6-8「要らないみたいなんで。」
「──と、いうわけで。よろしいですか?
オリオン盟主の名の下に
『エリック・マーティンさん』
『ミリア・リリ・マキシマムさん』
お二人とも、よろしくお願いしますね?」
それは、よく晴れた8月の末。
ノースブルク諸侯同盟 オリオン領西の端
女神のクローゼット・ウエストエッジのとある店の中でのこと。
総合ギルド長『スネーク・ケラー』の仲裁に、デッドヒートしていた二人は黙り込んだ。
途端、漂うのは『探る空気』だ。
スネークとミリアの間に立ち
彼女に背を向けているエリックと
その後ろの丸椅子に座り男二人を眺めるミリアは、今、互いに顔をうかがい知ることは出来なかった。
エリックは解らない。
今、後ろで、ミリアはどんな顔をしているのか。
ミリアもわからない。
今、視線の先、エリックは、どのような面持ちなのか。
『────……』
互いに、黙り、こくり、探る、何とも言えない空気がビスティーの店内を包み込み────
「そーは言われても。
わたし。
いま。
『勝手にしろ』って言われたばっかです」
声ははっきりと響いた。
今まさに振り返ろうとしたエリックが、そのスピードを速めて彼女に顔を向けると、ミリアは
年季の入った背の高い丸椅子の上、
腕を組みながら、
ハニーブラウンの瞳に”不満”を称えて
”むっ”と頬を膨らまして
口を開ける。
「…………『勝手にしろ』みたいなんで。
彼がスネークさんの下につくのはアレですけど。
わたしは。
『要らない』みたいなんで。」
「ミリア……!」
”ぷーん”とそっぽを向きながら出た『固い声』に
エリックの足は自然を彼女に寄りゆき、困った声を出した。
「……そんなこと言ってないだろ……!」
「────言った。」
「言ってない」
「言った。」
「言ってない……!」
「言ったし。」
「まあまあまあまあ」
言った言わないの押し問答に、思わず割って入ったのはスネーク・ケラー。
エリックの部下(一応)で、商工会議所のギルド長である彼の胸の内には、しっかりとした愉悦が沸き上がっているのだが────
それはスネークだけの秘密である。
我らがボスの子供じみた喧嘩に、心の中で
(ああ、最高に面白いですが、最高に面倒ですね)
と呟く彼。
本当ならば、我らがボスの『言った・言ってない』の子供じみた押し問答など、面白いことこの上ないショーである。
物陰にでも隠れて心行くまで眺め、あとであれこれ突いてやりたいのだが、これ以上放っておいたら関係自体が瓦解してしまうだろう。
自ら間に挟まったスネークの声掛けに
そっぽを向いたままのミリアと
顔表面に素早く『しまった』を滲ませ瞳を逸らすエリックを前に
糸目のギルド長は、ゆっくりと顔を向け、それとなく声を出す。
「…………困りましたねえ。
そもそも、原因は何なのですか?」
「────あなたには関係な」
「人のこと。
子ども扱いするんです。
この人。
わたし。
子どもじゃないのに。」
エリックのそれを、皆まで言わせず。
固くむくれた声は一直線にエリックを貫通しスネークまで響き渡った。
バツの悪そうに黙り込むエリックと
きっぱりはっきり怒っているミリアの様子を見比べて
完全にミリアが精神的優位を取っていると確信したスネークは、糸のような目の眉を『ほう』と弓なりにして首を傾げると、知らないふりで問いかける。
「──”子ども扱い”……ですか?」
「………ミリア……! だからそれは、」
「『アルトヴィンガに行った』ってだけで。
『職人たちの道具箱』ですよ?
人の事なんだと思ってるのか。
あんな風に怒ることないです。
わたし、子どもじゃないのに。」
「────おや。ミリアさん。
それは致し方のないことですよ」
「……えっ?」
スネークに速やかなる言葉に、ミリアは目を見開いた。
その顔つきはまさに
『まさかそう返ってくると思わなかった』と物語っており、途端にじみ出る動揺の色をつぶさに観察しながら、スネークは言葉を続ける。
「…………アルトヴィンガには、『政治的通り名』がありましてね」
「『政治的、通り名』?」
「ええ。
その名も、『襤褸布の|坩堝《るつぼ』。
高官や名手、金や立場のある者はまず近寄りませんし、きな臭い話題も多いのですよ」
「……うそ……」
「────嘘じゃない」
「ええ。嘘ではありません。
大人とはいえ、よそ者の女性が一人で歩くのは昼でも危ない地域があります。
それは、揺るぎのない事実です」
「…………」
「…………」
瞬間、ミリアの瞳に戸惑いと自責が走った。
おそらく自分の発言を省みているのだろう。
『どうしよう』を滲みだす彼女と、眉根を寄せながら黙るエリックの間。
スネークは抑揚のない空気を出しながら、”すぅ”とひとつ息を吸う。
「────彼は屋敷の人間ですし、オリオン様に仕えているのならば、そのあたりの情報が多く入ってくるのでしょう」
「…………知らなかった……」
「…………」
(……”知らなかった”って。そんなこと、あるのか?)
ぽっそりと、小さく落ちたその声に。
納得いかず、ひそかに疑いをかけるエリック。
スネークの言葉にミリアの色があからさまに変わったのは見て取れた。
『虚を突かれた』
『知らなかった』という言葉が相応しい変わりようだったし、彼女のそれが演技だとは思わない。
しかし。
『彼の感覚』からすると
『あんなところの話を全く知らない』なんて
『考えられることでない』のだ。
(……でも、嘘をついているようには見えない)
内側で呟く彼の目の先、神経の先。
ミリアは、今までの『不服』をがらりと変えて、とても気まずそうに考えている様子。
そんな彼女の雰囲気に
エリックも、胸の中で
『感覚』と『常識』が揺らぐ。
(…………スラム街だと知らないなんて、そんなことがあるのか?
