6-7「優秀な天敵(1)」
────軋む扉をそっと開ければ、どっと流れ出すのは男の声。
「…………が『ちょっと』? は?」
「距離はあるけどちょっとじゃん! 泊まってきたわけじゃないし!」
──覗き込めば店の奥
聞いたこともない声量で怪訝を巻き散らかす冷静だった男と、それとやり合っている総合服飾工房の女。
(────ほう……? これはこれは)
その ”珍しい”どころではない光景に、商工会ギルド長『スネーク・ケラー』は糸のような目はそのまま、眉間を広げた。
言い合っている方の男『エリック・マーティン』は、スネークの中で『冷静なボス』だ。
どれだけ煽っても茶化しても『静かな威圧』以上のものを送ってくることはなかったし
睨み圧をかけてくることはあっても、声を張り上げているところなど──ここ8年見たことがなかった。
しかし、今目の前で起こっていることはどうだろう?
思いっきり言い合っているではないか。
────しかも
『彼が『絶対に怒らないであろう性別の人間』』と。
(へえ。ほう……これは珍しい)
店の隅、愉快を抑え込むスネークの視界の中で
冷静沈着な『彼らのボス』は、『理解できない』と頭を振りながら彼女に言う。
「ああ、話にならないな。『君のちょっと』は『俺のちょっと』と同義じゃないのは解っていたが、こうも話が通じないとは思わなかった!」
「別の個体ですから!? そりゃ当然じゃないですか!?」
「開き直らないでほしいんだけど?」
(────ふっ)
やり取りに
気配を殺し、背景に同化しながら笑いを噛み殺す。
ミリアの言い分は『確かにそう』ではあるが、ここでその返しは火に油だろう。
(ボスの皮肉と煽りにそう返します?)
心の中でふつふつと湧き出る笑いを抑え込む。
弓なりにアガリそうになる目に力を込めて
そぉ……っと壁に寄りかかり、目の前のショーを楽しむ。
(──うちのボスとまともに言い合う人間がいるとは)
と、ぽそり見つめるスネークの前で、二人の尚も激しい口論は続行中だ。
ああ、愉快だ。
面白かった。
目の前で繰り広げられている愉快な劇に、彼の口元はどんどん緩んでいく。
ボス『エリック・マーティン』……
いや『エルヴィス・ディン・オリオン』は
国のトップで、述べることはど正論。
その上やり手で実力もあるものだから、組織の部下はもちろん、その辺りの諸侯でさえ、彼の怒りに触れた時には黙りこくり汗を掻く。
────のに。
スネークが胸の内
(ボスが協力者に選んだ女は、相当気が強いし口も回る)と笑いを噛み殺すその先で、ミリアは矢継ぎ早に言い募る!
「だーかーらーーああ! 『暇だったから!』 おにーさん忙しいって言ってたじゃん! こっち休みだし! やれることあるかなって思って!」
「ならなおさら声をかけてくれ! あんなところに一人で行かせるなんてありえないだろう!」
「わたし子どもじゃないんだけど!?」
「子どもじゃないから言ってるんだ!」
「子どもじゃないって思ってるなら怒らなくない!?」
────ダンッ!
(…………ほう)
ミリアがカウンターを叩くと同時、スネークは静かに考えを巡らせた。
ボスの『口から出ている文言』がやや気になり、瞳を細める。
言い分が『部下へのソレ』じゃない。
『協力者』へのそれとも違う。
(────……腕相撲を楽しんでいるのを見た時から、『仲がいい』とは思っていましたが)
と、呟き胸の内。
『今まで』を脳裏に流しつつ考える。
『ボスのお気に入りなのだろう』とも見当はついていた。
それを見越した上で、少し事実を捻じ曲げて伝えた。
からかうように探りを入れて、相手に気が行くような言葉も送った。
しかし、このように声を荒上げるようになるとは。
自分に対しても、組織の部下に対しても、もちろん貴族諸侯に対しても。
『怒りを押し込め、冷静に圧をかける』ことはあっても
『伝わらない感情に苛立ち、声を荒上げる』ことはなかった男が。
────そもそも『気持ちを伝えようとしていなかった』節が見受けられた男が、今。
『伝わらない苛立ち』をぶちまけている────
「────……」
糸目の奥から様子を見守るスネークの前で、今も続く、エリックとミリアの睨み合い。
空気は”一触即発”・”爆発寸前”。
『私悪くない! わけわかんない!』をたたえ目を逸らさない彼女と『どうしてわからない!?』を抑え込んでいる様子のボス。
二人の様子を遠目から眺めつつ、スネークが『間』を探る、その前で。
エリックの顔が
『限界だ』と言わんばかりに歪み
勢いよく床へと放たれる。
「…………はあ……! こっちの気も知らないで!」
「はあああああああああああああああああああ???」
(────ほお。)
吐き捨てるようなソレ。
『勝手な!』と言わんばかりのソレ。
(──”こっちの気”、ですか)
本人が気づいているかは別として、
彼の言葉を繰り返し呟くスネークが、内心
(…………これは)
と、心を弾ませた────その時。
低い声は、
彼女の口から
じっとりとした怒りを孕んで
押し出された。
「────…………おにーさんの。」
(……おや?)
「────口に出してない。」
(…………これはまずいですね)
明らかな変化を感じ取り、スネークは壁から背を浮かせ床を踏みしめる。
────止めねばなるまい。
ここで拗れるのは不味いのだ。
彼女は、『やっと現れた存在』になり得る可能性を持っているのだから。
(────ミリアさん。……働いてもらいますよ?)
強かに、そして確固たる思惑を胸に、スネークは二人のもとへ足を進め──!
「────考えなんて知るわけないじゃんばか!!」
「”バカ”!? バカって言ったか? そんなことはじめて言われたんだけど!?」
「しりませんー! ばかにバカって言って何が悪いのばかっ!」
「────ああもういいわかった勝手にしろ!
この解らず屋!」
「そぉ れぇ は こっちのセリフですうううう! いしあたまのオニーサンなんてもう知!」
「────おっと。それは困りますねえ」
────決裂直前の二人の間に割って入る。
瞬間、弾かれたように顔を向ける二人。
「……スネークさん!?」と驚くミリアと、
────スッ と言葉を飲み込み鼻白むボスに。
「こんにちは」
スネークは、にこりと微笑んだのであった。
#エルミリ
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オーナーベレッタ
ミリアの勤める総合服飾工房のオーナー




