネークに眉をぴくり。
腕を組み目を細め、喉を開いてエリックは言う。
「──スネーク。
俺はてっきり、わかって入ってきたと思っていたけど?」
「ははは。まさかそんな」
「いつから聞いていた?」
「お姿を見つけてすぐにお声かけしました」
「──ハ、どうだか」
迷いのない返事を切り捨てた。
スネーク・ケラーという男はとても優秀だが、詮索をしトラブルに仕立て上げ楽しむ傾向がある。『蛇』と言う名前がぴったりのその男のそれらは、信用に値するものではなかった。
しかし、あからさまな棘を向けられながらも、スネークは糸目を澄ましてすんなりと、
「わたくし・スネーク・ケラー。嘘は申しません」
「お前ほど嘘に塗れた男を、他に知らない」
「ボスには負けます」
「────俺のは仕事だ。
……で。いい加減にしないか、スネーク。
『俺がここに来た理由』は……解っているのだろう?」
エリックの言葉に、スネークに緊張が走った。
澄ました糸目のその奥の、かすかに乱れた『余裕』を、貫くように
エリックは、暗く青い瞳で問いかける。
「──ミリアの前では聞かなかったが。
ヤヤはどうなっている?」
「…………」
黙るスネーク。落ちる沈黙。
僅かに俯いた優秀な天敵は、数秒の間の後。
重々しくも深刻な声で、それを告げた。
「……人が、攫われたそうです」
次週充電です