マジェラの出身だということを差し引いても……、
いや、しかし、
彼女の様子はまるで本当に────……)
「しかし、ミリアさんだけが悪いわけではありません」
エリックの揺れる思考を遮って、スネークの声がやたらと店内に響いた。
「……えっ……、どういうことですか……?」
ミリアの動揺を孕んだ声に引かれるように、エリックも顔を上げスネークに目を向けた時。
彼は目くばせ・顔を配せて言うのである。
「…………マーティンさん。あなたもまた、あの町が『職人たちの道具箱』と呼ばれているのを知らなかったのではありませんか?」
「…………え」
「──……知らなかったの?」
「…………『職人たちの』
…………『道具箱』……?」
エリックらしからぬ、驚きに満ちた様子に反応して、今度はミリアが頷いた。
「…………うん。
あそこ、この辺だと買えない部品とか集まってる市場があって……
ほんと、みんなよく行くんだよ?
スモーキー通りっていうんだけど、場所わかる?」
「────……”スモーキー”……
……ああ、名前は。
…………街の、北西部の方か」
「そう。
パーツとか、部品とか、
凄くマニアックなものまであるから、困ったらあそこに行くの。
雰囲気も……
ニッチでごちゃっとしてるけど、
その……危ないこととか、全然なくて」
「…………そう、だったのか……」
「────まあ、職人たちの通り名みたいなものですからねえ。外部の人間が知らないのも無理はありません」
──互いに自身を振り返り、
漂いあふれ始めた罪悪感のようなものを、
スネークのさらりとした声が散らす。
少々見解の違いはあったとはいえ、お互い間違ったことは言っていなかったのだ。
ただの食い違い。
ボタンのかけ間違いである。
「────ミリアさん。
彼は知らなかったのです。
私の顔に免じて、ここはどうか怒りを治めて頂けませんか?」
「……え、や……、えーっと……」
「オリオン様のところに届いているのは、街の中でも南ブロックの話でしょう。
あそこは本当にいい噂を聞きません。
彼が『そこの話しか知らなかった』としたら、あなたの行動に驚き怒るのも無理はないと思いませんか?」
「………………えと……あの……
……はい……」
「──────マーティンさん。貴方も」
「────……ああ。わかっている」
「────どうです?
誤解は解けましたか?」
「…………」
「…………」
『…………』
──スネークの、さらさらとした制裁と問いかけに、若い2人は揃って黙り込んだ。
互いにちらりと送る視線。
気の向く先は、互いの気持ち。
──────気まずい。
(…………は、反省しかない……!
バカとか言った……!
……どうしよう……)
(…………ミリアの主張は解った。
……そうか。そうだったのか)
互いに『余裕なく』。
呟くそれは、頭の中。
目を凝らしても見えない思考を
二人、互いに、図ろうと
口を閉ざしたまま
”じっ……”とした気配を送り────……
「…………ミリア。ボーンの職人に、なにを?」
きっかけを作ったのは、エリックの方だった。
その『いつも通りの声掛け』に、ミリアの空気もパチッと変わる。
「…………あ、素材をね、教えてもらったの。
あれが何で出来てるのか知らなかったし。
値上げの理由も、素材が足りないのかな~って」
「…………なにか、解ったことはあった?」
「『プ・ラティック』って植物から出る液を、光に照らして固めてるんだって。
平べったい箱の中に流しこんで、虫が入らないように網をかけて固めるって言ってた。
……素材がないということはないんだけど……、出数が多くなって、在庫が減ってきてるんだって」
「────ほう……『プ・ラティック』……ですか。
収穫期はいつなんです?」
「……えーっと……、
それは……、
あ〰〰、”おにーさん”」
「──いや、さすがにそれは。
ワインや穀物・果実類の収穫期はわかるが……そちらの方には明るくないんだ」
「……いがい……」
「…………俺にだって、知らないことはあるよ」
いつの間にか隣同士。
人一人分の距離を開けて、ミリアは目を丸め、エリックは心持ちなさそうに声を落とす。
動揺・白熱・静寂を抜けて
二人の空気は穏やかに流れ出していた。
眉を吊り上げるミリアも
伝わらない感情に苛立つエリックも、もうそこには居ない。
店内に広がり始めた二人の空気に、スネークが
(……これが、お二人の通常なのでしょうか)
と呟く先で、ミリアは『うぅん』と唸りながらぽつぽつと、
「……あとで図書館、行ってみよっかな……」
「──── 一人で行くなよ?」
「なんで。図書館だよ?」
「──この辺りで植物の資料がおいてありそうなのは、ラルコルーラの領立図書館しかない。
ラルコルーラに行くということは、街から出て、湖を回り込むことになる。
一人で行かせるわけにはいかないな」
「……隣町じゃん。なんでそんな」
「────街を出るのは、危険だからですよ」
不可思議を込めたミリアの言葉を、スネークが遮った。
やけに通るその声に、エリックとミリアの視線が集まる中
彼は、糸目の眉をわずかに寄せながら、述べる。
「……黒衣の悪魔はご存じですか?
……あれが最近、増えてきているそうなのです」
#エルミリ
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ココ・オリビア(オリビア・ド・グロスター伯爵令嬢)
恋愛オタクのきゅるるん令嬢。
モデルの娘で現モデル。
エリックとはビジネスパートナー。




